18 赤ん坊、蔵を見る
森を出て防護柵をくぐると、少年二人は全速力で村の中へ向けて駆け出していった。今日の猟果を、よほどみんなに自慢したいのだろう。
兄とディモは苦笑でそれを見送っている。
ちなみにこの日は、ディモは自力でも二羽を仕留めて、ますますご機嫌だった。
僕はというと、通りすがりの畑の様子に興味を惹かれて、きょろきょろ見回していた。
畑の面積をかなり占めているのは刈り取られた麦の跡らしい。残る畑地のうちけっこうな広さの分、まだやや枯れかかった程度の青い葉が見えている。
僕の見ている先に気がついたらしく、兄はディモに問いかけた。
「考えてみると俺、畑でどういうふうに作物が育てられているのか、くわしく見たことがないな。この辺は植えるものをどう分けているんだ?」
「刈った跡だけが残っているのが小麦ですさな。それが全体の三分の一ぐらいですか。残りの大部分がゴロイモで、これは放っておいても繁殖する分もあるんですわ。時期をずらしながらけっこう長いこと収穫できますんで、ほらそこに葉っぱが見えているみたいにまだ収穫せずに残っているのもあります。残りはクロアオソウなんかを短い期間で回してますさな」
「小麦は同じところで続けてはとれないんだったな」
「へえ。だから来年は、今空いているクロアオソウなんかを採った跡を使いますんで」
「ふうん。ああついでだ、収穫物を保管している蔵とか、見せてもらうことはできないか」
「いいですよ」
気軽に、ディモは請け負う。
収穫物を税として納める相手の息子なのだからふつうなら何もかも開示するのはためらわれるところだろうが、何も隠すものはないという正直さなのか。
出すものをすべて出した上で足りない分は領主が補填、その上今は食糧不足のためにウサギ肉を提供してくれるという状況がすべて事実と相違ないなら、確かに隠すものはないという実状なのだろう。
少し畑の間を進んで、開いた倉庫はディモの家のものらしい。
「助かる。収穫されてそのままの作物って、あまり見たことがないんだ」
「お屋敷ではそうでしょうさな。こんなものでよろしければ」
収穫されてそのままというよりは、もう保管しやすくされているという格好なのだろう。
いくつかに分けられてそれぞれ藁の袋に入れられた状態だ。
その一つを、ディモは開いてみせる。
「これが黒小麦ですさな。こちらが粒のもの、そちらのは挽いて粉にしてあります」
どちらも確かに白よりは色づいているが、黒というよりは茶色程度の見た目だ。
しかし確かに、白小麦を見慣れた目には食欲減退させる色合いに映りそうだ。
蔵の残りをかなり占有している袋には、ゴロイモがそれこそごろごろ入れられていた。
どの袋についても扱うディモの手つきがぞんざいに見えるのは、どれも売り物にならないという認識からだろう。
とはいえ、すべて村人たちの貴重な食糧資源ではある。
その辺、当人たちにとっては複雑な思いがこもっているのかもしれない、と思う。
「すまない」と兄が覗いていた袋から身を起こすと、やや無造作ながらすぐ袋の口は閉じられる。
「邪魔したな」
「こんなんでよければ、いつでもどうぞ。ウォルフ様の役に立つなら、何なりといたしますんで」
「ありがとう」
屋敷に持ち帰る獲物を両手に提げて、兄は帰途についた。
村の家並みを離れたところで、囁きかけてきた。
「何か、気になることはあったか」
「……いや」
「ふうむ」
何か引っかかるものがあるのだがそれが何か分からない、というのが正直なところだ。
今見てきた収穫物が、何か売り物になるか、もっと喜ばれて食料になるかすればいいのだが。
「黒小麦とゴロイモに狩ってきた野ウサギの肉、それにこれからうまく育てられたとしたらクロアオソウ、それがすべてだ。領民もうちの屋敷の者も、これで何とか冬を越さなければならない」
「ん」
「当初よりは野ウサギとクロアオソウの分が増えるということになりそうなんだが、これで果たして足りるか、だな」
「ん」
「どうした、また眠いのか?」
「や、だいじょぶ」
「そうか」
餓死さえしなければ、ということなら、これで何とか足りるのかもしれない。
しかし父の借金ということまで考えると、それだけでは不十分だ。
兄が噂で聞いたという「来年の収獲である程度返済」が必要だとするなら、今の持ち駒の価値を高めるか、来春から新しい栽培を一発勝負で試すかということになる。
いったい何ができるだろう。
帰宅後、兄に頼んで武道部屋に連れていってもらった。
何となく気にかかる例の『植物図鑑』を再読するのだ。
兄の膝に乗せられて、厚い本を机の上に開く。
基礎文字の中にときどき複雑文字が混じっているが、この本の分は兄が以前先生に教えてもらっているということで読んでくれて、僕の文字知識増にも役立ってくれる。
前領主が記録に残したという手書きの書、当地で栽培できる植物については一通り網羅しているらしい。
手書きのスケッチは植物の特徴をよく捉えているようで、実際の判別に役に立つという。
今抱えている課題には、最も役立つ可能性を持っているとは思うのだが。
「俺も何度か読んだけど、だいたいは領民のみんなに常識になっていることなんだよなあ」
「ふうん」
村人たちも父も兄も、ここにある程度の知識は持ち合わせていて、それで考えた上で匙を投げかけている領地の現状、ということになるのだ。
やはり、難題だ。
僕にとっては特に森で採れる果実の類いなどまだ知らないものも多く、そこそこ新鮮だ。それこそ村人たちにとってはすべて常識のうちらしいが。
指で辿っていると、また兄が覗き込んできた。
「ヤマリンゴは森でわりとよく採れて、母上が好きなんだ。野菜は農家のみんなが苦労して作ったものでもったいないと言って、食事でも野菜の代わりにリンゴを食べていることが多いみたい。酸っぱいんで俺は苦手なんだけど」
「へええ」
「今はお前の言うこと活かして、リンゴよりクロアオソウの方を増やしてもらっている。それでいいんだよな?」
「いい、おもう」
「ウサギ肉も増えたし、貧血だっけ、効果があればいいんだが」
「ん」
図鑑の最後の項目まで来て、僕は指をさした。
「……これ」
「ん? ああツブクサか。お祖父様が書いたのが途中で終わってるんで、よく分からないんだよな。書いてあるのはただ、種を食べることはできるが美味くもない、腹持ちもしないって感じだろ」
「ん」
「何か役に立ちそうか?」
「んーー」
少し考えて、首を振る。
別に、具体的に何か気づいたわけじゃない。
何となく気になる、何かを『勘』が告げてくる、そんな感覚だけなのだ。
――今日は、そんなのばっかりだな。
スランプなのかもしれない。
また意味も分からない言葉が浮かんでくるのに辟易しながら、僕は部屋まで戻してもらった。