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第3話

「ほら、笑いましょう、お姉様。今日はお姉様のお姿を皆に紹介する日なのですからね!」


 セリーナの言うとおり、私はいよいよ今日からキーリ・ブラッドバーンとしてお嬢様生活を始めるのだ。これまでは諸々の準備もあって「キリカ様」と呼ばれていたが、今日からは「キーリ様」と呼ばれることになる。


 といっても、この世界の知識に関してはひよっこレベルの私が、いきなり表に出られるわけがない。

 私の戸籍は既に国に提出しているそうだから、この世界での生活に慣れるまでは主に屋敷で生活し、そこから徐々に行動範囲を広げようということになった。まずは、ブラッドバーン家の家族や使用人へのお披露目からだ。


 支度ができたところで、まずはセリーナと一緒に家族のもとへ挨拶に行く。この時点で既に私は汗びっしょりで、せっかく侍女が施してくれた化粧が流れ落ちるかと思った。


 皆が待っている居間に入ると、養父は仕事関連の話をしていたらしく、書類を手に執事と難しい顔をしていた。でも私たちが来ると顔を上げ、強面の顔を優しく緩めた。


「おお、来てくれたか、セリーナ、キーリ。こっちに来なさい」

「は、はい」


 手招きされ、私はびくびくしつつソファに向かう。そして着慣れないドレスと妙に膨らんだ臀部に四苦八苦しつつ腰掛けると、養父に続きセリーナ、兄と兄嫁も席に着いた。


 ちなみにセリーナはもちろんだけど、兄のアラスターも母親似だった。柔らかい微笑みが印象的な兄は去年結婚したばかりで、彼の隣で兄嫁のシャノンが微笑んでいる。

 シャノンとはまだあまり話をしたことがないけれど、ほわほわおっとりとした可愛らしい人で、義妹のセリーナとは友だちのような関係だという。


 隣に座ったセリーナを含め、四対の目が私を見ている。期待するような、試すような、そして気遣うような視線を受け、私は深呼吸した。


「……私のような者を受け入れてくださったこと、心より感謝いたします。こちらの世界のことを何も知らない未熟者ではございますが、これからキーリ・ブラッドバーンとして頑張ります。よろしくお願いします」


 まるで入社試験のようだな、と他人事のように思いながら、私は頭を下げた。多分、この世界では「頭を下げる=敬意の表れ」ではないだろうけど、正しい礼法はまだ教わっていないから、自分にできる形で気持ちを表したかった。


「……顔を上げなさい。こちらこそ、娘がいれば助かる、という理由で君を養女に据えさせた。君が我々の申し出を受けてくれたこと、嬉しく思っているよ」


 養父が優しく言ってくれた。私の気持ちはきちんと届いたようだ。

 顔を上げると、家族たちは微笑んでいた。一切の敵意や悪意の感じられない清らかな笑みを見ていると、何かが胸の奥からこみ上げてきそうになる。


「いきなり見知らぬ世界に放り出され、さぞ辛い思いをしたことだろう。我々では君の本当の家族と同じにはなれないだろうが、責任を持って君を養育し、君にとっても最高の形で結婚ができるようにすると約束する」


 結婚、の言葉に私は一瞬だけ息を呑んだけど、すぐに気を引き締める。


 この養子縁組は決して慈善事業などではなく、ブラッドバーン家にとって利益になる政略結婚をするための方法だ。

 一宿一飯の恩義どころか、今後不自由のない生活を送らせてもらえるのだから、たとえ相手が二十年上のオッサンでも、愛人百人できるかな、な好色家でも、我慢するつもりではいる。


 何にしても、私の行く先には――しかもきっと、それほど遠くない未来には、「結婚」が必ず存在している。それは、しがないOLとしてクソ同僚の仕事を押しつけられていた頃とは、全く違った。


 あの頃は今を生きるのに精一杯で、彼氏もいないから結婚できるかさえ怪しい状況だった。でも今は、私がブラッドバーン家の益になる相手と結婚する、という大前提のもとで養子縁組をし、これから生きていくのだ。

 そう思うと「結婚」がものすごく身近な存在に感じられてくる。本当に、こんなこけしですんません。


 その後、これからの淑女教育の概要などについての打ち合わせをして、家族会議はお開きになった。養父と兄アラスターはこれからカジノを回ったり他の商会との会議に出席したりするらしく、慌ただしく居間を出て行った。私との話のために忙しい時間を割いてもらって、本当に申し訳ない……。


「さ、それじゃあ使用人の皆にも挨拶しに行きましょう」


 セリーナだけはその場に残り、私の手を引っ張ってくれた。本当に、こんな情けない姉ですんません、と言いたくなるほど立派な妹だ。


 というか、アラスターにしてもセリーナにしても、私のような得体の知れない人間がぽんっと姉妹になっても、全く気にしていないみたいだ。この世界では、かなり大きくなってから養子入りするというのは珍しいことじゃないんだろうか。


 使用人に挨拶といっても、皆にもそれぞれ仕事がある。屋敷で働いている人はともかく、カジノで勤務している場合はなかなかこっちに顔を出せない上、夜間勤務の人が多いので、今日のうちに全員に挨拶、というわけにはいかないようだ。


 セリーナと一緒に廊下を歩き屋敷の説明を受けながら、すれ違った使用人に挨拶をする。ブラッドバーン家の遠縁の娘、という設定は屋敷の外でのみ使うので、使用人の皆は私は異世界人だと知っているようで、「元の世界とは勝手も違うでしょう」「何かあれば遠慮なくおっしゃってください」と言ってくれた。


「……あ」

「どうしたのですか、お姉様?」


 セリーナが顔を覗き込んでくる。言おうか言うまいかちょっと悩んだけれど、セリーナが大きな目でじっと見つめてくるものだから、口を開いた。


「最初、森の中で私を助けてくれた人……あの人はまだ見かけていないな、って思って」


 私が話題に挙げたのは、数日前――あのうっそうとした森の中で最初に私が出会ったこの世界の人間であり、私の命の恩人でもある人だ。











「うう……なんでこんなことに……」


 気が付いたら、そこはこんもり茂った夜の森の中でした。

 缶コーヒーを買いに休憩室に行こうと思ったら、いつの間にか森に迷い込んでいた。


 え、何これ、過労とストレスのあまり幻覚でも見ているのか? と思ったのは最初の数分だけ。

 頬をつねったら痛いし、葉っぱの青臭い香りがするし、腐葉土のような感触がパンプス越しにしっかり伝わってくる。


 これは、現実だ。

 そうと分かっても、どうすればいいのか、なんでこんなことになったのか、分からない。


 途方に暮れつつも、歩きだした。不幸にもスマホを置いてきてしまったから、連絡手段がない。

 とにかく歩き、人家を探さないと。できるなら電話を借りて、誰かに助けを求めたい。もしくは警察に連絡してもらい、保護してもらうか……。


 夜の森の奥はひんやりとしていて、不気味なほど静かだった。イノシシや熊は勘弁したいけれど、タヌキやイタチ、フクロウくらいは見かけるかも、と思った。


 でも、歩けど進めど、動物の気配はおろか、虫の気配さえ感じられない。

 静かで不気味な森に独りぼっち。


 早く、ここから抜け出したい。人家の灯りを見て安心したい。人家がないのなら自動販売機でも精米所でもいいから、人工的な灯りのある場所に出たい。


 ――がさり、と背後で音がする。

 おそらくこの森にやってきて初めてだろう、自分以外のモノが立てる音。


 悲鳴を上げそうになった。息を大きく吸い、「きゃあっ!」とまではいかずとも、恐怖心の向くままの絶叫を上げるところだった。


 でも、背後から伸びてきた腕が私の口をがっと押さえ、ずるずると背後に引っ張る。間違いなく、人間の腕だ。


 えっ、熊やイノシシじゃなくて、人? 変質者? 浮浪者? 脱獄した犯罪者?


「××××」


 恐怖で身をすくませ全身ガチガチに固まった私の耳元に、吐息混じりの声が掛かる。声の調子から若い男性だろうということは分かったけれど、私には全く理解できない言語を喋っていた。日本語はもちろん、英語でもないはず。


 私は、振り返った。怖いけれど、相手の正体を確かめねばと思ったから。

 そこにいたのは、薄暗がりにぼんやりと浮かび上がるような男性だった。髪はいかにも外国人らしい灰色で、闇に紛れてはっきりしないけれど目も黒や茶ではないのは確かだった。


 彼は私と視線がぶつかると、ほんのり微笑んだ。細部までは分からないけれど、こんな不気味な森で遭遇するとは思えないほど、きれいな顔立ちをしていた。着ているコートもぱりっとしていて、少なくとも浮浪者や脱獄犯ではなさそうだ。ただし、変質者の可能性は存分に残っている。


 彼は私の口を押さえていた手を外し、何か囁きながらぽんぽんと背中を叩いてくれた。相変わらず何を言っているのかは分からないけれど、あやすような、慰めるような優しい手つきで体の力が抜け――そうになりつつ、きっと男を見上げる。


 まだ、彼が変質者だという可能性が消えたわけではない。絵本でもあるように、悪い魔女は子どもを油断させ、手懐けたところでぺろりと平らげる。私は子どもじゃないし相手も魔女じゃなくて男だけど、油断すると本性を現してくるかもしれない。


 なおも私が頑なな態度を取っていたからか、男性は困ったように眉を垂らした。そして私の耳元に唇を寄せ、何事か呟く。


 耳元で色っぽく囁かれて、背中にぞくっと痺れが走る。でもそれも一瞬のことで、徐々に体の感覚が抜け、意識が遠のいてくる。


 あ、これまずい。やっぱりこの人変質者だ、と思ったけれど体は動かなくて、私は彼の腕の中に倒れ込んでしまった。

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