9
「ディルク!」
書類の提出を終え、退勤時間も過ぎていたのでこのまま帰るつもりで城内を歩いていると、学生時代からの友人で同期のルイ・サランジェに声をかけられる。赤い髪色がそのまま性格をあらわしているような、朗らかで人懐っこい男だ。
何もかもがディルクとは正反対で、二人が親しげにしていると――実際は、ルイが一方的に喜怒哀楽をぶつけていると、周りからは首を傾げられることも多い。
――おまえはもう少し情緒育てろ!
――その言い方、直球過ぎだからな!
などと、ぎゃあぎゃあ文句を言いながら、面倒見の良さで誤解されやすいディルクを気にかけていた。
「なんか、久しぶりだな。最近は食堂で食べて帰らないだろ」
学生時代から続いた腐れ縁も、卒業後の進路までだった。
単純明快を絵に描いたような男は、繊細に魔力を込め操る魔法を苦手とする。その反面、体力、俊敏さには自信があり、主に剣術の腕を重視する第二騎士団に所属していた。
団が違えば、勤務中に顔を合わせる機会は少ない。そんな中でも会う確率が高いのは食堂なのだが、ディルクは最近行く頻度がめっきり減っていた。
「ちゃんと食べてんの?」
「家で食べている」
今までとは違い、家に帰れば温かな食事が用意されている。冷えた作り置きか、食材だけが用意されており、正体不明の料理を生み出すのを恐れて、野菜を丸かじりするようなことをしなくていいので助かっていた。
食材も、きっと喜んでいる。なにより帰宅に合わせて作られた手料理と共に、お疲れさまと出迎えてくれる人が自宅にいるのだから、食堂へ足を運ぶ理由がなかった。
「それは、あれか?」
「あれ?」
とはなんだ? ぱっと思いつくものが、ディルクにはなかった。
「あーそうだった。おまえには直球じゃないとだめだったんだ」
付き合いの長さで、ルイはすぐに察する。肩を落として見せる仕草は、相変わらず大げさだ。
「まあ」
そうだ。ルイの言い分は正しい。察しが悪いと、ディルクはよく言われる。嫡男ではないとはいえ貴族なのだから、言葉の裏を読め、もっと感じろと、学生の頃はよく言われた。
「面倒だからか?」
「面倒?」
「前に、希望した第三に入れなかったやつが、おまえに絡んできてただろ」
「……ああ」
そんなこともあったと、記憶の奥底に沈んでいた出来事が浮かび上がってくる。忘れていた。
というよりも、どうでもよくなっていた。
「食堂は、そーいうの日常茶飯事だけどさ」
特に貴族主義な第一騎士団が、他の団との関係があまりいいものではない。第一騎士団以外は平民の騎士も所属しているので、見下す態度の騎士がそれなりに多くいた。
元々そんな選民意識があったところに、第一王子殿下が第三騎士団へ配属され、完全実力主義と謳われるようになり、希望し配属されなかった勘違い甘ったれ貴族騎士が、勝手に第三騎士団の団員へ敵対心を向けていた。
「第三は実力主義なとこあって、マイペースというか、個性の強いのも多いし、やられたらやり返すか、相手にもしないけど、ディルクは妙に生真面目だから、なんか気にして食堂を避けてんじゃないかと思ったんだよ」
(そうだったな)
絡まれるのが面倒だと食堂を避け、家に帰る途中で、空から落ちてきた蓮を拾ったのをディルクは思い出す。もう、一月くらい前の出来事だ。最初は警戒心からなのか、蓮はずいぶんと遠慮がちだったが、今ではすっかり家に馴染んでいる。ディルクの中ではもう、蓮が家に居るのは当たり前のことになった。
(おかしなものだな)
今考えれば、すべてにおいてそうとしか言えない。自分の面倒さえロクにみられないのに、縋るような眼差しを向けられたからといって、動物を拾うように家に連れ帰るなど無謀だ。そんなことをディルクが考えていると、なあんだ、と気の抜けた声がする。
「違うみたいだな。それならいいんだ。急に顔を見なくなったから、どうしているのかと心配になったんだ」
「家で、待っている者がいるんだ」
「恋人でもできたのか?」
「まさか」
「じゃあ、なんか拾ったとか?」
案外、情が深いもんなぁとこぼすルイの推測は、見事に的を射ている。察しの良さに軽く驚いて、そうだなとディルクは頷いた。
「面倒を、見る責任があるんだ」
どちらかといえば、ディルクの方が面倒を見てもらっている。衣食住を物理的に提供しているだけなので、きっと比重は蓮の方が重い。給金が発生してもおかしくはない、家事スキルだ。
「テキトーに言っただけなのに、ホントだったよ。どこで拾ったんだ?」
「腕の中に落ちてきた」
「どこから」
「上から」
一瞬、沈黙が落ちる。
「いや、落ちてきたんだから上からだろうけどさ。違うって、そうじゃなくて」
「なんだ?」
ありのまま、ディルクは当時の状況を説明した。他に、言いようがない。
「いや、いいわ」
手のひらをディルクに向けて、ルイは話を止める。ふたりの間ではよくあることだった。
「なんとなく、その拾った猫だか犬だか、リスだか知らないけど、ディルクがかわいがってるのはわかった」
「……かわいがっているのか?」
「しらねぇよ!」
自分で言ったくせに、ルイは会話を放棄する。むうっと、ディルクは眉間にシワを寄せた。
「んなことより、飯はどうしてんだって話」
「作ってもらっている」
今までに食べたことのないメニューが、食卓に上ることも多い。そのどれもが美味しいが、ディルクは先日朝食に出された、黄金色のフレンチトーストが印象に強く残っている。バターでこんがり焼かれた表面と、中はふわふわでとろけるような食感だった。朝食のリクエストをするのに、ホットケーキと一晩迷ったくらいだ。
「そういえば、通いで来てくれる人がいるって言ってたな」
「ん? ああ」
「ま、気が向いたらまた一緒に食事しようぜ。どっかでバカに絡まれても適当にかわしておけよ。選民意識のあるやつは、第三に入れないってわかんねぇんだろうけど」
「そうなのか?」
初耳だ。公になっていないのか、ディルクは聞いたことはない。
「知らなかったのか? まあ、入団試験にこっそりと仕込まれてる質問があるなんて、フツー学生にはわからないけどな」
「ルイはなんで知ってるんだ」
「聞いた」
コミュニケーション能力の固まりのような男だった。先輩の団員にでも、世間話の流れで教えてもらったのだろう。
「殿下が第三に配属されるのをきっかけに、更に厳しくなったんだってさ。きちんと実力を見て、その上で調べられてるんだろうけど」
本当に、ディルクの希望が通ったのは運が良かったとしか言えない。貴族主義の第一だけは、嫌だった。
「第三は少数精鋭で、配属ゼロの年もあるからな。ディルクすごいよな」
「運が、よかったんだろう」
「運も、実力のうちだろ」
にかっと、屈託なくルイは笑う。
「引き留めて悪かったな、家で待ってるんだろ? カワイイコ」
かわいい? と、ディルクが首を傾げている間に、じゃあな、とルイは背を向ける。騒々しさは、学生の頃と変わらなかった。




