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第6話

 翌日から、家庭教師を招いて授業を受けることになった。


 いわゆる「誰かに勉強を教わる」というのは、仕事を始めてからはご無沙汰だった。それも短大だとどうしても、教授一人に対して学生がたくさん、というイメージだから、こうして個別授業を受けるのは高校生まで通っていた塾以来になるかも。


 礼法の先生は私の母くらいの年の貴婦人で、まずは椅子の座り方や立ち方からスタートした。やっぱりこれまで二十一年間日本で使ってきた礼法とはほとんど違い、ノートに日本語でメモをしながらの授業になった。

「姿勢がいいですね」というのだけは褒められて、なんだか嬉しくなった。心の中で、彼女のことを「マダム」と呼んでいる。


 ダンスの先生は三十歳くらいの女性で、上流市民階級の婦人らしいけれどものすごく姿勢がよくて、モデルのような体型をしていた。話し方もキビキビしていて、お金持ちの婦人というより体育の先生みたいな雰囲気だった。


 指導はかなり厳しく、「そこ、足の出し方が違う!」「視線を前に!」と閉じた扇子で手の平を叩いてリズムを取りながら、かなりびしばししごかれた。でも疲れた時にはちゃんと休ませてくれるし、頑張ったらご褒美として砂糖菓子のような甘いものをくれた。

 高校の頃の女の体育の先生がこんな感じだったな、と思うとちょっと親近感が湧いたので、私は彼女のことを「森本先生」と密かに呼んでいた。


 語学は、初老の男性に教わることになった。彼はそもそも貴族の子ども専門の先生らしく、「この年で新しい言語を覚えるのは大変でしょうが、頑張りましょう」と励ましてくれた。

 近所にこんな感じのおじいちゃんがいて毎日家の前の掃き掃除をしていたのを思い出したので、私は彼のことを心の中で「富田さん」と呼んでいた。


 この世界の言語は基本的に全国共通で、多少地域によって方言や単語のスペルの差などはあるけれど、音の数やそもそもの文字は同じだ。文字はカタカナのように角張った形をしていて、全部で百種類近くある。


 私は幸い話すことと聞くことだけは魔法でクリアしたけれど、同じ音に聞こえてもわずかな発音の違いでスペルが異なったりして、「聞こえる音」を「書く」のにはかなり苦労しそうだ。


 中学一年生で初めて英語を習った時のように、罫線の引かれたノートに何度も単語を書き、まずは形を覚える。富田さんは私が分かりやすいように、それぞれの単語の脇にイラストを描いてくれた。「家」に該当する単語の隣に家のイラストを描く、といった感じだ。普段は子どもを教えているからか、絵がすごくうまかった。


 ちなみに私も同じように絵を描いてみたけれど、「独創的で可愛らしい絵ですね」と苦しそうに言われた。すみません、美術の才能はないんです。











 半月ほどすると、礼法の基礎は大体分かったし、華麗に踊るまではほど遠くてもダンスの一連の流れは分かった。

 読み書きでも、おそらくこれから先何度も書くことになるだろう「キーリ・ブラッドバーン」だけはきれいに書けるようになった。


 二十一歳という、脳みその能力が落ち始めた体でも、やればできるんだ!

 疲れたけど。


 そういうことである日、私はせっかくだから勉強の成果を見てもらおうと、家族の前で礼法、ダンス、読み書きを披露した。


 まずは入室からスタート。背筋をぴっと伸ばし、ドアを開ける指先まで意識を集中させる。室内にいる人々に向き直ったら、例の胸元で両手をクロスさせてスクワット、のおじぎをする。


 ダンスではアラスターにエスコート役を頼み、ダンス会場に入るところまでの動作のみ行う。読み書きでは、シャノンを含めた家族の名前と、手紙でよく使われる時候の挨拶を一文だけ書いた。


「半月でこれくらいできたのなら、たいしたものだな」

「あ、ありがとうございます!」


 アラスターはそう言って褒めてくれ、シャノンとセリーナも私がつたない字で書いた自分たちの名前を見て、微笑ましそうにしている。なんだか、テストで百点を取った小学生になった気分だけど、褒められるのはやっぱり嬉しい。


 ただ一人、黙っている人がいた。

 私の正面に座る養父はいつものように葉巻をくゆらせて、私が書いた字をじっと見ている。厳つい顔つきながら家族の前では朗らかに笑うことの多い養父だけど、今はただでさえ怖い顔を歪めていた。


 ……ど、どうしよう。他の皆には褒められたけれど、何か養父の気に障ることでもしてしまっただろうか……?


 まさか養父の名前だけ間違えて書いてしまっただろうか、と思い至ってノートをじっと見ていたけれど、私の焦りに気づいたらしいアラスターが養父に声を掛ける。


「父上、そんなに怖い顔をなさらないでください。キーリが怖がっていますよ」

「ん? あ、ああ、すまない、キーリ。別に、君に落ち度があるわけではないからな」


 息子に指摘された養父が急ぎ言ったので、ひとまずほっとした。でも、あんなに難しい顔をするからには何かあったんじゃないか。


「あの、もし何かあったのなら、どうかおっしゃってください。私も勉強途中なので、今のうちに改善できるところは変えたいと思っています」


 私が申し出ると、セリーナたちも視線を父親に向けた。皆に見つめられ、養父はほとんど毛の残っていない頭をぽりぽりと掻き、ため息をつく。


「……キーリは本当によく頑張っていると思う。だが……君の今後のためを思うと、もう少し学ばなければならないことがありそうだと思ったのだ」

「ちょっと、お父様。お姉様に無理を言ってはいけませんよ」


 セリーナが目尻を釣り上げて抗議すると、養父は「わ、分かっているとも!」と慌てて言った。豪商として名を馳せる養父も、実の娘であるセリーナには甘いみたいだ。


「この件はまた、日を改めて説明しよう。……ああ、そうだ。これ、もらっていくぞ」


 そう言って立ち上がった養父は手に、私が書いた養父の名前の紙を持っていた。ということは……気に入ってくれたのかな?


「え、ええ。もちろんで――」

「キーリ、止めた方がいい。父上は僕たちが作ったものはなんでも保管したがり、額縁に入れたりガラスケースに入れたりするんだよ」

「えっ!? ちょっ、待って! お父様、待ってくださいー!」

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