10:時限爆弾を抱えているような緊張感
しずしずとノア王太子の隣に立つ。
離れた距離では正視できた。
だが。
隣に立った瞬間。
まるで時限爆弾を抱えているような緊張感に襲われる。
正直、長椅子に座る王族やら重鎮の皆様は……ジャガイモと思えばいい。
でも、ノア王太子は無理だ。
どうしたって“君待ち”ファンの夢を詰め込んだノア王太子を横にして、平常心を保てるはずがない。
神官長はなんだかとてもありがたいお言葉を述べている。当然だが、まったく何も頭に入って来ない。ただ、この爆発寸前の時限爆弾を静めるため、深呼吸するので精一杯だ。
「では婚姻の誓約を」
神官長にそう言われると、ノア王太子は祭壇に置かれた指輪をとり……。
こ、これは……!
指輪にノア王太子がキスをした。
その瞬間、指輪はコバルトブルーの輝きを放つ。
何が起きたのか分からないが、ノア王太子は魔法が使えるの……?
そんな設定、ゲーム内になかったが。
というか、結婚式のシーンなんて、ホント、それこそおまけ程度に一枚絵しかなかったのに。それよりも特典映像や解放されたストーリーをみんな楽しむから、結婚式など見向きもしない……。まあ、仕方ないよね。18禁版は。全年齢版は、もっと結婚式のシーンがじっくり描かれているのかもしれないけど。
ともかく一度ものすごい光を放った指輪を、ノア王太子は私の左手薬指にはめてくれた。私は輝きを放つ指輪に驚いていたが、私以外は皆、特に反応していない。
指輪が光るのは……普通のことなのだろうか……? 分からない。
だが、しかし。
私の番なのです。
えーと、私も指輪にキスをするのだろうか……?
私が指輪にキスをしても輝きを放つことはないと思う。
そう考えると、指輪へのキスは不要……?
チラリと神官長を見ると、ジェスチャーで指輪にキスをしろと教えてくれる。
フランクだなぁ。
少し肩の力が抜けた。
ということでノア王太子を真似して指輪にキスをすると。
突如淡いピンク色の光が指輪が放たれ、衝撃で腰を抜かしそうになり、指輪も手から離しそうになった。
そこで奇跡が起きた。
ノア王太子は右腕で私の腰を支え、左手で私の手を握りしめてくれた。おかげで腰を抜かすこともなく、指輪を落とすこともない。
それに。
とんでもなくノア王太子との距離が縮まったその瞬間。
ノア王太子からとてもいい香りがした。
それはフレッシュな柑橘系の香り。
みずみずしい新鮮な香りに、時限爆弾はついに爆発する。
つまり全身から力が抜けた。
でもノア王太子は顔色を変えることなく、片腕だけで私を支えてくれている。
その事実にまるで乙女のように心がときめいてしまう。
このままこの夢のような状況に酔いしれたくなったが。
神官長を含め、その場にいた全員の、安堵のため息をもらす音が聞こえた。
しっかりして、私!
まだ婚姻の儀式の途中だから!!
ノア王太子は私が力を入れ直すと、何事もなかったかのうように、元の姿勢に戻っている。
一連の動作がスマートだった。
瞬発力、咄嗟の判断力、運動神経。
そのすべてを遺憾なく発揮し、私の転倒と指輪の転落を防いでくれた。さらには彼の香りにイチコロになった私が崩れ落ちるのも、回避してくれている。
この出来事に。
もう、涙が出そうな程、感動してしまう。
さすが、“君待ち”の絶対的エース!
そこで神官長が咳払いをしたので我に返る。
そう、落下を免れたこの奇跡の指輪を、ノア王太子の手につける必要があった。
チラリとノア王太子に目をやると。
よくできた人間だ。
自ら白手袋はずしてくれている。
後はもう、指にはめるだけ。
こうして婚姻の誓約――指輪の交換は問題なくクリアできた。
これでひと山超えた気分になり、その後の婚姻誓約書のサインは、肩の力を抜いてすることができている。だって。ノア王太子がサラサラと書いた文字が流麗で美しいと観察できた。羽ペンを持つ指が細く長く、その爪が清らかな桜貝みたいだと、鑑賞できるぐらいの余裕ができていたのだから。
結局。
元いた世界に比べ、婚姻の儀式でやることは、シンプルだった。
これなら後はもう、ノア王太子にエスコートしてもらい、流れに身を任せてOKに思えた。賢者アークエットに私の扱いがぞんざいだと憤慨したことを、心の中で謝る。
「それではここにソーンナタリア国王太子ノア・イル・ラックスと異世界乙女のサラ・エヴァンズの婚姻が成立したことを宣言いたします。二人の未来に幸あれ」
神官長が婚姻誓約書のサインを確認し、こう宣言した瞬間。
拍手が沸き起こり、祭壇の左手にいた楽団が楽器の演奏を始めた。
この時、私はあのノア王太子と結婚してしまった!
よりも。
あー、無事終わった!
と完全に脱力していた。
とにかくぶっつけ本番だったから。
途中、あわやのハプニングもあったので。
それを乗り越えた安堵感の方が、興奮を上回ったみたいだ。
ということで、心底安心した私の腕を、すっとノア王太子が掴んでいる。
?
額にキスをされていた。
突然のことに固まる。
え。
え、え、え。
ええええええーーーーっ。
キ、キスされた!
ノ、ノア王太子に額へキスをされた!!
ヤバい。信じられない。
どうしよう。
ほんの、ほんのわずかの時間だった。
本当にキスをしたの?
そんな風に確認したくなるぐらいの時間。
一瞬の出来事であったが、額に温かみを感じた。
フレッシュでみずみずしいノア王太子の香りを感知したのだ!
完全にパニック。
ルドルフの説明でも、ジョディの説明でも、誓いのキスに触れられることはなかった。だからそれはないものと理解していた。それなのに……!
落ち着いて、自分。
キスと言っても、唇ではないから。
額へのキスだから。挨拶みたいなものでしょ。
そう、自分で自分を諭そうとするが……。
え、私、“君待ち”の絶対的な人気を誇るエースキャラのノア王太子にキ、キスをされた! 全世界の女子の夢が詰まった、この世の至宝ともいえる男性、ノア王太子からキスをされたのよ! どうすればいいの!? この感動を誰かと分かち合いたい!
……そう、パート仲間で“君待ち”をプレイしている、金子さんと葵さんと田中さんと陽菜さんと……。
完全に、自分で自分を制御できなくなっている。
「サラ、これから大広間に向かうので、君のことをエスコートしますね」
こ、この声は~~~~~!!
私の大好きな甘々声の、声優さんまんまではないですか!
婚姻の儀式の最中は「はい」ぐらいしか声が聞こえなかったので、イマイチ実感はなかったが。今、はっきり話す声を聞いて確信する。
間違いない。
この声はノア王太子!
それはそうだろうが!! 本人なのだから。
それにたった今、ノア王太子と婚儀を挙げたのよ、あなた!!
何を今さら声ぐらいで過剰反応をしているのよ!
一人ツッコミをしていると。
「皆が待っています。行きますよ、サラ」
そう言ってノア王太子が私の手をとった。
この時点で私のポンコツ脳は、まだすべての理解が追いついていない。だってまだ声の件でキュンキュンしているから。すると脳のどこからか、もう一人の私の声が聞こえてくる。
名前だって呼び捨てで呼ばれたんだからね、分かっている、サラ? しかも、今、あなたのそのグローブをはめた手に、ノア王太子の手が添えられているんだからね、サラ!
そ、そうだった!
サラって呼び捨てで呼ばれたーーー!
信じられない!
そして、手を、手を……。
さらに一緒に並んで歩いている……!
何より感動するのはこの気遣い。
歩く速度は完全に私にあわせてくれている。
ドレスの裾も踏まないよう、注意しながら歩いてくれていた。
それでいて前方に目をやり、障害物がないかも確認してくれている。
ノア王太子、何もかも完璧。
本当に素晴らしい!
感動で泣きそうになっていると。
ノア王太子がブーケを、私の手から受け取った。
「?」
すぐに後ろを追いかけていたジョディが、そのブーケを受け取る。
その後、ノア王太子は、すっとポケットからハンカチを取り出し、それを私に差し出した。
……!
もう、完全に。
完全に。
落ちた。
ノア王太子を大好きになっていた。
それまでは。
どこかミーハー心があったことは否めなかった。
あの“君待ち”のノア王太子と結婚なんて、芸能人といきなり結婚するみたいだったから。でもここに至るまでのノア王太子の細やかな気配りに、完全に心が持って行かれてしまった。
一目惚れって、みんなどんな風にするのだろう?
容姿で好きになるのか。
私の場合は……とても些細な行動の積み重ねで好きになってしまった。
ノア王太子とずっと一緒にいたい。
心から強く思えた。
「これからパレードになりますが、その前にこの大広間を抜ける必要があります。ここには各国の王族や大使がいますが、笑顔をふりまけば大丈夫ですよ」
「分かりました」
お化粧が落ちないよう、注意して涙をハンカチで拭い、ジョディからブーケを受け取る。ノア王太子にエスコートされ、開かれた大広間へと足を踏みだす。
それは……まるで……。
そう、朝礼で、全校生徒の前に出て、マイクを前にスピーチする時の景色に思えた。
一度だけ、絵画コンクールで金賞をとり、全校生徒の前でスピーチをしたが、その時の景色がこんな感じ。ベッドタウンの生徒数の多い学校だったから、沢山の生徒がいた。でも今はその時よりさらに人数が多い。千人ぐらいいるのかな。
着飾った見知らぬ上流階級の人々が、拍手でノア王太子と私を見ている。
もう圧巻。
心臓はドキドキを通り越し、もはやどういう状態か、自分でも把握できない。ただ、隣にはノア王太子がいた。私に気を遣い、居並ぶ招待客に気を配り、ゆっくり広間をエスコートしてくれている。
ノア王太子がいるから、大丈夫。
言われた通り、笑顔、笑顔。
深呼吸を一度して。
こう思うことにした。
今日はもうハリウッド女優になったつもりで、レッドカーペットを歩く気持ちで行こう!
本日公開分を最後までお読みいただき
ありがとうございます!
次回は明日、以下を公開です。
イレギュラーな時間での更新です。
12時台「お祝いムード一色」
では皆様にまた明日会えることを心から願っています!
【新作のご案内】
★毎日 更新中★
『悪役令嬢ただし断罪後のハピエン確約で異世界召喚!』
https://ncode.syosetu.com/n0833ie/
「私の婚約者となり、悪役令嬢になってもらいたいのです」
金髪碧眼の大天使のような美貌のイケメン王太子から
いきなりプロポーズされたのだが。
その次に言われたのは……。
まさかの悪役令嬢になってほしいとのこと!
「でも安心してください。断罪はしますが、
処刑したり、国外追放したりするつもりはありません。
大魔法使い、筆頭魔法騎士、筆頭公爵家の嫡男。
この三人のいずれかと婚約できるよう
手配するつもりです。断罪が終わった後に」
ううんんん!?
ハッピーエンドが確約されている悪役令嬢!?
かくして異世界で
悪役令嬢を演じることになった主人公。
その運命やいかに!?
ぜひ本作同様、お楽しみいただけると幸いです。
お待ちしています!