タペストリー
目覚めて以来、シェルリーは以前よりもグレイにくっついていることが多くなった。グレイが魔法授業に行く日も不安がり、なかなか離れようとしない。
「シェルリー、お昼には帰ってくるから。ね?」
何度も言い含める。必ず帰って来ると。シェルリーが納得するまで何度も伝えた。
執事のアークもメイドのメイメイも心配そうに見守っている。しかし、グレイ自身は意外にこの傾向を嬉しく思っていた。
「グレイ、早く帰ってきてね」
チュッとシェルリーからグレイの頬にキスをするようになった。グレイもお返しに頬と瞼にキスをする。
姿が見えなくなるまで見送る。パタンと扉を閉め、フーっとため息を吐く。
「グレイ、まだかなぁ」
「シェルリーちゃん、まだ五分しか経ってないわよ」
このやり取りを何度も繰り返していると、コンコンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。
「グレイ!」
「いやいやシェルリーちゃん。まだ三十分しか経ってない」
ハァーっと今度はメイメイがため息を吐く。アークが扉を開けるとそこには第一王子ルイハーグリットが立っていた。
「殿下」
「あ、あのシェルはいるか?」
「はい」
アークが後ろを振り向くと、シェルリーがソファーから降りてやってきた。
「ルイ」
「やぁ、シェル。迎えにきたよ」
「え?」
「母上が君に会いたがっている」
「王妃様が?」
目覚めて数日後に、グレイと共に王族の住む塔に行き約束通り王妃に会いに行った。王妃は優しくシェルリーを迎え入れ、何度も礼と謝罪をした。
それ以来、何度か王妃の元に通い絵本を読んでもらったり庭を散歩したりして交流を深めていったのだ。いつもはグレイが一緒だったが、今日は魔法授業の当番の為ここにはいない。
戸惑うシェルリーだったが、メイメイが気晴らしに殿下と行くように進める。
こう数分置きにグレイはまだかと聞かれるのに少々疲れが出たのだ。
第一王子と共に、王妃のところに行くならこの上なく安全だ。
まだ月下美人のエリアに入れない付き人の侍女と護衛の騎士と一緒に王族の塔へと向かった。
王宮の広間に通されたシェルリーは、第一王子ルイハーグリットと共に壁に掛けられた大きなタペストリーを眺めていた。
お供には精霊が宿った黒ネコのぬいぐるみフィーがシェルリーの腕の中にいた。
色とりどりの刺繍で描かれていたのは、シェルリーが見る夢の中の不思議な生き物の姿だった。
「すごい……」
さすがは王宮。圧巻のできである。
「これはドラゴンのタペストリーだ」
「ドラゴン?」
「お前、ドラゴン知らないのか?」
ルイハーグリットの質問に、コクリと大きくうなずく。
「ドラゴンはな、神聖な生き物なんだ」
「精霊とは違うんですか?」
「ドラゴンは知らないのに精霊は知ってるんだな」
またしても、首を縦にうなずくシェルリー。
「精霊は人の前に姿を現すことが滅多にないが、ドラゴンは住んでいる場所さえ分かればこちらから会いにいくことができるんだ」
第一王子の言葉にシェルリーは驚く。
「ドラゴンに会えるんですか?」
「あぁ、オレの父上はドラゴンに会ったことがあるんだぞ」
「国王陛下が⁈すごいです‼︎」
食い気味に感動するシェルリーを見て、鼻高々な表情をするルイハーグリット。
「ドラゴンはどこにす住んでいるんですか?」
「南東にある森の中心にドラゴンの谷がある。そこに住んでいるらしい」
「わぁ、行ってみたいです」
「バカか。そう簡単に行けるわけないだろ。危険が伴い、命懸けなんだ」
「え……」
「ドラゴンの谷にたどり着ける奴なんかほとんどいないんだ」
ルイハーグリットの話を聞いて、ガッカリするシェルリー。しばしタペストリーのドラゴンを見つめる。
そして、あることに気付いた。
「殿下、この周りはお花ですか?」
深い緑のドラゴンの周りには花のような形で刺繍がほどこされていた。
「あぁ、そうだ……」
急に声が小さくなりトーンが落ちたことに不思議に思い、王妃譲りの美しい顔立ちを覗き込む。
「これは……、虹の花だ……」
「虹の花?」
「虹の花は万能薬とも言われている、奇跡の植物なんだ」
「奇跡の……、植物……」
シェルリーは自分でも分かってはいたが、人よりも物事を知らないことが多い。現に今、第一王子ルイハーグリットとの会話でも初めて聞くことばかりで驚かされっぱなしだった。
「母上にはどうしてもそれが必要だった……。だから、父上はドラゴンの谷に探しに行ったんだ」
「え、王妃様……に?」
水色の瞳が少し寂しげに見えた。
「母上の病気はこの虹の花が必要なんだ。虹の花はドラゴンの谷にしか咲いていない。しかも、この花が咲くのは百年に一度だけ……」
「百年に一度……」
「父上がやっとの思いでたどり着いた時には、虹の花は咲いていなかったんだ。次に咲くのはあと七十年後だとドラゴンが教えてくれたらしい」
とてつもなく長い時間だった。流石に、そこまで待つことは不可能だ。
当然ルイハーグリットもそのことは理解している。
まだ小さな手が、タペストリーの花に触れる。俯いた顔は見えないが、光る雫が一滴ポタリとこぼれ落ちたことにシェルリーは気付いた。
悲しい沈黙が二人を包む。
「あ……」
シェルリーの突然の声に、ルイハーグリットが顔をあげた。腕の中に収まる精霊黒ネコのフィーも上を向いてシェルリーの顔を見る。
「私ならできるかも……」
「え?何を?」
「虹の花を咲かせることができるかもしれません」
シェルリーのその言葉に、ルイハーグリットの水色の瞳が大きく見開かれる。
「そうだシェル。お前は花を咲かせることができたんだね!」
「はい。虹の花にも私の魔法が効くか分かりませんが、もしかしたら咲かせることができるかもしれません」
諦めていたところに、一条の光が見えた。
第一王子ルイハーグリットは自分よりも小さなシェルリーに手を両手で握り、自分の額にその手を持っていった。
「シェル、頼む。どうか、どうか虹の花を……」
喉の奥から搾り出される声。先程までのオレ様王子とはうって変わって、ただの十二歳の普通の男の子になっていた。
母親を心から心配するまだ幼い男の子。
「殿下……」
思わずシェルリーの緑色に瞳も潤み、瞼を閉じた瞬間ポロッと雫が頬を伝う。




