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9 赤ん坊、調理実験を見る 1

「これだけ聞くと、まったくいいところがないみたいだが。ヘンリックの言うように、経験的に他のものより体力温存に効果があるということは、他の豆などに比べて栄養の点で優れているということなのではないかな」

「そういうことにはなりそうですな」

「古文書の中で、もしかすると近いかもしれない豆のことを見つけたのだが。その豆は小粒でも、栄養価は獣の肉に匹敵するというのだ。肉の替わりにスープに入れて食べるだけで、十分栄養は摂れると」

「ほう、それは」

「ただその豆も、一晩水に漬ければ食用に使えるということだったが、キマメはそういかないというのが難点だな。もしかすると、もっと長く水に漬ければまた違うのではないか? ランセルはどう思う?」

「うーん……もしかすると、そうかもしれない、す。俺が教えられた他の豆の使い方は、夜寝る前に水に漬けて翌日の昼から煮始める、という感じ、すが」

「だいたい半日、二十四刻といったところか」

「そう、すね」

「それを倍、丸一日の四十八刻に延ばしてみたら、どうだろう」

「やってみないと、分かりません」

「試してみよう。今から水に漬けたものと、今夜寝る前に漬けたもの、二種類用意して、明日の昼から煮始めてみる。ランセル、準備を頼めるか」

「かしこまりました」


 ランセルに処理を任せて、続きは翌日ということになる。

 この日は天気もよくないので午後の散歩はやめにして、兄は「俺の部屋で遊ばせる」と、僕とミリッツァを抱いて二階へ上がった。

 またベッドの上で妹と戯れながら、翌日の手順を相談する。

 今日決めた試みの結果でいろいろ対処は変わるので、綿密な打ち合わせになる。

 しかも前夜また、久しぶりに夢に『記憶』が登場して伝えてきたややこしい知識もあるので、ますます説明は煩雑になった。

 かなり一方的に僕から話した後、急激に眠気に襲われてきた。


「何だ、眠くなったか?」

「ん……どうしたろ」

「頭の使いすぎじゃないのか。前からお前、話が長くなった後は寝つきが早くなっていただろう」

「そう……だっけ」

「自分じゃ気がついてなかったか? とにかく、少し休め」

「ん」


 膝に絡まる形でうとうとを始めた妹とともに、少し仮眠をとることになった。

 夜眠れなくならないように、ほどほどで兄が起こしてくれる。


 次の日やはり昼食前、同じ顔ぶれが集まった。

 ちなみに僕は兄の腕に抱かれて、ミリッツァとカーリンはこちらから見える玄関ホールでザムに乗って歩いている。

 ランセルが大きめのボウルを二つ持ち出して並べた。それぞれ水の中に、クリーム色の膨らんだ豆が沈んでいる。


「こちらが丸一日水に漬けたもの、こちらが一晩漬けたもの、す」

「ほう、ずいぶん膨らむものですな」

「一日と一晩で、あまり見た目の違いは分からないな」


 ヘンリックと兄がボウルを覗いて、感想を口にする。

 確かに乾燥したものの二倍以上になったと思われる粒に、どちらのボウルのものが大きいといった区別はできそうにない。


「まあこれで、茹でてみよう。どれくらい時間がかかるかな」

「一刻も見ればいいんじゃないかと」

「じゃあその見当で、別々にやってみてくれ。その間に、先生と昼食にしてもらえるか」

「かしこまりました」


 二種類の豆は別々の鍋に入れられて、二口の竈で同時に火にかけられる。

 食事には母も同席して、試みに励ましがかけられた。


「先生も協力いただいて、ありがとうございます」

「いえこちらこそ。ウォルフ様の発想には、いろいろ刺激がもらえてありがたいです」

「おいしいものができたら食べさせてね、ウォルフ」

「はい、もちろんです」


 居間に戻る母を見送って、一同で竈の前に集まる。

 それぞれの鍋から一粒を拾い出し、指で潰してランセルは「いいよう、す」と火を消した。

 ざざ、と笊にあけ、湯気の立つ豆の一部を皿に取り出す。

「どうぞ」と差し出された皿から、匙で一粒すくって兄は口に入れた。

 先生とヘンリックもそれに続く。


「一晩の方は、まだ固さが残っていますな。固さにムラがあるというか」

「丸一日の方は、少しましなようです」


 ヘンリックと先生の感想に、兄は頷いた。

 丸一日の皿からもう一粒すくい、口に入れてしばらく舌触りを確かめる顔で考えて、


「少しましだが、まだ固さがある。ということは、もう少し水に漬ける時間を長くしたらもっとよくなるのかな」

「一日半とか丸二日とか、やってみますか?」


 同じく口に入れて確かめていたランセルが訊いた。

 それにまた少し考えてから、兄はもう一度頷いた。


「やってみる価値はあるかもしれないな。ランセルとウィクトル、済まないが俺の部屋にあるかめを運んできてくれないか」

「水に漬けたのがあるんすか?」

「ああ。これが到着した日に、どんなものかとやってみた。丸二日近く経っていることになる」

「はあ、そうなんすか」


 首を傾げて、ランセルは戸口に立っていた護衛とともに出ていった。

 ウィクトルと二人が指名された理由は、戻ってきた様子を見てすぐに納得された。大人が一抱えする大きさの瓶に水がいっぱいで、二人がかりでないと大変な重さなのだ。ウィクトルならもしかすると一人でも大丈夫かもしれないが、階段を下りることを考えると無理は避けた方がよさそうだ。


「こんなにいっぱい用意した、すか?」

「ああ、うまくいくようならいろいろ試してみたいと思ったのでな。しかし一人で持てない重さにするつもりはなくて、失敗だったかもしれない」


 皆の苦笑を受けながら、試みは再開された。兄の用意した豆を、また一刻ほど茹でる。

 結果は、かなり食用に堪える柔らかさになっている、ということだった。

 全員で試食して、兄は僕の口にも一粒入れてくれた。

 離乳食仕様の僕の少ない歯でも、噛み潰すことができる感触だ。特に味付けはしていないが、かすかに素朴な甘みが広がる。

「うまうま」と笑顔を見せると、全員の顔が綻んだ。


「これならスープに入れても、違和感はなさそうですな」

「しかし、丸二日、すか。一食のためにそんな気長に水に漬けようなんて、ふつう考えないすよ」

「それでもそれでここまで改善するなら、世に広める価値があるのではないでしょうか」


 勢い込んで頷き、ベッセル先生は少し考えて続ける。


「これだけ長時間水に漬ける必要があるというのは、よほどこの豆は皮が固いか厚いか、なんでしょうね。その皮を何とかすれば、別の処理方法もあるかもしれません」

「そうですね」


 頷いて、兄はさっきの瓶を覗いた。

 今茹でた分をとっても、まだ中身が大量に残っている。


「この、水に漬けた後の調理法も、また別のを試してみたいんだが。ランセル、言う通りにやってみてくれるか」

「はい」


 瓶から、またひとすくいの豆を笊に取る。

 大きな鍋に、少なめの湯を沸かす。

 豆を入れた笊に綺麗な布巾を乗せて、鍋に入れる。

 鍋に蓋をして、そのまま加熱を続ける。

 茹でたときと同様、一刻程度。


 さらにもう一種類の調理をと、兄の指示でランセルが作業をしているうち、その一刻が過ぎていた。

 蓋を開けると、もうもうと湯気が立ち昇ってくる。

 また豆の柔らかさを確かめて、ランセルは鍋から笊を取り出した。

 試食して、ベッセル先生は目を丸くした。


「直接湯の中で茹でたわけではないのに、十分柔らかくなるものですね。それにこれ――さっきのものより味が濃い気がします」

「こんな料理のしかた、初めて、す。しかし、ちゃんとできてるし、おいしい」


 一粒口にして、ランセルも驚きの顔だ。

「私もこういうものは初めてです」とヘンリックも感心している。

 この一粒も、兄が僕の口に入れてくれた。

 十分柔らかく、確かにさっきのものより豆の味が濃厚だ。

「うま」と、僕はさらにご機嫌の笑顔を作る。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 豆は栄養豊富なのは確かなんだけど、1番の問題は柔らかく煮込んでも栄養を吸収しきれないってところがね……大豆なら最も吸収効果が高く保存性も抜群な味噌にするのが最適解なんだろうけど。
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