百合のエリア
「シェルリー、そろそろ時間だ」
ラルクと共に馬にまたがっていたシェルリーの体は空中に浮き、ポスンと迎えに来たグレイの腕の中に収まった。
「グレイ」
「今日は楽しかったか?」
「はい。き、騎士団の所を、あ、案内してもらいました」
「そのようだね」
ラルクを見てから、案内役を買って出たリーリーに視線を向ける。
「あ、ラルクに会ったのは偶然ですので……」
なんとか怒りを鎮めようと言い訳をするリーリー。
「ラルク、親切にありがとう。シェルリーはオレの弟子だ。そこんとこ、よーく考えて行動するように。これからは絶対に体に触れるな。分かったか」
「はい。仰せの通りに……」
釘を刺し、グレイはシェルリーを抱きしめたままその場を去っていった。
二人の様子を馬上から見つめるラルク。
「おいおいおい……。マジかよ。あの、グレイ・マーモットだぜ?あんなにも変わるのか?」
「あぁ、あれがシェルリーの力かもな。僕も驚いたよ。グレイ様があそこまで変わるなんて」
リュークの金色の瞳が二人の仲睦まじい姿を映していた。
グレイの部屋に戻る途中で、シェルリーの体からぐったりと力が抜けていった。どうやら時間切れのようだ。いつもの通り、グレイの腕の中で眠りに入ったのだった。
「楽しい報告はまた後でだな」
そう呟き、シェルリーの金色の髪を撫でる。
王宮内での生活はシェルリーにとっては好ましかった。特に体調面では。ゆったりとした生活の中、以前よりも格段に成長が進んできたのだ。
「シェルリーちゃん、これ見てー」
メイメイが持ってきたのは、色とりどりの可愛らしいマカロンだった。
「わぁ、可愛い!」
「でしょ?これ、ルルカ様からの差し入れよ」
「え?ルルカ様から?」
以前、王宮で出されたマカロンにいたく感動したルルカは侍女にまた仕入れてもらえるように頼んでいたのだ。
ピンクに緑、黄色や水色。キレイな色のマカロンがお皿に盛り付けられている。
いつものようにお祈りをして、パクリと食べる。そして頬に手を当て顔をほころばせた。
「んー、美味しい!」
このホクホク笑顔がたまらない。メイメイもアークも嬉しそうにシェルリーの笑顔を見守る。
「今日は本当に平和ですねー」
呑気に執事のアークが呟いた。
「アークさん、それってグレイ様がいないからでしょー」
「ハハハー、バレた?」
そう、今日はグレイが魔法使いのたまご達に魔法の授業を担当する日で、朝からここにはいないのだった。
本来、シェルリーも王宮内の魔法の授業を受けるべきではあるが、グレイからその必要はないと言われ参加はしていない。
その為、いまだにここにいる魔法使いのたまご、つまりグレイ達の生徒とは顔合わせをしていなかった。
グレイからリーリーにも決して、生徒達がいる建物には連れて行かないように約束をさせていた。
「後でルルカ様のところにお礼に行くわ」
「行くにしても一人で行動はしないでよ、シェルリーちゃん」
「そうですよ。後で怒られるのは私達何ですから」
「はい」
素直に返事をし、ぴょこんと椅子から降りてバルコニーへと出た。シェルリーはここからの景色が大好きだった。
王宮の庭園、大きな噴水、騎士団の見回りの馬。自然も多く、白や赤、青い羽の鳥も優雅に羽ばたいている姿が見れる。
「あ、ラルクだ!」
ちょうどこの時間、ラルクが庭園の見回りでやってくる。
バルコニーから手を振ると、それに応えて手を振りかえしてくれる。
「今日はシェルリー、一人かい?」
「メイメイとアークが一緒です」
バルコニーと馬上からの会話。
周りをキョロキョロ見回してから、ラルクは馬から降りて近くにあるオブジェへとジャンプし、バルコニーに近付く。
ラルクは騎士団に所属しているが、もともとは魔法使いのたまご出身の為、魔法も扱える。その腕前はリュークと同じサファイアクラスだ。
魔法と同じくらい剣術の腕もあり、騎士団団長から直々にスカウトされ十四歳で入隊し、それから二年が経った。
「グレイ様は?」
「今日は魔法の授業に行ってます」
「じゃあ、昼頃まで戻らないね。ねぇ、シェルリー。一緒に馬で庭園を散歩しないか?」
「え?」
自分の愛馬を指差す。
主人であるラルクを繋がれていなくともちゃんと待っている。
「でも……。メイメイとアークから離れないように言われてるし……」
バルコニーから身を乗り出しながらラルクと会話をする。ラルクはグレイの許可を得ていない為、グレイのゾーンには入ることができない。
いや、正確には入れるがペナルティとして体の一部が変化する魔法がかけられているので一発で無許可で入室したことがバレるのだ。
「ラルク様、シェルリーさんを誘うならグレイ様の許可をいただいてからにしてくださいね」
二人の会話に入ってきたのはグレイの専属執事アークだった。
「チッ。許可もらえるわけねーじゃん」
悪態をついて、サッとオブジェから飛び降り愛馬にまたがった。黒光する馬は立髪を揺らし、両前脚を高く上げていななく。
「じゃあな、シェルリー!」
颯爽とその場を立ち去っていくラルクを見送るシェルリーだった。
「いいなぁ。ラルクと馬で散歩したかった……」
珍しく自分の思いを口にした。それを聞いていたアークは、少し悲しげに見つめる。
「グレイ様の溺愛ぶりも少々度が過ぎるのではと思うよ」
「確かに……。シェルリーちゃんには自由が全くないですからね。せめて、ここにいる間はもう少し好きに行動できるといいんですけど……。ムリですね」
「ムリだな……」
バルコニーから馬を走らせるラルクの背中を追い続けるシェルリーの姿に、アークもメイメイもため息を吐く。
主のグレイは、過保護過ぎるほどシェルリーを囲い、自分が授業や会議で離れる時は決して許可なく敷地内からは出さなかった。
「ルルカ様のところなら行っても大丈夫かな……」
この声はアークにもメイメイにも聞こえていなかった。
ルルカの部屋は今いる場所から一番近いところにあった。一級魔法士はそれぞれエリア別に別れており、城内に自由に使える部屋がいくつか用意されている。
グレイのエリアマークが月下美人。
この花のレリーフが飾らせているエリアには、グレイの許可がある者しか入れない。その為、王宮侍女も各魔法士専属となり、担当エリアのモチーフの刺繍がほどこされた印を持っている。
こっそりと部屋を出たシェルリーは、月下美人のステンドガラスの前を通り過ぎ美しい柱の先を突き進んで行った。
「あ……」
途中から廊下の色が変わった。ここは共有エリアだ。そして、その先がルルカのエリアとなっている。
シェルリーが立ち止まったところからも、ルルカのマークであるユリのレリーフが見える。
「ここから先は、ルルカ様の許可がないと入れないんだよね……」
ルルカかリュークが部屋から出てこないか背伸びをしながら、しばし待ってみる。
出てこない。ジャンプをしてみたり、伸びをしたり、ウロウロしてみたりと時間をつぶしてみたが、お目当ての人物は現れなかった。
「んー。ここから先入ったらどうなるのかな……」
確かリュークが、体の一部が変わってしまうって怖がってたけど……。でも一日経てば戻るんだよね。
恐る恐る、ユリのレリーフが飾られているエリアに足を伸ばしてみる。
と、その時。
「シェルリー?」
「あ!リューク!」
慌ててパッとその足を引っ込める。
「どうしたの?」
「え、えっと。ルルカ様に美味しいマカロンいただいたので、そのお礼を伝えたくて」
「そうだったんだ。今、ルルカ様を呼んでくるから待ってて」
水色の少し長めの髪がふわりと揺れ、リュークの姿が室内に戻った。そして、すぐに中から艶やかな真っ赤な髪の一級魔法士ルルカが顔を出す。
「まぁ!シェルリー!あなたから来てくれるなんて嬉しいわ!」
満面の笑みで、シェルリーに話しかけてくるが少々距離がある。
「ルルカ、マカロンを」
「え?」
「えっと、美味しいマカロンを」
「え?」
リュークは腕組みをし壁によりかかりながら、師匠のルルカを眺めていた。
この人、絶対わざとだな。
「あ、えっと……」
ルルカにはシェルリーの声がちゃんと届いていないのだと感じ、思わず一歩、二歩とユリのエリアに踏み込んでしまった。
しかし、当の本人は全く気付いていなかった。ルルカはシェルリーの行動にニヤリと口角を上げ、リュークの顔は青ざめていった。
「ルルカ様……、これはマズイのでは……」
「なんでよ、入ってきたのはシェルリーの意志よ」
「いや……、これは誘導では……」
「黙っていればバレないわ。リューク、黙ってなさい。じゃないと、あんた殺されるわよ」
「ひっ!」
コソコソと二人で話をしているのでその会話はシェルリーには聞こえていなかった。
ちょこちょことルルカの前までたどりついたシェルリー。
「ルルカ様、美味しいマカロンをありがとうございました!」
笑顔で伝えると、目の前の魔法使いは茶色の瞳を輝かせなぜか口を半開きに放心状態になっていた。
隣に立つ弟子のリュークも、頬を赤く染め金色の瞳を見開いている。
シェルリーのお礼の言葉に反応がないので不思議に思い小首を傾げた。
「な」
「な?」
ルルカの言葉を繰り返す。
「な、な、なんて可愛らしいの‼︎」
ルルカが発狂し、シェルリーの小さな体を抱き上げた。まるで、高い高いをするかのように上まで持ち上げる。
「ふえっ」
いきなりの行動でシェルリーは驚いて、変な声を発してしまった。
「ルルカ様、危ないですよ」
「だって、だって、だって!見てよ!何これ!」
「だからルルカ様、興奮しすぎですって!」
「リュークもこれ見て何も感じないの⁈」
「え?いや……。それは、可愛すぎるとは思いますが……」
もじもじしながらルルカに両脇を抱えられ、プラーンとぶら下がったシェルリーを見つめる。
「ですが、本当にこれヤバイですって」
「ね、ね、シェルリー、こっちにいらっしゃい」
普段グレイが抱えている抱き方でシェルリーを部屋の中に連れて行った。
ルルカの部屋はグレイの部屋の内装とは全く異なり、女性らしさが溢れていた。
飾り細工がほどこされた家具はどれも美しく、壁には景色の絵画が飾られている。
テーブルの上には花があり、キャビネットの上には宝石が並んでいた。
「ほら、シェルリー見てみて」
ルルカが案内したのは金縁の大きな姿見の前だった。
そこに映った自分の姿を見て、シェルリーは息を呑む。
「ほわぁ!ね、ネコの耳……?」
素っ頓狂な声を出しながら、自分の頭からニョキッと生えているネコの耳を触ってみる。
鏡には金色の頭から可愛らしいシルバーの毛色の耳がピンと立っていた。
「ルルカ様……。どうするんですか。これ明日の朝まで消えませんよ」
「いいじゃない。こんなに可愛いんだから。グレイもきっと感謝の気持ちでいっぱいになるわ」
「いや、それは絶対にないはず……」
燃えるような深紅の髪のルルカは、ネコ耳姿のシェルリーに頬を寄せてすりすりとしてくる。
「このホッペ、すっごく柔らかいわ。グレイったら、こんな癒しを独り占めなんて許せない」
「いやいや、シェルリーはグレイ様の弟子ですから」
「あら、ここにいる限りみんなのシェルリーよ」
そう言って、シェルリーを抱っこしながら部屋中を歩く。まるで我が子をあやすように優しく髪を撫で、頬を擦り寄せ、時折ギュッと抱きしめた。
これはシェルリーにとって初めての感覚だった。
茶色の優しい瞳、グレイとは違って柔らかい体、そして甘い香り。
不思議そうにジッとルルカを見つめる。
「どうしたの?シェルリー」
ルルカの声でフト気付く。
これが、きっと母親の温もりなのだと。自分はこんなにも温かく優しい感情を今までに経験したことがなかったが、それでもこれは分かった。
自分を慈しんでくれる愛情だと。
何も言わず、シェルリーはキュッとルルカの首に抱きついた。
そして思わず溢れ出た感情から出た言葉が、ルルカとリュークの心に突き刺さる。
「お母様……」
ルルカの瞳が潤み、腕の中に収まる小さなシェルリーを再び抱きしめた。
「決めたわ。シェルリーを養女にする!」
「はい?」
師匠の突拍子もない提案にリュークが頭を抱える。
「ねぇ、シェルリー。私の子供にならない?」
「え?」
「ルルカ様、勝手にそんなこと言わないでください。グレイ様がブチ切れます」
「そうね……。グレイの許可がないとムリよね……」
そこは理解しているようだ。
「じゃあ、シェルリーからグレイにお願いしてみて」
「え?」
「こんな可愛い姿ですりすりしながらお願いすれば、グレイもイチコロよ。さぁ、そうと決まればシェルリー。練習を始めるわよ!」
「練習?」
意味が分からず、小首を傾げる。ネコ耳のせいかシェルリーがいつもよりも数倍輝いて見えるルルカとリュークだった。




