13
いつの間にか隣町に近いところまで歩いて行ったようで、帰路になると遠く、行く時よりも時間がかかるように感じる。ぼんやり気ままに歩いていると、案外遠くまで行くようだ。次回出かける際は、気をつけることにした。
日もだいぶ高くなっている。日差しの強さも増しているようで、じりじりと肌を焼かれる感覚があった。日焼けもしそうだ。
久しぶりに出歩いたせいなのか、迷子になって精神的にも疲れたせいなのか、ソファの上の怠惰な生活が恋しくなる。帰ったら、行儀悪く転がりたくなった。
すっかり目に馴染んだ景色の中にある家に、蓮はほっとする。ドアに拒否されることなく快適な家に迎えられて、帰ってきた、と思えるようになっていた。
「レン!」
思いがけず、名を呼ばれる。無人だと思って居たせいで、驚いた。
今朝見送ったはずの男が、妙に焦った顔で駆け寄ってくる。
「あれ? ディルク仕事は?」
早退するような何かが、あったのだろうか。
騎士服姿のままのディルクに、これから急ぎの要件で再度出かけるのだろうと、蓮は留守を申しつけられる予想をつけた。
「今日は早く上がれたんだ。言うのを忘れていた」
けれど、反対のことを言われる。なあんだ、と蓮は表情を綻ばせた。
騎士の仕事は聞く限り、危険も伴うのでどうしても心配になる。通常の勤務であるなら、王城務めのディルクは比較的危険は少ない。
「そっか。おつかれ」
少しのんびりしてから昼食を用意するつもりでいたが、ディルクがいるならすぐに作ることにする。何にしようか考えて、リクエストを聞くのもいいかと方向転換した。
「あれ、どうかしたか? へんな顔して」
「……レンが、いなくなったのかと思った」
虚を突かれ、ぱたぱたと蓮は瞳を瞬く。家を留守にしていたことで、そんな誤解をされるとは思ってもみなかった。
まさか、と蓮は笑う。ありえない。
「俺、ディルクのとこ以外に居場所ないよ」
まごうことなき事実だ。
もしも仮に出て行くとしても、散々世話になったディルクに、黙って出て行くような恩知らずなことはしない。できれば、しっかりと感謝の気持ちを伝え、何かしらの礼をしたかった。
それだけの恩が、蓮はディルクにある。
「そうか、そうだな」
まるで、言い聞かせるような響きだ。
「突然落ちてきたのだから、突然消えることもあり得るのかと」
帰ってきたら蓮がいなくて、焦った。探しに行こうにも、探す当てがない。身動きができなくなっているところへ、呑気に蓮が帰ってきたということだ。
(そうだよな)
拾ってきた犬や猫だって、突然いなくなれば心配する。いなくなった、で簡単に割り切れるものではない。ただでさえ優しい男だ。本当に、唐突に蓮が姿を消し戻らなければ、いつまでも気にかけ、気に病みそうだ。
「悪い、心配させて」
非常に申し訳ない気持ちになる。突然消える、その可能性を、少しも考えていなかった。
自分のことで手一杯で、帰宅し、居るはずの蓮の姿がないことを知るディルクの心情に思い至らなかった。
同時に、残してきた家族のことが頭をよぎる。愛情過多な両親が嘆かないわけはないだろうが、いずれ悲しみを昇華し、前を向いていけることを蓮は願うしかなかった。
「いや、責めているわけではない。何もなかったのならいいんだ」
うん、と頷く。なんだかしょげているようなディルクの反応に、蓮は戸惑った。
まるで蓮が、意地悪をしたみたいだ。胸が痛んで、罪悪感が顔を出す。
「ほんとにちょっと散歩に出ただけで、すぐに帰るつもりだったんだ。メモでも残せればいいんだけど、俺、字が書けないからさ」
この国の文字は、なぜか読める。見たこともない文字なのに、不思議な感覚だ。けれどいざ書こうとすると、やっぱり未知の文字で頭の中には浮かばない。ちぐはぐな感覚が、蓮を混乱させた。
逆もあり得るのかと試してみたけれど、蓮の書く日本語は、ディルクには読めない結果となった。
「そうだったな」
「うん。そうだ、昼は食べた?」
「いや、まだだ」
「なら、作るよ。一緒に食べよう」
何にしようか考えて、結構万能なクレープにする。
生地は、実は簡単だ。材料もそう多くない。薄力粉、砂糖、牛乳、卵、家で食べるだけなら粉をふるうこともなく、順番に入れてぐるぐる混ぜて、焼くだけだ。
薄く綺麗にちりめん模様をつけるには、少しコツがいる。けどこだわらず、焼き加減はなんとなく適当に。焦げ目があってもいいし、なくてもいい。
(あ、きれいにちりめんもようができた)
ちょっとテンションがあがる。ふ、と蓮は口元が緩んだ。
「レン、何を作っているんだ?」
食事と言っておきながら、薄い生地だけを何枚も焼く蓮を不思議に思ったようで、のぞき込んでいたディルクが訊いてくる。この世界にはない食べ物なのかと、反応から推測してみた。
それか、ディルクが知らないか。
「クレープだよ」
「クレープ?」
「この生地に、具材を巻いて食べんの」
定番の甘い物もいいが、食事系のクレープも蓮は好きだ。
とりあえず昼食なので食事系を2種類かな、と考えている。足りなければ、また作ればいい。巻く具材は、結構なんでもいいと思っていた。
「こうやって」
まずは焼き上げた薄い生地にレタスを敷いて、ベーコンと迷ったが、ウインナーとスクランブルエッグをのせる。トマトソースをかけてくるりと巻くと、食べやすいように適当な紙を巻いた。
「その紙の部分を持って食べるのか?」
「そうそう、先に食べる?」
「待ってる」
まて、ができるらしい。
興味津々に眺めながらも、ディルクは手を出そうとはしない。子どもの頃から行儀良くしつけられている、家の可能性もあった。
「じゃ、残りもすぐ作るな」
次はレタスの上にスモークチキンとトマトにパプリカ、他にも目についた巻きやすい野菜も一緒にドレッシングをかけて巻いてしまう。本音を言えばツナサラダが食べたかったけど、ツナがないのだからどうしようもない。
(あとは)
せっかくなので、デザート用に甘い物クレープも作ることにする。生クリームがほしいところだが、手間はかけられない。あるものにしておく。
実は、蓮が色々作るようになってから、時間経過のない収納ができた方が便利だろうと、ディルクがバッグを買ってきてくれた。
――蓮のために買ってきたのだから、専用にしていい。
なんて言われても、安いものではないとわかるので、蓮は遠慮したのだが当然聞き入れてはもらえない。もう買ってきてしまったのだから、蓮が使わなければしまい込まれるだけだと言われ、負けた。
貴重そうなバッグなのに、すっかり食材、お菓子入れと化している。いいのだろうか、と思いながら、カスタードクリームと、試しに焼いて形がいびつになってしまったスポンジを取り出しカットして、キャラメリゼしたバナナと一緒にくるりと巻いた。
コーヒーがほしいところだが、すっかり淹れ慣れた紅茶をカップに注ぐ。
ダイニングテーブルに運ぶのは、ディルクが手伝ってくれた。
「足りなかったら、また作るからな」
あまった生地はバッグにしまってある。作っているところを見ていたディルクは、さっそくウインナーが巻かれている方を手に取った。
かじりついて、軽く目を見張る。食べ進めるところを見ると、気に入ったようだ。眉間にシワはない。
ぐうっと空腹を訴える腹に答えるように、蓮もクレープを手に取る。具材を巻きすぎたせいか、少し食べにくさを感じた。
「レン、うまいな、これ」
「甘い方がメジャーだけど、食事系も俺は好きでさ。ディルクの口に合うようならよかったよ」
「ああ、いくつでも食べられそうだ」
真剣な顔で言うから蓮は笑う。あっという間にディルクは食べ終え、次のクレープを手に取った。
「そうだ、ずっと頼みたかったんだけど、ディルクの学生時代の教科書、持ってきてもらうことってできる?」
「いいが、見ても楽しい物ではないだろう」
勉強はきらいです、と顔に書いてある。案外、ディルクはわかりやすい。
「ちょっとした興味かな。こっちの勉強とか気になるし」
「それなら簡単な読み、はできたな。書く方を教えようか?」
「あー……まずはそれだよな」
新たな言語の習得にチャレンジするか、蓮はまだ少し迷っている。読めるのだからいいかなと、どうしても逃げの気持ちがある。今のところ、ディルクに書き置きをするくらいしか、文字を書く必要性が感じられない。
平民の中には文字の読み書きができないものも多いというのだから、読めるだけいいかな、なんて問題を先送りにしていた。
「やっぱ書けないと、不便なことあるよなぁ」
今回のように、メモ一つ残せない。ダイイングメッセージはないと信じたいけれど、必要にかられる場合がないとは限らなかった。
「レン」
「ん?」
「この甘いやつ、すげぇうまいんだな」
表情を輝かせて報告してくるディルクに、蓮は眩しさを覚える。かわいい、かわいすぎる。語彙が消えて、小さく咳払いした。
「もうひとつ、甘いの作る?」
「いいか?」
「いいよ。せっかくだから中身違うのにするな」
「ああ。けど、レンが食べ終えてからでいいからな」
「わかった」
あーもう、なんだろうこれと、蓮は胸を押さえたくなる。やっぱり、食事は一人ではない方が楽しい。そんな風にディルクも思ってくれたらいいのにと、蓮も甘いクレープにかじりついた。




