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18 赤ん坊、領都に着く

 馬車はロルツィング侯爵に入り、東へ向けて左折した。

 一週間前の小旅行時と同じく、空は快晴、馬たちはかぽかぽと軽快に歩みを進める。

 いかにも我が領より豊穣そうな畑地が、道の両脇にどこまでも続いている。

 このまま街道はロルツィング侯爵領と今は王領になった元のディミタル男爵領を抜け、エルツベルガー侯爵領に入ることになる。


 車中、ミリッツァはずっとご機嫌だった。

 座席に降りて僕と綱引き遊びをしたり、疲れるとベティーナの膝でうたた寝をしたりしながら、ほとんどぐずることもない。

 東の湖が街道近くまで迫り出す景勝地で昼食休憩をとるときには、一行全員爽快な表情になっていた。

 僕とミリッツァはもちろん、兄もベティーナも、護衛のテティスとウィクトルも、こちら方面へ来るのは初めてだという。

 やや小高い丘から湖を見下ろし、遠く北の山々が並ぶ景観を望む。

 目の上に掌をかざして、ベティーナは声を上げた。


「ねえねえヘンリックさん、あちらがわたしたちの村ですよね?」

「そうですな。少し角度は違いますが、あの山はお屋敷からも北に見えているものです。だから、あの手前が我が西ヴィンクラー村ですな」

「すごい、もうこんな遠くに来ちゃったんですねえ。ほらほらミリッツァ様、あちらがミリッツァ様のお家ですよお」


 ベティーナが頭の上まで持ち上げてやると、ミリッツァは「きゃーー」と手を叩いて喜んでいる。まあ、ただ『高い高い』が嬉しいのだろう。

「もっと高くして上げましょう」とテティスが代わって、さらに長身の頭上まで抱え上げた。ミリッツァの歓声が、さらに甲高く湖に向けて落ちていく。

 振り向いて、僕はウィクトルと目を合わせた。ぱたぱた手を振ると、意味を察してくれたようだ。

 苦笑いで、大男が兄から僕を受け取り、同じく頭上に差し上げてくれる。わずかながらも遠くの山並みが持ち上がり、手前の湖面が広がる。

 何よりも、我が家でいちばん長身の頭の高さまで持ち上げられ妹に勝って、『余は満足』だった。

 休憩の残り時間、ミリッツァと僕はひとしきり緑の草むらの上を転がって遊んだ。


 予定以上に道行きは捗り、まだ陽の高いうちにエルツベルガー侯爵領に入った。

 領都のツェンダーという街は、ロルツィング侯爵領のデルツに負けない賑わいに見える。中央の堅牢な城壁に囲まれたそれこそ城のような屋敷が領主邸だそうで、そこに近づくにつれ道の両側の商店が賑やかに人を集めている。


「時間に余裕があるな。ヘンリック、領主邸を訪れる前に街中を少し見ていけないか」


 兄が訊ねると、執事は「いいでしょう」と返事した。

 宿屋兼休憩所という店に馬車と馬を預けて、徒歩で店の建ち並ぶ通りに出る。

 休日に当たる土の日というせいもあるのだろうか、通りはそれこそ祭りのような人出だ。

 見たことのない果実などを店先に見つけて、ミリッツァを抱いたベティーナが歓声を上げる。


「わあ、これブドウですよね。本物を初めて見ましたあ」

「本物と言っても季節外れですから、それはおそらく氷室で保存した見本ですな。ブドウはエルツベルガー侯爵領の特産ですから、ジュースや干しブドウなら奥様たちへのお土産によいかもしれません」


 兄も賛成したので、ヘンリックは壷に入ったジュースと干しブドウを購入している。

 屋台の串焼きに目をつけて、兄は店員に訊ねている。


「これは何の肉だ?」

「イノシシでさね。そちらにあるのはニワトリだ」

「玉子を茹でたのもあるのだな」

「そうさ。お客さんは遠くから来なさったかね。イノシシは東の山でよく獲れるし、ニワトリはこの街のすぐ外でたくさん飼育している。どちらも他の領地じゃ真似できない、エルツベルガー侯爵領の名物さね。肉や玉子は、王都まで売りに出しているんだ」

「なるほど、肉が豊富なのは、羨ましいな。玉子はともかく、ニワトリ肉も食べているのは知らなかった」


 頷いて、兄はイノシシ肉の串焼きを買っている。

 おそらく領主邸に着いたら晩餐に呼ばれるはずなので、ここでは味見程度だ。串から外して皿に盛ってもらったものを、ベティーナや護衛たちにも食べさせている。

 もちろん僕もミリッツァも、これは食べられない。


「わあ、タレに甘みがついているんですねえ。面白いですう」

「うむ。食べ慣れない味だが、うまいな」

「でしょう。砂糖を使った贅沢な味つけは、うちだけなんでさね」


 屋台の中でも価格が高めの店を選んだらしい兄は、納得の顔で頷いている。

 さらにいくつか質問を重ねているうち、屋台の店員はいきなり後ろを振り向いて怒鳴った。


「こらこそ泥、商品に手を出すんじゃねえ!」

「わあ!」


 裏手から近づいてきていたらしい薄汚れた身なりの子どもが二人、びくりと跳び退っていた。

 狙っていたのは、店の横手に積んでいた茹で玉子のようだ。

 店員が拳を握って威嚇すると、たちまち「逃げろ!」と子どもたちは駆け出していった。ばたばたと、路地奥の小さな家屋が混み合った方へ逃げ込んでいく。


「まったく、あいつらときたら。いやお客さん、失礼しましたね。遠くの方に、恥ずかしいものを見せてしまって」

「ずいぶん栄養状態の悪い子どもに見えたが。ここら辺、あんな子どもが多いのか?」

「いや、もともとの領都の子どもは、そんなでもないでさね。最近、よそから入ってきたのが多いんでさ。まあ、しかたないところもあるんですがね。北の方は二年続きの不作だそうだから。家族揃って夜逃げみたいなの、多いらしいさね」

「なるほど、あの冷害のせいか」

「いやお客さん、この街がそんなひどいって思わないでくださいよ。領主様もいろいろ考えて、そんな逃げてきた連中にも少しずつ仕事が見つかるようになってるですさね。冬の初めよりはずいぶん、無職の奴は減ってるです」

「なるほど」


 兄の身なりやヘンリックと護衛がついているのを見て、貴族階級だと理解しているのだろう。店員は必死に言い繕いを試みているようだ。

 それにしても。我が領の状況がひどすぎて他を考える余裕をなくしていたが、やはり元ディミタル男爵領もこのエルツベルガー侯爵領も、北部の低温被害は同様だったようだ。

 店員に礼を言って、兄は屋台を離れる。


 馬車に戻って、改めて領主邸に向かった。

 かなり頑丈そうな扉の門をくぐって、招き入れられる。

 目の前にに現れたのは、まるで城のような、豪華な三階建ての建築物だ。

 中では背の高い、うちの父と同年代かと思われる男に迎えられた。


「ようこそいらっしゃいました。当家の長男、テオドール・エルツベルガーです」

「お初にお目にかかります。ウォルフ・ベルシュマンです。こちらは弟のルートルフと、腹違いの妹ミリッツァです。お招きいただき、ありがとうございます」


 兄の挨拶を聞きながら、テオドールはどこかにやにやとした笑いを浮かべ、値踏みするような目を注いでいる。

 蔑まれているような不快さではないが、何となく落ち着かない態度だ。

 持参した土産をヘンリックから相手の使用人に渡し、我々は二階の部屋に案内された。簡単に身なりを整え、侯爵に挨拶に出向くことになっている。

 部屋はこちらからの申し出で、子ども三人同室にしてもらっている。貴族のもてなしの慣例にはそぐわないかもしれないが、ミリッツァを僕と離せない以上、これがいちばん落ち着きがいいのだ。

 入るとすぐにベティーナが僕らの服装を整え、荷物を片づけた。

 ミリッツァのおむつ交換に別室へ連れていった間、僕と兄は簡単に打ち合わせをした。

 間もなく侍女が迎えに来て、侯爵の執務室に案内された。そのまま二階の長い廊下を進んだ先らしい。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 侯爵家なだけあり結構羽振りが良さそうなエルツベルガー本家、これに頼らず領地を回していたパパンに男気を感じるし貧乏暮らしを乗り越えて赤さま兄弟を育てたママンの胆力もたいしたものです。
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