黒ネコ
街でグレイに買ってもらった黒ネコのぬいぐるみを常に肌身離さず持ち歩くようになったシェルリー。
当然、寝る時も一緒だ。シェルリーの部屋のベッドの上で、手や足を動かしながら一人で遊ぶ。
「黒ネコちゃんはもう名前を付けたのかい?」
「はい。フィーです」
「フィー。可愛い名前だね」
グレイはそう言って、ラベンダー色のナイトドレスを上品に着こなすシェルリーの額にキスをおとす。
このナイトドレスも先日のショッピングでグレイが選んだものだった。バルーン袖にフリルとリボンがほどこされていて、色合いも少し大人びていた。
「名前はね、私が付けたんじゃないんですよ」
「え?誰が付けたの?」
こんなにも大事にしているのに、ぬいぐるみの名前をシェルリー本人以外が付けたと聞かされ驚く。そして同時に嫉妬のような感情も込み上げてきた。
一体誰が?まさかラルクか⁈
馬での散歩を許可して以来、二人の距離が近くなりここ最近は毎日のように会っていた。今さらダメとも言えず目を瞑っていたが、今後の対応をもう少し慎重にしなければならない時期がきたのかもしれないとグレイは真剣に悩む。
「フィーがね、自分から教えてくれたのよ」
「ん?」
シェルリーとラルクの仲を考えていたので、今の言葉の意味が理解できなかった。
「シェルリー、もう一度説明して」
「フィーがね、自分の名前はフィーだよって私に教えてくれたんです」
「フィーが……、自分から……?」
コクコクと何度も頷きながら、黒ネコのぬいぐるみを大事そうに抱きしめる。
「ねー、フィー。しかも男の子なのよ」
「どうして男の子って分かるの?」
「だって、ボクの名前はフィーって、教えてくれたから」
そう言うなり、黒ネコをグイッとグレイの前に突き出す。
黒のもふもふの毛に包まれたぬいぐるみ。金色のガラス玉の目が光っている。
「まさか……、精霊か……」
シェルリーはグレイが何を言っているのか分からず、小首を傾げながら黒ネコのフィーをフリフリと揺らした。
「シェルリー、フィーとはいつから話せるようになったんだ?」
「えっと、買ってもらった夜から……かな?寝る前にフィーと会えたことに感謝のお祈りしたら、フィーが話しかけてきました」
「あぁ……」
グレイの青い瞳を覗き込む。
「シェルリー、君は本当にすごい弟子だよ」
「え?」
大きな緑の瞳をパチパチと瞬かせ、黒ネコを抱きしめる。
「この子に精霊が宿ったんだよ、シェルリー」
「せいれい?」
初めて聞く言葉だった。
この世界には、ごく稀だが、魔力を持って生まれ魔法を扱える者がいる。魔力があっても、魔法を使いこなせる人間はさらに数が限られていた。
グレイのように一級魔法士となる程の魔法使いは世界中でも珍しく、その存在は神のように崇められている。そして、さらに数少ない存在が精霊だった。
通常人間の目に触れることのない存在で、不思議な力を持っていると言われている。
滅多に人の前に姿を現さない為、どんな形をしているのかも謎が多かった。ただし、ほんの一握りの人間とは疎通ができ、精霊がその者を気に入れば守護神となり守ってくれると言われいた。
精霊の存在は魔法使いに近く、魔力を持っているのでグレイのように強い魔力の持ち主であれば精霊かどうか判断することができた。
今、シェルリーの腕の中にいる黒ネコのぬいぐるみからは隠されているが魔力が感じられる。
「オレも初めてだよ。精霊はどうやらシェルリー、君を主として選んだようだな」
「あるじ?」
「そう。自分が守るべき人。この精霊フィーは今は黒ネコのぬいぐるみに宿っているけど、本来の姿はまた別なんだ。仮の姿を通してシェルリーを守っているんだよ」
「私を守る……」
シェルリーからすると、ただの可愛い黒ネコのぬいぐるみだが、グレイが言うにはどうやらものすごい存在のようだった。
「精霊フィー。オレはグレイ・マーモット。この国の一級魔法士でシェルリーの師匠にあたる。もし、シェルリーに何かあればすぐにオレに伝えてほしい」
グレイがシェルリーの持つ黒ネコに優しく話しかける。
「オレにとってシェルリーは、世界で一番大切な弟子なんだ」
「グレイ……」
真摯なその言葉に、思わずキュンとなるシェルリー。グレイと一緒にいると、時折、こんな感情になることがある。いまだに分からない感情だが、キュンと感じるのはグレイにだけだった。
「わかった。グレイにつたえる」
「⁈」
突如喋り出した黒ネコのぬいぐるみに驚くグレイ。
「フィー、君の本来の姿を見てみたいんだけど、いいかな?」
「グレイ……。そうしたいけどシェルリーのいまのまりょくではムリかな……。チカラがたりない。あるじのチカラがひつようなんだ」
「なるほど……」
指を顎に当て考えるグレイ。
「フィーが今できることは?」
「しゃべることと、うごくこと」
「なるほど……」
せっかく精霊が守護神になってくれたことを喜んだのも束の間、どうやらシェルリーの魔力不足の結果、精霊の本来の力は発揮されないらしい。
「シェルリーがもう少し成長して、魔力が増えれば元の姿になることができる?」
「そのとおり!もとのすがたになれたら、チカラもつかいこなせるんだけどね」
小さな黒ネコフィーは、短い手と足を動かしながら説明をする。シェルリーはその愛らしい動きを楽しそうに眺め喜んでいた。
「なるほど……」
シェルリー本人は精霊が宿ったことよりも、ぬいぐるみが動いたりしゃべったりする姿に感動しているようだった。
「さぁ、シェルリー。もう遅いから寝なさい」
「はい」
素直にベッドの布団に入り横になる。グレイがチュッと再び額にキスをすると、黒ネコのフィーを抱きしめそっと瞼を閉じ、すぐに夢の世界へと誘われていった。
時折見る夢……。一面、虹色に咲く花。その中心にいる大きな塊。深い緑色の鱗。
あぁ……。あの子だ……。
シェルリーはすぐに分かった。ここ最近、夢の中に出てくる子だと。いつも苦しげな声をあげている。
どうにかしてあげたいが、シェルリーにはどうすればいいのか分からない。
きっと助けを求めているのだろう。なぜかそう直感した。
助けてあげたい……。
夢から目覚めると、一緒に寝ていた黒ネコのフィーがもふもふの黒い手でシェルリーの金色の頭を優しく撫でていた。
「ありがとう、フィー」
そう呟くと、フィーはシェルリーの顔にスリスリと自分のもふもふ顔をくっつけてきた。それがたまらなく気持ちよくて、思わず笑い出すシェルリー。
その声を聞いたグレイが、扉をノックして顔を出す。
ベッドには寝転がりながら黒ネコのぬいぐるみと戯れる美少女シェルリーの姿が、青い瞳にしっかりと映る。
「フィーは確か男の子だったな……。まさか精霊にまで気に入られるとは、困った弟子だよ……」
ため息混じりに、キャッキャとぬいぐるみ遊びを楽しむ愛弟子を見守る魔法使いグレイだった。




