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「なんでいるんだよ」
ディルクの声に、険が混じっている。兄って言ったよな? と、蓮は二人の顔を見比べた。
(似ているような、似ていないような?)
「お兄さまに向かって、なんだその態度。用があるって言うから、わざわざ来てやったんだろ」
「頼んでねぇし。勝手に来るなよ」
「うっわ、かっわいくなーい。料理のセンスが壊滅的なおまえのために、俺が夕飯作ってやるつもりでこの時間に来たのに」
「かわいくなくていいよ。飯は作ってもらえるし、もうここに来るな」
「やだけどぉ?」
不敵に、ダーフィットが拒否する。ひどくぞんざいに、ぽんぽんと言葉を投げるディルクを見て、兄弟喧嘩勃発か!? と蓮は焦ったが、ダーフィットは文句を言ってはいても、飄々とした表情を崩さずディルクをあしらっていた。
なあんだ、じゃれているだけかと蓮は結論づける。すっかり蚊帳の外に置かれているので、二人のことは気にせずに手を動かして、ぱぱっと下ごしらえを終えた。あとは、油で揚げて盛り付けるだけだ。
油を入れた鍋に火をつけ、余分にあるカツ未満を眺める。顔を上げると、ディルクの眉間のシワがすごかった。
「あの! とりあえず飯にしない? あとは仕上げだけなんだ」
夕食を食べていないなら、ダーフィットもどうかと蓮は誘う。けれど、異を唱えたのはディルクだ。
「兄さんの分はいいよ。今日は帰ってくれ。そのうち行くから」
ここぞとばかりに追い帰そうとするが、ダーフィットは無視する。遠慮なく、と笑顔で蓮に返して、揚げ始めたカツを興味津々に眺めた。
「それ、なに?」
「カツです。こっちは厚切りにした肉で、こっちは薄切り肉を重ねてチーズを挟んであるんで」
「へぇ、カツねぇ」
まだ少し時間がかかると言えば、話が蓮のことに戻る。どう言っていいかわからないので、説明はディルクに丸投げした。
そういう役割に、向かないのはわかっている。身内なら余計にそれはわかっていて、ダーフィットは理解できなくなると、蓮に補足説明を求めた。
だいたい話し終えた頃に食事の準備が整い、各自皿を持って場所を移動する。その際なぜか、ディルクは蓮の隣の席に落ち着く。普通は向こうでは? と思いつつ、添える物は蓮がテーブルに並べた。
「調味料は好みでどうぞ」
さっそくとソースをかけ、食べた途端に二人が目を丸くする。似ているかも、と思ったが蓮は口に出さなかった。せっかく、言い合いは落ち着いている。藪をつついてはいけない。
「うまいな」
「ああ、表面がサクサクしてて、中はやわらかいし、うまい。なに、ディルクいつもこんなの食べてんのか」
「レンの作る物はなんでもうまい」
「はあ、納得。実家やうちに、食いに来なくなるわけだ」
頷いたダーフィットが、不意に蓮をじいっと見つめてくる。何もかもを見透かしているようで、どうにも居心地が悪い。
「ディルクの頼みだし雇うのはいいけど、レンはうちでいいわけ? これだけ作れるなら、食堂とかの方がよくないか?」
「えっと、なんの仕事なんですか?」
印象に残っているのは二人の言い合いだ。料理で手を動かしていたこともあって、聞き逃している可能性もあるが、蓮にはわからない。
「おい、話してないのか」
「……断ってくれていい」
「はい、レンくん採用」
びしり、と指をさされる。ぽかんとしたのは、蓮だ。
「俺ときみがかかわるの、ディルクが嫌がってるから」
まさにダーフィットの思惑通り、ディルクの眉間のシワがすごいことになっている。そんな基準でいいのか、と蓮は思わずにはいられない。
特に職種にこだわりはないし、ディルクの兄のところなら、いかがわしいとか、ヘンな仕事ではないはずだ。
「うちはね、主に平民向けにスイーツを売る店なんだ」
「スイーツ」
「そ。焼き菓子がメインで、あとは色々試行錯誤中? それなりにお客さん入ってくれてるけどね」
「そうなんですね」
思いがけず、嬉しい展開になる。仕事をもらえるのも、それが馴染みのある職種であることも、じわじわと蓮に喜びを与えた。
「レンは、お菓子は作れんの? 料理とはまた別だけど」
「えっと、まあ、そこそこ作れます」
「そこそこじゃないだろ。レンの作る菓子はどれもうまい」
「は? ほんとかよ」
「ああ、専用の道具なんてほとんどないうちで、作れるくらいだ」
家で食べるおやつ程度なら、専用の道具などなくてもできる。多少の不格好は気にしない。オーブンはあるので、充分だった。
「ちょ、レン!」
「え、はい!」
あまりの勢いに、ぴん、と蓮は背筋が伸びる。ぱたぱたと瞬きして、ダーフィットの強い眼差しを受け止めた。
「何かつくってみて」
「えっと?」
唐突で、曖昧なリクエストに困惑する。どうするかと迷っていると、ダーフィットはディルクへ視線を移した。
「クレープがいい」
「それで」
「まぁ、つくりおきあるからいいけど」
「ところで、クレープってなんだ?」
まさかのこの世界にない食べ物? と、蓮は焦る。やっぱりディルクの反応だけでは、常識は判断できない。好きと嫌いの段階は、なんとなくはかれるようになったけれど。
「パンケーキの一種?」
「へぇ」
興味津々だ。
食事を終えたところで蓮はマジックバッグを取りに行き、中から多めに生地を焼いたときに作っておいたクレープを取り出す。お菓子と言っていたので、定番の甘い物を選んでダーフィットに差し出すと、ディルクの視線がそれを追っていった。
それが蓮の元に戻った時に、ピンと立った耳の錯覚が見え、笑いを堪える。同じ物をもう一つ出すと、ディルクへ渡した。
「その薄い生地に巻く具材を変えれば、甘いの以外に、食事系とかも色々アレンジできるけど」
「うまいな。最高だ!」
立ち上がったダーフィットに、ぎゅうっと抱きしめられる。ふわりと鼻先をくすぐった甘い香りは懐かしく、この態度は母親を思わせるが、とにかく苦しい。
パティシエらしいが、なぜかディルクと変わらないような細マッチョ感がした。
「あ、ウチ住むか? 通勤時間なしで、家賃も食費もただ! 給料はしっかり払う、さあどうだ!」
「え」
条件がよすぎる。なんだか、逃がさないという迫力が伝わってきた。
「はなせ!」
ディルクによって、ダーフィットから引き剥がされる。呼吸が楽になって、蓮は深く息をついた。
「だから、いやだったんだ」
拗ねた口調だ。むすりとして、ディルクはダーフィットを睨んだ。
「おまえなぁ、こんなうまいもん独り占めして食べまくってたら、太るぞ」
からかうような、笑いを含んだダーフィットの声に焦ったのは蓮だ。
「え、太った? ディルクの細マッチョ、俺がだめにしてる?」
慌てて確かめるように、ディルクの腹をぺたぺた触る。特に脂肪がついたようには感じず、ほっとしたところでダーフィットが吹き出した。
肩を揺らし、盛大に笑っている。疑問符を浮かべながらディルクを見上げると、困惑したような表情を浮かべていた。
「いやー、レンくんおもしろいわ。ほんとに、うちに住み込みで働けばいいよ。店舗兼住宅になってて、部屋は余分にあるからさ。行くとこなくて、ここいるんだろ」
ありがたい申し出だ。その方が、ディルクも元の生活に戻れる。今まで面倒をみてもらった礼は、いずれすればいい。わかっていても、ディルクの不安そうな瞳を向けられ、蓮は頷けなかった。
「あーっと、雇ってもらえるのはすげぇありがたいし、提案も魅力的なんですけど、今はとりあえずディルクの家にお世話になったまま、通ってもいいですか?」
蓮自身も、名残惜しさがある。もう少しだけ、せめて職場に慣れ、ダーフィットと信頼関係が築けるまでは、ディルクに甘えることにした。
「いいよ。だめって言ったら、ディルクが連れて帰りそうだしな」
苦笑して、軽く肩をすくめたダーフィットが言葉を継ぐ。
「まあ、他の選択肢もあるんだけどね」
妙に、意味深なことを言われた。




