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 大学生は暇だと思われがちだが、実はなかなか忙しい。必修科目を落とすわけにはいかないし、課題も結構出る。嘆く学生を見てほくそ笑む教授がいるのだから、禿げろ! と密かに呪いをかけられているのもしょうがないことだ。


 加えて成人してからは、何かと理由をつけて飲みに行くようになる。当然ひとり暮らしをしていれば仕送りで足りるわけもなく、バイトを始めれば時間などあってないようなものに早変わりだ。


 例に漏れず、蓮もバイトに勤しむ学生の一人で、常に何かに追われているような怒涛の日々を送っていた。怠惰に過ごしたいと毎朝ベッドの中で願っていたし、実際寝坊して講義に遅れることもあった。


 だから、快適な室温に保たれている部屋で、こうしてのんびりと過ごす今の蓮の現状はあの頃の理想ではある。けれど好きに過ごしていい時間が増えすぎると、今度は持て余すようになっていた。


 積極的に、家事はやっている。掃除も、カルラが来ない日は蓮がするのだが、今日はもう拭き掃除まで完璧に終えていた。一番重労働の洗濯に関しては、すべて任せることになっているので手は出せない。下着は、蓮は密かに自分の分は洗っているけども。


(なんか、勝手だよなぁ)


 怠惰な生活はもっと、ずっと、ずっとと願うほど楽しいかと思っていた。

 実際はメリハリのある生活を送っているからこそ、怠惰な生活に価値を見いだすのかもしれない。元々蓮は、外に出て交流を広めていくタイプだ。笑顔と軽い態度が、人間関係の潤滑油だと中学生で知ってからは、活用している。広く浅く、ある意味深入りまでしない距離感で付き合うことが多かったけれど。


(外、かぁ)


 外出を止められているわけではないが、一人で出かける勇気がまだ持てない。休日にはディルクが街に連れ出してくれるけど、普段は仕事に行くので話し相手もいなかった。


「ぅーん」


 ソファに横になったまま、ぐっと身体を伸ばす。そのまま力を抜き、身体を預けた。

 することがない。

 夕食を作る時間は、ディルクの帰宅に合わせるのでまだまだ先だ。


 この世界にはテレビもなければ、スマホも使えない。たまたま持っていた本は、すでに何度も読んでいる。本屋に並んだばかりの、新作だったミステリーで、誰がどこでどう殺されるかも、密室と言われる謎も、果ては犯人の動機までも、蓮はすっかり覚えてしまった。


 こんなことなら、本屋でどちらを買うか迷ったもう一冊も買っておくんだったと後悔する。時間がなくて読めないかと棚に戻してしまったあの日が悔やまれた。


 ディルク自身は、読書をしない。学園時代の教科書は、捨てられていなければ実家にあると言っていた。残念なことに、この家には本の類いはなかった。


(教科書、持って来てくれないかな)


 駄目元で、聞いてみることにする。異世界の学習内容が気になるし、どう考えても蓮には学びがたりない。今のところ、時間だけはたっぷりあった。


「なにしようかなぁ」


 他人の家の中で、できることは限られている。ただでさえディルクの家は、娯楽に関する物は少ない。それなのに、なぜ、と首を傾げたくなるが、お菓子作りの道具と材料は揃っていた。


 これ幸いとばかりに何か作ろうかと考えてみたが、食事代わりにホットケーキは食べても、完全に嗜好品でしかないお菓子をディルクが好んで食べるかわからない。

 出せば食べてくれるだろうが、強制はしたくない。蓮は自分が食べるためには、お菓子を作ることはほとんどなかった。


 ごろん、と狭いソファの上で寝返りを打つ。すっかり、蓮の定位置になってしまった。


 だめだ、と身体を起こす。

 ぐだぐだしているのにも飽きた。そろそろ頃合いのはずだ。

 キッチンへ移動して、仕込んでおいたレーズンで作った酵母のチェックをする。いい感じだ。これも、母から教えられたものだった。


 教えというほどではない。日常のとりとめのない会話に混ざったちょっとしたうんちく。キッチンで何かしている母を物珍しく蓮が眺めていると、いつも作業しながら説明してくれた。


 ――パン作りはね、ストレス解消にもいいんだよ。


 パン生地を捏ねていると、なんとなく気持ちが晴れると言っていたが、今はそれに頷ける。

 こうした、知っていたら役に立つかもしれない知識と、知っていて当然の知識を、教えと身構えさせることなく、日常会話に混ぜて母も父も与えてくれた。


 それが時間をかけてしっかりと根をはり、今の蓮ができている。ただ日々を過ごしているだけでは持ち得ない、料理やお菓子作りの知識や技術を、誰もが持っているわけではないと気づいたのは小学校の高学年になってからだった。


 ――みんな、できないって言ってた。

 ――バレたか。


 舌を出す母は、悪戯がバレた子どものようだった。


 ――だって、将来ラクができるかなって。私が。

 ――それにね、料理のできる男の子って、モテそうじゃない?


 そんな母の目論見は外れ、モテるどころかフラれる原因になったけれど。

 ただそのおかげで、一人暮らしを始めても食事に困ったことがない。今もこうして役に立っている。親に感謝だ。


 大学に入るまでは、その親が原因の苦労もあったけれど。

 日本人の母とフランス人の父、蓮が生まれ持った色素の薄い茶色の髪と瞳が、教師の目には注意すべき物と映った。

 小言、文句を言われ、蓮が何度地毛だと主張しても、頭の硬い考えを持っている教師は、自分の目が正しいと信じようとしない。蓮は我慢などばからしいと家族に報告し、父が学校へ行くとあっさり解決するからおかしくなる。


 どこからどう見ても、父親は日本人には見えない容姿だからだ。子供から見ても、父は華やかな容姿をしている。年齢を重ねてもなお、美しいと評してもいい。


 そんな父親を見た途端、ころりと態度を変える教師に、どこを尊敬すればいいのかわからないと、子ども心に思ったものだ。


 ――ほんと、頭が凝り固まった老害ってどこの世界にもいるのよねぇ。


 父が婿入りするときも、ずいぶんと周囲が騒がしかったようだ。


(さて、と)


 パン生地を発酵させている間に、フィリングを用意する。甘さを思い出したので、身体も甘いものに浸りたい気分だった。


 ディルクがどこまで好きなのかわからないので、主食となるパンでは程々にして様子をみることにする。野菜の甘みなら、アリかな? と見当をつけてみる。かぼちゃもどき、と蓮が勝手に呼んでいる野菜は、知っているものよりかなり甘みが強い。けれど先日出した時には、眉間にシワは寄らなかった。


 なんだかおかしくなり、蓮は表情も気持ちもほぐれる。眉間のシワでディルクの好みを測っていることが、ばかばかしくて、愛おしかった。


 時々、昼食にと持たせる弁当の中に、気に入ったなら菓子パンもどきを混ぜてみるのもいいかもしれない。多少糖分を多めに取ったところで、ディルクなら太るなどと気にしないはずだ。常に鍛錬で、身体を動かしている。


 あ、と蓮は気づく。こちらの方向で、何か職につけないだろうかと。

 専門に学んだわけではないが、両親から知識も技術も惜しみなく与えられていた。裏方ならば、蓮の非常識も多少のことはごまかせる。


 世界さえ違う、知らない人の中に混ざるのにはまだ不安は残るけれど、このままただディルクに養われているわけにはいかない。

 知り合いのいないこの世界で、経済的に自立していなければ、何かの要因でディルクと離れることになった時、蓮の生活は立ち行かなくなる。生きていく術がないことが、こんなに不安に駆られるものだと思い知らされた。


 親のありがたさも同時に知る。いつも甘ったるい態度で、顔を合わせれば構い倒してくる二人が鬱陶しくも、大切で特別な存在だった。




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