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赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録【書籍化】【コミカライズ】(旧題:赤ん坊の起死回生)  作者: eggy
第三章 赤ん坊の艱苦奮闘

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167 赤ん坊、還る

 翌日は土の日だが、ダンスクとの会談に赴いた代表団が帰国するということで、報告を聞くために執務室に入った。

 午近くになって訪れた王太子によると、会談はおおむね予想通りに終わったとのこと。

 ダンスクは賠償に応じ、こちらからは捕虜引渡しの手順を詰めた。五カ国で話し合いを持ち、制裁措置の段階的緩和について申し合わせた。

 なお交渉の末、ダンスクがアマカブ製糖の特許申請に唱えていた異議を取り下げるのと引き換えに、賠償金を多少減額するということで合意した。むしろ特許認定手続きの進捗を後押しするということになったらしい。

 かの国にとって手痛い支出をできるだけ抑えるために、背に腹は代えられない妥協の選択になるようだ。

 我が国としてはこれで近々、アマカブ糖の販売を広げるとともに技術を国外に供与して、大きな外資を得る道筋が見えてくることになる。

 今回も代表団の長として赴いたエルツベルガー侯爵が宰相と密に連絡をとって進めた交渉の結果ということで、こちらとしても疑問の余地はない。

「何とかこれで、一件落着だな」と、王太子は満足げにティーカップを口に運んでいる。

 正面から見ていて、何処か実母と似たものを感じてしまう表情だ。


「まだ制裁による三カ国でのアマキビ糖輸入制限が解けないうちに、アマカブ糖の製産を増やして周知を図る。早晩、両者が拮抗する程度の流通には持ち込めるだろう」

「ん」


 特許申請が通るのは時間の問題と思われていたのだが、このどさくさでさらに流通拡大の方策を採る余地が生まれたというわけだ。

 アマカブ製糖特許の権利者は、ベルシュマン子爵領として申請している。これで当面、いっそう領の財政に潤いがもたらされることになる。

 一年近く前に兄と始めた、領を救うためのさまざまな取り組みが、ひとつまた確かな成果を刻んだと思っていいだろう。

 この特許権が適用される規定の五十年間、天候不順などに見舞われても領民を飢えさせずに済む、ある程度のよりどころができたと言える。

 何とはなく頭の中に、西ヴィンクラー村の長閑な春耕作の風景が蘇ってきた。

 なおまたこの件で、救われるのはベルシュマン子爵領だけではない。

 現在アマカブ製糖業が稼働しているのはエルツベルガー侯爵領、アドラー侯爵領、ロルツィング侯爵領の北部、ベルシュマン子爵領の東部だ。大半がコリウス砦の戦の際考察したように「国有数の貧しい土地でほぼ価値が認められない」という評価だった地域が、大きく脚光を浴びることになる。

 この意味でも、ひとつ当初の目的を果たしたと言ってよさそうだ。

 アドラー侯爵のいかつい髭の笑顔を思い浮かべる。

 エルツベルガー侯爵の機嫌のいい顔にあまり心当たりがないので、代わりに長男のくつくつ笑いを連想してみる。


――まあ何にせよ、祝着だ。


 また製紙について、輸出規制が消える成り行きは大いに喜ばしい。

 こちらはさらに多国間特許認可まで時間がかかるだろうが、事実上それまでグートハイル王国の独占製産だ。

 製糖と違って、対抗するものがない。先の通商会議と今回の戦争処理の経緯で、その有用性は他国間にも広く知れ渡った。

 この流れの中で大国ダンスクに対する輸出が解禁されると、流通量は桁違いになりそうだ。

 今後の趨勢は、国内のほとんどの領に好景気をもたらす予想が立つ。

 国王から任じられた僕とこの部署の責務に、さらに上向き評価の拍車がかかることになる。

 何はともあれ、とりあえず上々の首尾と思っておいていいだろう。


 王太子が立ち去った後には、いつもながらの執務室が残った。

 ヴァルターとナディーネは筆記仕事。

 僕は机上に這い登って、読書の続き。

 両横にテティスとウィクトルが立ち、机脇にはザムが蹲る。

 しつこいようだが、いつもながらの執務風景だ。

 今日はこの後父が昼食を一緒にとるため来室し、ともに屋敷に戻ることになっている。

 二人とも通常休みにしている土の日に王宮に上がり、明日の風の日を休みにした。

 一つの理由は先にも言った、代表団の報告を確認すること。

 もう一つは、この夕方に母が到着するので父の屋敷に一泊するためだ。

 このところしばらく空の日に実家に戻る習慣にしていたものを、一日ずらしたことになる。

 侍女は交代で一人同伴することにしていて、今日はナディーネの番となっていた。

 そのナディーネは、書き上げた文書をヴァルターに見せて添削を受けていた。

 この侍女は逸早く意思表明して、僕が王宮を出てもついてくる希望を出していた。

 それをありがたく受けて、僕はさらにその先を考えている。

 ヴァルターとクラウスからその資質があるようだという所見をもらったので、この侍女を将来的に言わば私設秘書役に育成したいと思うのだ。

 公的執務に十分ではなくても、秘書兼侍女の立ち位置でもいい。

 そういった方針を本人たちに告げて、今はヴァルターの弟子よろしく修行を始めさせているところだ。

 自身は「ルートルフ様のお役に立てるなら」と、熱心に取り組み始めている。

 あと、カティンカ、リーゼル、メヒティルトには、侍女と兼務してヴィンクラー商会で絵と文字筆記の業務を期待している。

 新しい本の印刷販売と壁新聞発行の実現が具体化してきているので、こうした人材の確保、増員が急務とされる。

 カティンカとメヒティルトには、そうした新しい人材の指導まで担わせたいと思っているのだ。

 まあこの二人についてはまだ家族の同意がとれていないので、構想段階に過ぎないのだが。

 とにかく男爵家としても商会の側でも、人材の確保が最優先使命となっている。


「予定通り、イレーネたちは無事領地を発ったと連絡が来ている」

「よかった」


 昼食の席で、父が教えてくれた。

 予定通り昨日出発して、母はこの夕方に王都に着くことになる。

 わくわく楽しみにしながら、父と今後の話をした。

 まだ領地については未定だが、少なくとも王都での活動にあたって僕の周りを支える使用人を確保していかなければならない。父がいろいろと手を回してくれているところだ。

 実際に男爵家の運営を始めるのは来春になるとはいうものの、よい人材は当たりをつけておきたい。


「エルツベルガー侯爵やロルツィング侯爵が、心当たりの者を紹介してくださると言っている。有望そうであれば、父とともに面接をすることにしよう」

「ん、よろしく」


 この後父はいくつか用事を済ませて、夕方屋敷に帰る際に僕を迎えに来るという。

 僕は特に急ぐ用事もなく、執務室で読書をしながら待つことにした。

 約束通り、午後の八刻過ぎに迎えに来た父と王宮を出た。

 僕を送り迎えする際には、父の馬車が使われる。

 当然僕の体力と安全を慮ってのことだが、実際にはザムを人目に触れないようにするという目的も大きかったりする。

 ナディーネとそのザムを脇に乗せて、父の膝に座らされて、短い馬車の道行きになった。


「ついた」

「うむ」

「お帰りなさいませ」


 入口でクラウスに迎えられ、僕は父の腕から下ろしてもらった。

 逸る気を抑え、ことさらに落ち着けた足どりで居間に向かう。

 とことこという歩調に合わせて、微笑むヒルデが扉を開けてくれた。

 正面のソファに。

 白いドレス姿の母が、おっとりと笑っていた。

 少し脇の床で、ピンクの産着の赤ん坊がこちらに背を向け、侍女と積み木で遊んでいる。

 駆け出しかけた足をくいと止めて、身を屈めた。


「おひさしぶりでごじゃます、はーうえ」

「元気そうで何よりです、ルートルフ」

「は。はーうえにも――」


 続けかけた言葉が。がたん、という音に遮られた。

 横を見ると。

 積み木を落とした妹は顔を仰向け、すんすんと鼻を蠢かせていた。

 一呼吸の後。

 その小さな姿が、瞬間移動、していた。

 いや、その表現はもちろん大げさだけど。ばたばたばた、と高速のはいはいがあっという間に近づき。


「るー、るー!」

「わあ!」


 思いがけない勢いのタックルを受けて、呆気なく僕は尻餅をついてしまっていた。

 それでも何とか、自分とさほど変わらない重さの妹を無事抱き支える。


「るー、るー」

「みりっちゃ」


 腰を上げかけた母、慌てて駆け寄りかけたベティーナの顔が安堵に緩む。

 胸元にぐしぐし顔を擦りつけてくるミリッツァを撫で、宥めて。

 床に座り込んだまま、僕は改めて正面に顔を戻した。


「たーいま、かあちゃ、みりっちゃ」

「お帰りなさい、ルートルフ男爵閣下」


 母の輝くような笑みが、返ってきた。



 本作は今回で完結とさせていただきます。

 これまでご愛読、応援をくださった皆様、真にありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
大好きな作品です。こちらでは完結とのことですが、書籍では続編を書いていただけるとファンとしては嬉しいです。
色々あったけど、最後はハッピーエンド! 最高ですね。
王太子がどうしても好きになれませんでした。 幼児にすべて負んぶに抱っこな国は滅んだほうが良い気がして。
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