121 赤ん坊、王太子を労う
この日も昼食時には父が訪ねてきた。
午前の面接の後マーカスとさらに詰めた話をした、と報告がある。
マーカスは今日から、口入れ屋や東孤児院を回って求人活動をするという。
父は王宮に対して商会設立にまつわる手続きを進めている。
アイスラー商会と連絡をとって、明後日に作業小屋移動を行う依頼をした。
製紙と印刷に必要な資材の注文も済ませた。
「ああそれから、マーカスは今一緒に働いている同僚を一人連れてくることになった。同い年の幼馴染で、マーカスが独立する際にはつき合うと以前から約束していた、現雇用主の父親も認めている、という話だ。つまりはマーカスが雇われ商会長で、その幼馴染は番頭役ということになるな。明日その男を連れてこさせて、他の雇用状況の報告を聞くとともに私が会うことにする」
「ん、りょうかい」
その面談には僕は参加しなくてもいいだろう、と確認する。
明日は通商会議参加の代表団を送り出してそちらに関する王宮の作業が一段落するので、久しぶりに王太子とゲーオルクとの打ち合わせの予定が入っている。
さらに、後宮の方で片づけたい用事もある。
そんなあれこれを言い交わし、僕からは孤児二人の雇用を確保した旨告げておく。
なかなかに忙しいが、まあ順調に進展していると言えるだろう。
というより、三日後には新しい商会で製紙業務が開始できる見込みで、新商会設立としては異例の速さかもしれない。
今日もこれで、後宮に戻ることになる。
ヴァルターから妹が描いた絵を持ってくるという話があったので、明日の供はカティンカで決定だ。
部屋に戻ると、そのカティンカから報告があった。
「クヌートさんから『依頼されていたお菓子、でき上がりました』ということです。試食分を預かってきました」
「ん、ごくろうさん」
試作品の二個をみんなで分け合って試食したところ、これも大好評だった。
よしということで、手紙を書く。
シビーラに預けて、第二妃に届けさせる。菓子を持参してお訪ねしたい、ご都合をお知らせください、という依頼だ。
こちらからも用事があるので、できればこの時期に済ましておきたかったのだ。
戻ってきた返答は、明後日の午後に招待する、というものだった。
手渡された書板の文書は完全に儀礼に則ったものだが、シビーラに口頭で「問い糾したいことがある」という伝言も添えられていた。
まあ、予想通りではある。
翌日、早朝に通商会議代表団の出発式があったらしい。
執務室でヴァルターと打ち合わせをしていると、間もなく王太子が訪ねてきた。見るからに、疲れ切った様子だ。
会議の準備で忙殺されていたということだろう。
「おつかれさま、です」
「ああ」
僕の挨拶に、いかにもな短い応えがあった。
間もなく入ってきたゲーオルクも、王太子に労いの言葉をかけている。
考えてみると、この公爵子息の顔を見るのもそこそこ久しぶりだ。いつ以来か覚えていないが、まあたいした問題ではない。
「こちらの作業としては一山越えたが、来週の会議報告を聞くまでは気を抜けないな」
「うむ」
「だね」
王太子の言葉に、こちら二人も頷く。
改めての確認で、代表団には予定していたものをすべて持たせて送り出したということだ。
とにかく例年になく運搬物の量が多い。特に荷車を十台運ぶことにしたので、誰もが驚く大荷物になったらしい。
荷車がお荷物になるというのも少し皮肉な話だけれど、まあ仕方がない。
「あとは、エルツベルガー卿の手腕に期待するしかない」
残されたこちらは。
相変わらず、製紙業の拡大は順調に進んでいる。孤児たちからの指導も滞りなく行われていると報告が入っている。
王都内では、一般市民の間にも紙が少しずつ知れ渡ってきている。
間もなく、民間に対する販売も始められる予定。
「そう言えばお前、商会を持つことになったんだって?」
「ん」
「ガキのくせに、生意気な」
ゲーオルクのこんな悪態も、何だか久しぶりに聞く気がする。
何処となく耳に心地よい気がしてしまうのは、赤ん坊の清純な精神が汚されてきている証左なのかもしれない、気をつけなければ、と思ってしまう。
ただもちろん、発言者の方も苦笑い混じりのそこそこご機嫌な様子で。
というのも、領地の製鉄業は順調らしい。品質改善した製鉄法が行き渡り、生産量を上げている。
質の高い武器類の生産も進み、リゲティ自治領近くに駐留させた国軍に優先的に配備しているという。
ついでに、以前各領に依頼して集め、裏庭で継続栽培して経過を見ている植物類について、庭師によると生育順調の様子、とヴァルターから報告があった。ものによっては間もなく、使用に堪えるかの結果が出そうだ。
これもゲーオルクがかなり労を執った案件なので、悪い気はしないだろう。
また、ホルストたちによって進められている木工と鉄工を合わせた新製品開発は、近々販売に結びつく成果が出る予定、と僕から報告する。これについても、王太子と公爵次男は満足そうな反応だ。
よし、と首をこきこき回しながら王太子は頷いた。
「こちらで扱っていた諸々は、どれも順調だな。やはりあとは、会議の結果を待つばかりだ」
「あと次にこちらで考えるのは、王太子殿下の誕生会だな」
「ん」
誕生会の宴は再来週、八の月の三の火の日に開催されることになっている。原則、王都にいる貴族当主と夫人、成人した子女はほぼ皆参加するはずだ。
内容は舞踏会と晩餐会だが、最近の王太子の功績として紙と印刷本が紹介され、希望者に本の販売が行われることになっている。
この販売に関しては、宴に僕は参加しないので、部署の業務として王宮の職員を使ってゲーオルクが指揮を執ることになった。補助としてヴァルターも傍につくことになる。
なお印刷した本を販売して部署に売上げ分を入れるのはこれが最後で、その後のものは新商会に移すと話が決まっていた。
「何だかまるで、こいつの商会の宣伝のために働くみたいな気になるんだが」
「そう言うな。国内での紙の流通は、ここでの評判で大きく変わってくる。我が国の経済と国際収支に大きく関わる機会になるはずだ」
「そう思うから、まあ微力を尽くさせてもらうけどな」
「期待しているぞ」
「がんばって」
「ふん」
とりあえずの確認はこのくらいか、と一同が座り姿勢を緩め始める。
僕はカティンカを呼んで、持参したものを運ばせた。
重ねた札の山をテーブルに置くと、二人は不審げな目を丸くした。
「何だあ、これは」
「また、新しい開発品かい」
「ん。かーたという。あそびどうぐ」
ヴァルターを呼び寄せて四人で卓を囲み、「オオカミとり」のルールを説明して試しに始めることにした。
カティンカをゲームに加えなかったのは、まあ王太子と一緒だと硬直を起こしそうだからという理由だけだ。
「うん、なかなか楽しめるね」
「しかしまあ、ガキの遊びだなこりゃ」
物足りないらしい公爵ご子息の要望に応えて、続けて「ポーカー」というゲームを教えた。役の強さの順を覚えるのに難渋して、ヴァルターが板に筆記して一同に見せながらプレーを続ける。
これには、回を重ねるに従ってゲーオルクが熱中していた。
「なかなか楽しめるじゃないか、本当に」
「何ともこれは、奥が深そうですね」
「うん、頭を使うな」
例によって僕は早々に外れさせてもらったが、三人でしばらく熱戦が続いた。
単純に手札を三回まで交換して役を争うというルールで進めたが、チップや金を賭けて競技をするともっと盛り上がるらしい、ということについては少し迷った末伝えないことにした。どうも見ていると、ゲーオルクが先頭に立って貴族に悪習慣を広めていきそうな危惧を覚えたので。
午が近くなったことを伝えると、王太子も未練げに札を置いた。