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 ありがたい申し出に飛びついたのはいいが、歩き出してすぐに、同居している家族がいるのでは――その可能性を失念していたことに思い至る。蓮の置かれた状況を、説明するのは難しい。家族の反対に遭い、無理だと突き放されたら途方に暮れるしかなかった。


 けれど蓮の心配は杞憂でしかないと、すぐに知ることになる。実家ではなく一人で暮らしていると言われ、案内された家は、蓮が落ちてきた場所からそう遠くなかった。


 歩きながら眺め見た、どこか整然とした街並みも、たどり着いたディルクの家の外観からも、日本ではないとわかる。蓮にとって馴染みのある景色は、残念ながらここまで一切目にしなかった。


 騎士服を身にまとっているディルクとは、違和感なくしっくりくるのだから、異分子なのは間違いなく蓮だ。なんで、という気持ちが強くなる。つい先ほどまでは、一人暮らしをしている学生マンションの近所にある、コンビニの前にいた。


 臨時に入ったバイトの帰りで、土曜の明日は講義もなく、朝はゆっくりできるからと金曜の夜の予定を頭の中に描いていた。


 そこから一時間にも満たない間に、景色も、置かれている状況もがらりと変わってしまっている。今でも、性質の悪いドッキリで、実は――なんて種明かしされる結末を、蓮は頭のどこかで望んでいた。リアルすぎるほどの環境に、それはあり得ないのだと理解していてさえも。


「この家には、使用人が常にいるわけではないから、身の回りのことは自分ですることになるが」

「あ、うん。できる」


 蓮の常識では、使用人がいるのは当たり前ではない。それにある程度年齢を重ねれば、身の回りのことは自分でするもので、むしろできて当然だ。


 ここまでくると、何にどう驚いていいのかわからない。与えられた情報が、多いのか少ないのかも定かではなかった。


 並んで歩きながら、蓮の置かれた状況を理解しようと試みたが、どうしても無理だった。騎士団、王城――身近では決して耳にしない単語ばかりで、混乱だけがひどくなった気がする。

 うまく呑み込むことができない。呑み込みたくないだけかもしれないと、蓮は自己分析してみた。


 それに加えてディルクは、口数が多い方ではない。互いに訊かなければいけないことは山のようにあるはずなのに、積極的に話さない。尋ねても答えは端的で、最低限にしか答えない。訊く方の蓮も今の状況を正しく把握できていないので、何を訊くべきかもわからなかった。


「手を出してもらっても?」

「あ、うん」

「これでレンも、ドアを開けられる」

「へぇ」


 指紋認証の類いなのかと、便利さに感心する。以前マンションの鍵を大学に忘れて、セルフ締め出しにあったことを蓮は思い出す。まだ電車もある時間で、実家に避難できたのは幸いだった。


 あれが飲み会の帰りか何かで、終電だった日には詰んでいた。歩いて行ける距離に、突然押しかけて部屋に入れてくれるような友人宅はなかった。

 金に物を言わせるほどの甲斐性は、親の仕送りに頼る大学生にはない。何より、財布の中身が寂しい月末だった。


 今の状況に比べれば、些細な出来事としか言えない体験を追想していると、ディルクがドアを開ける。前動作もなくぱっと室内に明かりがついて、蓮は軽く目を眇めた。


 ドアの生体認証に、センサーライト、賃貸だと聞いたが、随分最新の設備が整っている。外観からは、想像できない。リノベーション、そんな言葉が浮かんだ。


「おじゃまします」


 ディルクの後に続き、そろり、と遠慮がちに室内へ入る。外の暗さに慣れた目には、光は眩しい。初めて入るタイプの家の物珍しさに、蓮はあちこちに目がいく。


 特別な香りも、飾り気なども一切ない。とても、シンプルな印象を受ける。ある意味、そっけなさが目立つ。


 広めのリビングダイニングには、体面を整えたような必要最低限の家具がある。対面式のキッチンは綺麗に片付けられており、よく知るIHやガスコンロとは少し違うが、なんとなく使い方はわかる感じだ。家の造りはメゾネットタイプで、寝室や客間は二階にあった。


 一人暮らしにしては、随分と広い。家族で住んでいても、違和感のない家だった。


(結婚の予定があるとか?)


 その予定で、ディルクだけが先に住んでいるとしたら、蓮がここに置いてもらえるのも期間限定だ。明日にでも、追い出される可能性もある。無自覚にずっと置いてもらえるとでも思っていたのか、楽観視していた自分に蓮は軽くへこんだ。


「部屋は余分にあるから、あとで案内する」

「ありがと」


 空気の入れ換えのために、窓を開ける背を蓮は何気なく目で追う。暗いところでは黒髪に見えたが、明るいところで改めて見ると違った。


(染めてるわけじゃ、ないよな?)


 手触りの良さそうなさらりとした短い髪は深い藍色で、瞳も同じ色をしている。薄暗いところなら、少し明るい栗色の髪に、色素の薄い瞳の蓮よりも日本人に見えそうだ。

 全身に闇をまとっているようだった騎士服も黒ではなく濃紺に金で、すらりとした体躯によく似合っていた。


 夜の湿気をはらんだ風が、部屋の中へ入り込む。入ったところで立ちすくんだままの蓮にディルクが気づき、ソファへと促した。けれど、座っていいかに迷う。


「さっき、地べたに座ったんだけど」

 さっとはらいはしたが、汚れていないとはいえない。

「気にしなくていい。あ、風呂か」

「え」


 シャワーだけでも貸してもらえたら嬉しいが、戸惑いが強くなる。あまりにも、蓮に都合よすぎた。


「着替えは、ないよな。俺のでいい?」


 あ、うん、と頷いて、前から親しくしている友人のような扱いに困惑する。いいのか? という気持ちと、甘えてしまえ、という気持ちがせめぎ合っていた。


「この家にあるものは、自由に使ってくれていいよ。俺、明日は休みだから家にいるけど、普段は朝から仕事に出ていないから」

「はい?」


 わずかに逡巡していた気持ちが、霧散する。よし、と蓮は心を決めた。


「あのさ、保護してもらってなんだけど、もうちょっと危機感持てよ」


 身元を確かめるでもなく、質問攻めにされるわけでもなく、ディルクはあっさり蓮の存在を受け入れている。さらにはよく知らない相手を留守宅に放っておくつもりでいるなど、正気の沙汰ではない。警戒心が薄いとしか、言いようがなかった。

 普段から騙されていないかと、心配になる。お人好しすぎやしないか。


「俺より、強そうには見えないけど」


 基準はそれか。

 確かにな、と納得させられる。騎士だと言っていたので、間違いなく蓮など瞬殺だ。相手になるわけがない。比べるのさえ、おこがましかった。


「実は強い?」

「いや、げきよわです!」

「なんだそれ」


(笑った)

 少し印象が変わる。思わず、目を奪われた。


「いやでも、留守にするのに、俺をおいて行っていいわけ?」

「悪さするのか?」

「しないけど!」

「なら、いい」


 えぇ、と納得できない。信頼は嬉しいし、正直助かるけれど。


「遠慮せず、くつろいでくれていい」

「……ありがと。助かる」


 結局のところ、蓮はディルクに甘えるしかない。追い出されたら、どこにも行く当てなどなかった。


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