18 交錯する想いを紐解いて
突然の婚約の申し込みに、心臓が一瞬止まり、息を吹き返した私は椅子の上でめまいがした。まさか、こんなにもドキドキするものだと思っていなかった。
ジャスミン様のお眼鏡にはかなった、ということよね? いえ、ジャスミン様は関係ない。
私が、バロック様をどう思っているかが一番大事なことだ。
差し出された手に、手を重ねれば、それは了承の証となる。いつまでも待たせる訳にはいかない。けれど、私はちゃんとバロック様について考えた事があったかな。
自分の気持ちとして、バロック様のことをどう思っているかを、考えたことがあったかどうか。
答えは、ない。
「すみません、バロック様。あの、お断りではないのです。お断りではないのですが、一度、座っていただけますか?」
「はい、いいですよ」
私の無作法な申し入れに、彼は微笑んでソファに戻る。
「あの……私、仰っていたように、ずっと誤解をしていました」
「はい」
「ジャスミン様がバロック様を好きなのだろう、と。それなら応援しよう、天使のようなあの子に好かれて嫌な男性などいない、と……思って、いたので」
私はその言葉を口に出した時、自分の中のコンプレックスのようなものを自覚してしまった。
そう、あの美貌の前では、あの朗らかで優しい性格の前では、私なんて霞んでしまう。
声がどれだけよくとも、私にジャスミン様程の明るさも美貌も備わっていない。あるのは、ほんの少し友達を応援しようとか、卑屈にならないでいよう、とか、そういう気持ち。それも全て、ジャスミン様が私に教えてくれたことだ。
私の卑屈に一番側で怒ってくれていたのはジャスミン様で、私は彼女が怒ってくれたから、卑屈にならずにいられただけだ。彼女が好きでいてくれる、そんな私を、私も好きでいた。
だから、私を構成する中に、ジャスミン様がいる。バロック様は、ジャスミン様をやっぱり好きなんじゃないか、という気持ちが拭えないのは、そのせいかもしれない。
でも、私に跪いてくれた。ジャスミン様じゃなく、私に。ローラン様に遠慮しているのかとも考えたけれど、バロック様の顔を見れば、そのようなことをする人ではない。きっと、男性同士の友情では、恋を譲り合うなんてことはないのかもしれない。
「どうしましょう、バロック様……私は、バロック様に相応しい人間ではないかもしれません」
「どうしてそんなことを?」
「……私が、ジャスミン様に教わったことはたくさんあります。彼女は私のことを、私以上に好きでいてくれて、私はそれに救われていました。本来の私は……とても卑屈で、コンプレックスもある、嫌な女だと思うのです」
バロック様が長椅子の端に寄って、私の手に手を重ねる。驚いて俯いていた顔をあげると、微笑んだバロック様と目が合った。
やはり、ジャスミン様と重なる。それでいて、全く違う人だ。
「人は、生まれた時に全て決まる訳ではありません。貴女がジャスミン嬢と過ごした時間で得た自己肯定感や、他人に対する優しさや観察眼、慮る心は、貴女が育てた貴女の一部だ。私はそれを否定して欲しくない。私が出会ったのは、ただ声が素晴らしいだけの女性じゃない。その性質も、仕草も、見た目も、全てが私の魂を持って行った。どうか、私の魂と添い遂げて欲しい。君は、本当に素敵な女性です、フリージア」
名前を呼び捨てにされて、顔が赤くなる。言われた言葉が、ゆっくりと地面に雨が染みるように、しとしとと優しく降り注いでくる。
今の私を作ったのは、私だけの力ではない。けれど、それでいい。そうやってできた私に、バロック様は求婚してくれた。
交錯する想いを紐解いて、私の中に残ったのは……バロック様への、純粋な好意。
「貴方があまりに綺麗で、何もかもが優しく、賢くて、人間じゃないんじゃないかと……天使なのではないかと、思う時があります」
「私にも嫌なところはありますよ。フリージア様をこの世で一番愛している女性を差し置いて求婚し、親友の恋の手助けはしてやらない。他にも、貴女を口で丸め込もうとしている。私はただ、貴女が好きで結婚したい、それを押し通すために必要なことをやってる、悪い男です」
そんなことを優しく微笑みながら言われても、とうてい信じてあげられない。
「バロック様、婚約のお申し出、お受けいたします」
悪い男かどうか、これから一生をかけて、……何せ私は彼の魂を持って行ってしまったらしいので、検証しなければならない。
バロック様が悪い男でも、私の好きは、変わらないだろうから。