大切なものは
弟の柔らかな亜麻色の髪をそっと撫でる。いつも不思議に思っていた。母も妹も弟も髪の色は亜麻色で、瞳の色は紫。二年前に事故で亡くなった父は濃い茶色の髪に黒の瞳だった。
自分だけが金色の髪に緑の瞳だ。顔立ちも家族の誰とも似ていない。
だからだろうか……。母は自分にだけ厳しかった……。
「うん、考えても仕方ないね……」
眠る弟の側を離れ、掃除をしようとバケツとデッキブラシを取りに裏口へと向かった。表の扉から出入りすることが許されていないからである。
扉を開けると緑の瞳に飛び込んできたのは、お茶会に行っているはずの母と妹に姿だった。驚きのあまり声も出なかった。
母の表情がいつもと違うことに気付く。
「お……かあ……さま……」
声が震える。息が苦しい。
「シェルリー……。いい子だから……少しの間静かにしていなさい……。できわね……」
シェルリーには頷くことしかできなかった。母はシェルリーの手足をロープで縛り、布で目隠しとさるぐつわをした。
そして大きなずた袋に、やせ細ったシェルリーを入れて担ぐ。その一部始終を側で見ていた妹のブロッサム。
「ね……ねぇ、お母様……。その……。お、お姉様を……どうするの……」
不安げな表情で見上げる。
「しばらく、裏の庭の奥にある物置小屋にいてもらうだけよ」
「どうして縛るの?」
「騒がれたらまずいでしょうが。明日にはあのグレイ・マーモット様がやって来るじゃない」
グレイが明日、長女に会いに来る。その前にシェルリーを隠さねば。母はお茶会途中に慌てて屋敷に戻ってきたのだ。
「でも、お母様。グレイ様にはなんて言うの?お姉様に会いに来ていないなんて変に思うんじゃない?」
「そこは、ちゃんとご説明すればグレイ様も分かってくださるわよ」
母は担いだずた袋を、グッと持ち直した。その時。
「じゃあ、説明してもらおうかな」
「⁈」
「あ……、グレイ様……」
母は息を呑む。ブロッサムは再びこの美しい少年に会えた喜びで顔がほころぶ。
「で?心優しい長女はどこに?」
腕組みしながら仁王立ちする姿が神々しい。その後ろには、執事のアーク、メイドのメイメイが控えていた。
「ぐ、グレイ……様……。来るのは明日のはず……では……」
「あぁ、その予定だったが、気が変わった。一秒でもご長女にお会いしたくてね。で?彼女はどちらに?」
「え、えぇ。そのシェルリーは……、つい先ほど親戚の家に行きましたの……」
誰がどう聞いても嘘と分かる言葉を紡いでいく。
「そうですか。ではいつお帰りに?」
「あぁ。えっとそれが……しばらく、向こうで暮らすことになってまして……。はっきりとは……」
「それは残念です」
二人のやり取りを袋の中で聞いていたシェルリー。
この声は、グレイ!
どうしよう……。お母様には静かにしているように言われたけど……。
「はい、なので紹介できず申し訳ありません」
どうしよう……。このままじゃ、グレイは行っちゃう……。
ゴソ……。
「‼︎」
母の担いでいた袋が微かに動いた。急いで袋を担ぎ直し、誤魔化そうする。
「その大きな袋はなにが入っています?ご婦人が担ぐには重そうですね。うちの執事が代わりますよ」
「い、いえ結構でございます。これは、その、子豚でございます。今度の感謝祭のメイン料理に使う予定でございまして……。オホホホホ……」
さらに、袋がバタバタと動いた。
「そうですか……。ちょうど僕も感謝祭のメインを探していたところでしてね。できれば、その子豚譲っていただきたい」
「は、はい⁈」
パチン
グレイが指を鳴らした途端、トワレ夫人が担いでいた大きな袋はその手を離れ、空中にと浮かんでいった。
「あっ‼︎」
母と次女が同時に叫ぶ。
シュルシュルと袋の紐がほどけ、ボスっと地面に袋が落ちた。
「なっ!」
執事のアークは握り拳に力を入れた。すぐさまグレイがその手を制する。
「う、うそ……」
メイドのメイメイは涙が一気に溢れ、両手で口を覆った。見るもおぞましい光景が三人の目の前に現れたからだ。
グレイの青い瞳が一気に鋭さを増した。
今、瞳に映るのは手足を縛られ目と口を塞がれたボロボロのシェルリーの姿だった。
手を天に掲げグッと握ると、シェルリーを縛っていた紐、目と口を覆っていた布が一気にほどけた。そして、その手を自分の胸に引き寄せると同時にシェルリーの体もスッとグレイの腕に中にすっぽりと収まったのだ。
「あ……、グレイ……」
「遅くなってゴメン……」
切ない表情のグレイを見て、シェルリーはフルフルと首を左右に振る。
そんな健気なシェルリーをグレイは抱きしめ、額にキスをした。
「へ……」
シェルリーの素っ頓狂な声。
「なっ!」
妹ブロッサムの驚きの声。
「ほぉ」
執事アークの感心した声。
「きゃっ」
メイドのメイメイの喜びの声。
それぞれの声を発した。唯一、母トワレ夫人のみその場でへたり込み放心状態で声も出なかった。今、目の前の光景がまるで夢の中のできごとのように感じ、現実を受け入れられない。
「トワレ伯爵夫人。ご長女シェルリー・トワレ嬢をたった今から、グレイ・マーモットが譲り受ける。これは王宮一級魔法士のグレイの名のもとに命ずる」
「一級……魔法士……」
ようやく絞り出した声は消え入りそうだった。グレイの胸には国王陛下から授かった大きなブラックダイヤモンドが王宮一級魔法士の証として光輝いていた。