41 赤ん坊、加護の実験をする 2
頷く三人に。
少し考えて、僕はつけ加えた。
「ねらうの、ぜったい、くび」
「はい?」
「ほか、なにがおきるか、わからない」
「まあ確かに、息を詰まらせるのがいちばん効果的だろうからな。狙うなら首しかないな」
兄は頷いているけど。
実際には、他にもっと効果的な場所もあるかもしれない。
試してみなければ分からないが、肺に直接水を叩き込めば即死するかもしれない。頭の中に注ぎ込めば、大きな障害を与えられるかもしれない。
いずれにしても今ここで確かめようはないし、その必要もないだろう。
首の気管だって命を奪う可能性はあるが、いざというときにはしかたのない範囲だと思う。
そういう注意をしっかりもって行う限り、この三人ならおそらく濫用の心配はない。
しかし、この知識を広めたら、どんな悪用がされるか予想のつけようもない。
他に広めるには、重々注意が必要な事案だろう。
「しかしこれ」兄が首を捻っている。「こういうことできるの、『水』だけか? 『火』だって何か、できるんじゃないかな」
「ひは、たぶん、すぐきえる」
「そうか?」
「ひには、くうきと、おんどと、もえるもの、ひつよう」
「そうか、首の中じゃそんなのがないか。『風』も『光』も意味ないだろうしな」
「ん」
これも、実際にやってみなければ何とも言えない。
『火』も、場所とやり方によっては効果が上がることがあるかもしれない。
たとえば『風』を相当量肺に叩き込んだら、命を奪えるかもしれない。
どれも、恐ろしくて確かめる気も起きない。
まず、どこにも広めず秘密にしておくべきだろう。
言い含められた三人は、真剣な顔を見合わせている。
「そういうことなら、ベティーナは剣の練習よりこれを習熟する訓練をした方がいいだろうな。狙いを正確にするのと咄嗟の場合に使えるためには、日々の訓練が必要だ。剣の稽古をやめろとは言わないが、体力目的程度にしていいと思う」
「はい」
「俺たちとしたら、武闘会などの対戦でこれを使ったら顰蹙なんてものじゃないが、護衛の実戦での奥の手としては有効だ。こないだのルート様が攫われたときで言うと、実際には離れすぎていたが、もし俺たちがウォルフ様がいたくらいの位置にいたとしたら、ベティーナが襲われたとき、駆けつけるのは間に合わないにしてもこの『水』の技は後ろから届いたかもしれない」
「そうだな」
ウィクトルの言葉に頷き、テティスは軽く首を振っている。
そして「それにしても」と、小さな溜息混じりにこちらに顔を向けてくる。
「ルートルフ様には驚かされます。前の、『水』で目を狙うという技も、ルートルフ様の発案なんですよね?」
「そうだ。ルートが思いついた」
「前のも今回のも、いつもずっと敵との戦い方を模索している騎士たちが何故思いつかなかったかというくらい、画期的な発想です。しかもそれの実現法を慎重に検討して、周囲への悪影響まで思い馳せているなど、驚嘆するしかありません」
「やはり、何より信じられないのは、どうしてこんなことを思いつくか、というところだな」
ウィクトルも、同僚の言葉に重ねる。
うーん、と兄は首を捻った。
護衛たちと同感らしい父が、やや呆然とこちらに目を向けている。そちらを見上げるようにして、
「ここが、ルートの特殊なところだと思うんです。変わった知識や考察力のようなものは人一倍ある代わり、この世で生きている経験と一般常識は明らかに一歳児以上のものではないわけで。つまりたぶん、何かを見たとき、大人が持つような常識に囚われずにゼロからその意味を考えることができる、という感じなのではないかと」
「なるほどな。いや、今日のいきさつを見ていて、少し納得できたように思う」
ゆっくり、父は何度も頷いている。
その手が僕の頭に伸びて、そっと撫でてきた。
「我が家は、とんでもなく価値のある宝を手にしたのかもしれぬな。いや、息子たちが健康にいてくれるだけで、十分すぎるほどの宝なわけだが。今後も兄弟協力していってくれれば、我が家も領地も、未来は明るそうだ。二人、頼むぞ」
「はい」
「ん」
ベティーナが絞めた野ネズミの処理をして、その場を片づける。
そうして一同揃って居間に戻ると、母とイズベルガはいつものように編み物をしているところだ。
ソファに座りながら、兄は苦笑の顔を父に向けた。
「兄弟協力して、というのはもちろんそのつもりですが。へたをすると、ルートがいれば私など必要ないのではないかと思ってしまいます」
「いや、ない」
「何だ、ルート?」
「にいちゃとべてぃな、いなくちゃなにもできない」
「そうか?」
「え、え? わたしもですかあ?」
すぐ横でミリッツァを抱いていたベティーナが、素っ頓狂な声を上げた。
わたわたと、自由な方の手を振り回して。
「わたしなんかあ。ルート様のお世話なら、手がかからないですから誰にでもできますですよお」
「べてぃな、せんせい」
「はあ?」
「ことば、もじ、べてぃなにおそわった」
「は、ええ?」
「ああ、そう言ってたな」
笑って、兄が手を打った。
楽しい報告をする顔で、父と母に向かう。
「ルートは今の意識に目覚めてから、ベティーナやウェスタの会話を聞いて言葉を覚えたらしいですよ。それに加えて、ベティーナが『勉強ごっこ』で文字を教えていた」
「ん」
「それはお手柄だったのですね、ベティーナの」
「うむ、よくやってくれた」
「え、え、そんな……」
領主夫妻に褒められて、子守りはしどろもどろになってしまっている。
それを微笑ましく見ながら、ふんふんと父は何度も頷いていた。
「確かにウォルフも言っていたが、ルートルフは簡単に言うとすこぶる頭はいいようだが、経験と常識が不足していて、さらに人に自分の考えを伝える表現力が足りないようだ。これはまあ、赤ん坊の身でよく口が回らない、という理由もあるか」
「ん」
「その不足を補うのに、ウォルフとベティーナの存在は欠かせないというわけだな。さっき見ていても、ウォルフはルートルフの言いたいことをいち早く察して代わりに表現しているし。身の回りの世話でも、ベティーナほどルートルフの気持ちを理解できている者はいないということか」
「ん。べてぃな、いちばん」
「まあまあ、そうですよねえ」
「奥様にそう言っていただけると、嬉しいですう」
ベティーナが笑うと、腕に抱かれたミリッツァもきゃきゃとご機嫌に身をよじらせている。
僕もつられて、わしゃわしゃと全身を揺すっていた。
「にいちゃも。りょうしゅむき」
「何だ?」
「まあ、そうだな」父が頷いている。「ずっと見聞きしている限り、ルートルフが発想したことにしてもそれを人に伝えて実現に結びつけているのはウォルフだったわけだろう。そちらの能力の方が、ずっと領主に必要なものだ。将来どうなるかは分からないが、現状を見る限りではウォルフの方が人の上に立つ条件を満たしている、ルートルフは参謀向きという印象だな」
「ん」
正直、そう父に思ってもらえるとありがたい。
兄と領主後継の座を争うなどまっぴら、僕はその横で楽をしていたいと思うのだ。
これが王族や上位貴族の家系なら、弟が少し優秀な面を見せるとそれを祭り上げようとする取り巻きが現れそうなものだが、我が家に限ってまずその心配はない。
「兄弟仲よく、がいちばんよねえ」
にこにこしている母のあの笑顔を、ずっと絶やさないようにしていきたい、と思ってしまう。
この話の納得の表明として、僕はとろんと兄の胸元に頭を預けていった。




