19:もう嬉しくてたまらない。
湖でのボート遊び。
私の想像ではこんな感じだ。
ボートに乗り、ゆったり会話をし、30分ほどで終了。
陸に上がったら、用意されている軽食コーナーで休憩。
昼食前にはボート遊びそのものが終わると。
だが、実際は全然違う。
ボートは一度乗れば終わり……。
ではなかった。
乗る相手が変わり、何度も湖に出ることになる。
つまり、ボート遊びとはいえ、それは立派な社交の場だった。
というわけで。
最初は当然だが、ノア王太子とボートに乗ることになる。
彼とボートに乗っていた30分は、本当にあっという間だった。
その間、話していたことは、お互いの知らない時間を埋めるような話。
子供時代の思い出をお互いにする。
間がもたないなんてことはなく、競うようにお互いのことを質問しあって話していた。“君待ち”の設定で、ノア王太子の子供時代なんて、一行でしか触れられていない。
――幼い頃から聡明で、文武両道として育ってきた。
どんな風に聡明だったのか。
文武両道って、得意な学問は?
運動は何をしていたの?
どのように頑張っていたの?
知りたいことは山とある。
「……もう、時間だね、サラ。また、時間を見つけ、ゆっくり話しましょう」
懐中時計を確認したノア王太子は、本当に時間を惜しむ顔をしてくれた。
もう嬉しくてたまらない。
本当は。
「それならば今晩、夫婦の寝室で続きを……」とでも言えればよかったのだが。
そんな勇気は残念ながら持ち合わせず。
まるで十代の乙女のように、「はい、ぜひ。私も、ノア王太子様のことをもっと知りたいです」と微笑むので精一杯だった。
我ながらどうしたものかと思うけれど。
素敵なノア王太子を目の前にすると、どうにもこうにも乙女になってしまうのだ。
というか。
本当は私にも、こんな一面があったのかもしれない。
それが“君待ち”のこの世界に来て開花した。
そんなが気がした。
ともかくノア王太子とのボート遊びが終わった後は。各国の王族や大使と社交ボート遊びとなった。私は……日傘をさし、優雅に座り、たまに休憩をとり、軽食をつまむだけだ。もちろん、会話をするが、それは慣れれば問題ない。だが、ボートを漕ぐ相手は……。大変だと思う。
そろそろ昼食の時間が近くなり、軽食コーナーでは、ガッツリとした料理も用意され始めた。その場でステーキを焼きはじめ、美味しそうな匂いも漂い始めている。リゾットのようなスープカレーのような、とにかくスパイシーな香りが食欲をそそる一品を発見し、同時に。賢者アークエットを見つけた。
「賢者アークエット様、一緒に休憩をしませんか?」
「これはサラ様。ええ、もちろん、喜んで。……ノア王太子様は、ああ、精霊王様とボートに乗っていると」
賢者アークエットは湖の様子を確認し、お皿に山盛りでサンドイッチを乗せた。私はスパイシーな香りがするスープご飯を手に、用意されていた椅子へと向かう。
並んで腰をおろすと、まずはそれぞれ手にしていた料理を口に運ぶ。
これは……! カレーだと思う。スープカレー。まさかここでカレーを食べられるなんて。あ、でも“君待ち”は日本生れの乙女ゲーだから。カレーがあってもおかしくないか。
……それならカレーうどんやカレーそばもあったらいいのに。
あ、作る? 作っちゃう!?
食べ物を口にすると。
すぐに他のことを忘れてしまうのは、私の悪い癖だ。
「賢者アークエット様に聞きたいことがあります」
「はい、なんでしょうか。サラ様」
「その、異世界乙女の召喚。これは何度も行うものなのですか?」
鹿肉のサンドイッチを手にしたまま、賢者アークエットが分かりやすく固まった。
これは……不穏な気配だ。
「……何度も行うようですね」
「いえ、そんなことはございません」
賢者アークエットはサンドイッチをお皿に戻すと、神妙な面持ちになる。
彼は人間離れたした、精霊王にも通じる美しい顔立ちをしていた。だからこうやって真面目な顔になると……。普通にかっこよかった。
「異世界からの召喚。これには多大な力を使います。それに成功率も100%ではありません。とても複雑な魔法であり、様々な条件が重ならないと、できることではないのです。今回サラ様をお迎えできたのは……。私としても奇跡でした。本当に。サラ様を召喚できて、良かったと感じています」
「召喚が大変ということは分かりますけど、条件がうまいこと重なり、魔力を使える万全の体制にあれば、再び異世界乙女の召喚はできる、ということですよね?」
困り切った顔で、賢者アークエットは私を見た。
「それは……無理をすればできるかもしれませんが、私はもうサラ様をお迎えすることできたので、異世界乙女の召喚をするつもりはありません」
「え、でも、沢山の異世界乙女がいれば、ソーンナタリア国だけじゃなく、他の国も助かるのでは? 瘴気に襲われるのはソーンナタリア国だけではないでしょう。でも異世界乙女を召喚できるのは、賢者アークエット様だけ。だったら沢山召喚すれ」
「サラ様」
賢者アークエットは、これまで以上に真摯な顔つきになっている。そして金色の瞳をまっすぐ私に向けた。
「サラ様だから明かします。異世界乙女を召喚するために、私は自分の寿命を削っているのです」
「え……」
「本来は、一つの命を、この地に招くのであれば。代償として、一つの命を捧げる必要があります。でもそんなことはしたくありません。誰かの命を差し出し、その代わりに異世界乙女を得るなんて、そんなことはできません。その代わりで、私の寿命を差し出しているのです。私は人と精霊の間に生れたので、千年単位で生きることができます。その寿命と交換で、サラ様をこの地に招いているのです。ですから、そう簡単に異世界乙女の召喚はできません」
これは……“君待ち”では一切語られていないことだ。
というか、“君待ち”でもこの設定なの……?
もしそうならば。
素敵な男子と胸キュンできる乙女ゲーと、軽~い気持ちで遊んではいけないような……。
いや、まさか。
きっとこれはこの世界ならではだと思う……。
「つまり、私が死ぬまで、もしくは、新たに次世代のこの国の王太子が現れるまで、異世界乙女の召喚をするつもりはないのですか?」
「そうですね」
「ということは、今、この国において、異世界乙女は私だけ……?」
賢者アークエットは……なんとも微妙な顔をしている。
え、どういうこと……?
もしや……。尤もらしいことを言っておきながら……。
「賢者アークエット様、本当は、異世界乙女を召喚できるんじゃないのですか!? 私に何か嘘をついていませんか!?」
「いえ、そんな、嘘なんて……」
「私の代わりとなる、異世界乙女を召喚できるのでは?」
カシャンという音がして、驚いて振り返ると。
少し離れた場所にノア王太子がいて、その傍にすぐにメイドが駆け寄っている。
どうやら手にしていた料理の皿を、落としてしまったようだ。
「ノア王太子様、大丈夫ですか!?」
俯いていたノア王太子が顔を上げたが……。
思わず息を飲む。
ノア王太子がとんでもなく悲しそうな顔をしていたのだ。
悲しい……いや、そんな陳腐な言葉では、あの表情を表現しきれない。
悲壮、絶望、苦悩、心痛……。
今、この瞬間、世界に存在する負の感情を背負ったかのような表情に見えた。
な、どうして……。
そこでメイドが片付けている料理を見る。
落とした料理、それは……パイ、だ。
たっぷりの挽肉に、あれはマッシュポテト。
このパイが……そんなに大好きだったのか。
好物のパイを落とし、悲しんでいる……。
一国の王太子なのに。
パイなんて、言えばすぐに新しい物をだしてくれるだろう。
でも……ノア王太子は優しい。
きっと心を込めてこのパイを作った調理人のことを思い、あんな表情になってしまったのだろう。
なんて、なんて、なんて温かい心の持ち主なのだろう。
胸がジーンとした。
「ノア王太子様、すぐに私が新しいパイをお持ちしますから。良かったらそちらの椅子に座り、お待ちください」
私の言葉に、ノア王太子は透明感のあるコバルトブルーの瞳を向ける。その瞳から感じられるのは……やはり顔の表情と同じ。見ているこちらが泣きそうになるものだ。
それなのに。
「……いや、大丈夫です。……ありがとう、サラ……。わたしは……君に、その、パイを届けようとしただけで、自分が食べたかったわけではないから」
「ノア王太子様、ここにいらしたのですか? どうか我が娘と三人で、サンドイッチを食べながら、ボート遊びはいかがですか?」
「……ええ、喜んで。シャンタル様は今年で5歳になれたのですか?」
ノア王太子は私に目配せをすると、そばにやってきた隣国の王女に声をかける。そして手をつなぐと、ゆっくりと歩き出した。
ノア王太子……。
自分のためではなく、私のためのパイを落とし、あそこまで落胆されるなんて。
既にゾッコンだったが。
ますますノア王太子のことが好きになってしまった。
本日公開分を最後までお読みいただき
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次回は明日、以下を公開です。
8時台「なぜ、なぜ分かるのですか、あなたは!!」
12時台「どうやら私、やらかしたらしい」
20時台「どうしたのだろう……?」
では皆様にまた明日会えることを心から願っています!









































