19 赤ん坊、調理を教える 1
それから一週間程度、同じような日が続いた。
天気次第ではあるが、午後は狩りと農作業のどちらかになる。
結局狩りはさらに三回ほどできて、狩った野ウサギの数は二百羽を超えた。
一方、小屋でのクロアオソウの栽培は、リヌスの『光』の効果と確信が持てる程度に、成長が見られた。あと数日で収獲できるらしい。
兄はベッセル先生や村の大人と相談して、新たな栽培小屋の建築と栽培方法伝授の計画を立てている。
通算五回目の狩りの帰り、兄は「もうすぐ雪になりそうだ。今年の狩りは最後ですかな」などとディモの予想を聞いて、頷いていた。
残念そうながらこれまでの成果が満足で、アヒムたちも晴々と頷いている。
防護柵の外まで戻ってきて、ふと気がついて。
僕は兄の肩を叩いた。
「え、うん?」
「どうしました?」
不審げに問い返すディモに見えないように、そっと横手を指さす。
そちらへ寄って、群生するまだ青い植物の前で兄は身を屈めた。
「これは?」
「ああ、ツブクサですな。刈ってもすぐにまた生えてくる、雑草ですわ」
「雑草なのか? 食べられない?」
「小さくて黒い粒々の種ができるんですが、まあ食べて毒ということはない。ただ美味くもないし腹も膨れないってんで、誰も喜んで食べはしないさね」
「ふうん」
「俺も食べてみたことあるけど、うまいもんじゃなかったさ」
「だな。それが何か気になるですかね、ウォルフ様」
アヒムとディモの続く言葉に、兄は首を振り返した。
「いや、お祖父様の記録に名前だけ載っていたんで、ちょっと気になっていただけで。うーん。まあここで見つけたのも何か縁? みたいなもんだから、ちょっと抜いて持ち帰ってみるか?」
一度思わずのように僕の顔を見て、兄はその草を二本引き抜いた。
腰を伸ばして向き直ると、アヒムが何やら妙なにやにや笑いをしている。
「どうした?」
「え、いや。今何か、ウォルフ様がルートルフ様に相談しているみたいに見えて、ちょっとおかしかったさ」
「そうだったか?」
「今までにも何か、何回かそんなふうに見えることあって、ああウォルフ様、ルートルフ様のこと好きなんだなあ、と思ってたさ」
「何だ、それ」
苦笑いになって、兄は肩をすくめた。
しかしディモやもう一人の少年も同じ思いらしいことを見て、覚悟を固めたようだ。
「まあ正直、俺自身意識的にそうしてたところもあるからな」
「ルートルフ様に相談してるんか?」
「いや、何と言うか。ここしばらくこいつと一緒にいること多くて、何かするときちょっと、こいつの機嫌とか表情とか見て行動したらうまくいくこと多くてさ。それで何となく、ゲンかつぎとかジンクスとか?」
「ああ、なるほど」
「正直言うと、初めて野ウサギを狩ったときも、実は自信なかったんだ。それがあのとき、ルートルフに肩叩かれた気がして、そのタイミングで飛び出したらうまくいって。その後もこいつの反応見ながら動いていたらみんなうまくいくもんだからさ――ってこれ、他で言わないでくれよ、かっこ悪いから」
「はは、かしこまりました」
納得顔で、三人は笑い顔を見合わせている。
「これで分かった。何で毎回危ないのにわざわざルートルフ様をおぶっていくんか、気になってたさ」
「本当に。ときどき気になってたさ。野ウサギがいっぱいいるとき、こっち狙った方が狩りやすいんじゃないかと思っても、ウォルフ様別の方を狙うこと何度もあって。あれ、ルートルフ様のお告げだったんか」
「まあ、そうだ。いや、お告げって、神様とかじゃないんだが」
「ははは」
一同納得いただいて、喜ばしい限りだ。
実はこの兄の説明、先日二人で相談してでっち上げたものだった。
毎回僕をおぶって歩くことや、いくら隠しても傍目に何か相談している風に見えることがある点、そのうち説明する必要が出てくる可能性を考えたのだ。
「ゲンかつぎって、農民や猟師でもあるですが、騎士様方にもあるとか聞いたさね」
「ああ。俺も合宿のときそんな話を聞いた。やっぱり命を賭けることの多い仕事はどうしてもそうなるんだって」
「そのようさねえ」
ディモと笑い合って、村への道へ戻った。
採って帰ったツブクサは、料理人のランセルに見せても「見たことない。食えるようにできるか見当もつかない」という返事だった。
一応、種を集めて乾燥させておこう、ということだったので、頼んでおいた。
あと、他にランセルに頼むことができていた。
次の日の昼食後。
しばらく前から兄の部屋で準備してきたものにようやく目処が立ったので、十分相談した末、僕はおぶわれてキッチンへ向かった。
兄には、コップに小皿の蓋をしたものを大事に持ってもらっている。
キッチンにはランセルの他、ウェスタとベティーナがお喋りをしていた。
ウェスタの娘のカーリンは、傍の揺り籠でぐっすりお休みだ。
「古文書に載っていた調理法を確かめるのに協力してほしい」と兄が言うと、料理人より先にその妻と子守りが興味を示してきた。
「古文書の調理法、ですかい」
首を捻りながら、それでもランセルは準備に動いてくれた。
用意する材料は、黒小麦粉に塩を少々、温めの水、それだけ。
なお、この地域で塩はかなり高価で貴重なので、使用には少々ためらいが起きる。しかしこの試みの目的は食材の価値の見直しなので、ここでは少しでも美味さが増す可能性をとることにする。
あと、取り出しましたのは、コップに用意した魔法の液体。
「これを漉して、液の方を使う。量は分からないんだけど、とりあえずここにある半分を使おう」
「へえ」
木のボウルで粉に液体を混ぜる。水を足して、扱いやすい固さにしてこねる。塩を足して、こねる。あとはこねる、こねる、ひたすらこねる。
木の板の上に出して、こねる、こねる、ひたすらこねる。
板に叩きつけながら、こねる、こねる、ひたすらこねる。
黒小麦粉なので茶色の生地、その表面に少しツヤが出てくる。
「これくらいでいいかな?」
「ウォルフ様、これつまり、パン、すよね? いつも作ってるわけ、すが、こんなにしつこくこねたのは、初めてだ」
汗まみれのランセルに、妻が手ぬぐいを差し出してやっている。
ベティーナはさっきから、横から「がんばれランセルさん」とご機嫌の応援だ。
「いつものパンも、こねた後で寝かせるわけだな?」
「へえ。二刻ぐらいすかね」
「それを、四刻くらい様子を見てくれ。乾かないように濡れ布巾をかけて、これから夕食の支度で火を使う傍とか、なるべく温かいところに置いて」
「へえ」
「四刻ほど、頼む」
「かしこまりました」
この時間いつも、兄が僕の相手をしているならベティーナは料理手伝いだという。
三人をキッチンに残して、兄と僕は武道部屋で時間を潰すことにした。
この後の作業指示は少し複雑で、兄が覚えきれないかもしれないので、あらかじめ石盤にまとめておこうと思う。
あとは、植物図鑑や地図で、諸々計画の確認。
三刻ほど過ぎたかと思われる頃。
キッチンの方から、悲鳴が聞こえてきた。