駅の階段で転落、気づけば謎の屋敷に。〜男性メイドの日程説明と奇妙なお嬢さんたちを乗り越える〜
俺、真佐 勝は、どこにでもいる至って平凡な男子高校生。
だがある日、寝坊して駅の階段を駆け下りていると誰かにぶつかられ、勢いよく転落。そのまま命を失った。
そして気がつくと、俺は見たことのない屋敷の一室にいた。
ソファ、ベッド、そして壁には絵画。どう考えても自室でない場所にいたため、窓から様子を確認してみると、ここが漫画に出てくるお金持ちキャラが住んでいそうな大きな屋敷であると分かった。
部屋に置かれていた鏡で姿を確認してみる。
そこに映ったのは、真佐 勝のぱっとしない姿。
何がどうなって俺が今ここにいるのかは不明だが、俺が俺でなくなってしまったということはなさそうだ。
だが、姿が変わっていないことに安堵したのも束の間。
ペガサスのような彫り込みのある扉が軋みながらゆっくりと開き、俺は慌ててそちらへ視線を向ける。
「坊ちゃま。お茶をお持ち致しました」
丁寧な口調で言いながら部屋に入ってきたのは、初老の男性。
ただし、メイド服を着ている。
白髪交じりのオールバックの頭には、白いレースの帽子。エプロンの下の紺のワンピースは、袖が少しばかり膨らんでいる。また、丈は太ももの真ん中くらいまで。そこから出ている脚は、妙に筋肉質だった。
そんな奇妙な初老の男性の手には、黒いティーカップが乗った丸いお盆。
「あ、あの。ここは一体?」
状況が飲み込めず尋ねる。
が、男性は問いには答えてくれなかった。
「本日お持ち致しましたお茶は、浮かべたマシュマロをカラスの糞に見立てたクァラスティーでございます」
「わけが分かりません」
「インドラシア大陸から直送で手に入れた朝摘みのクァラス茶葉を使用して茶を淹れ、マロスマシュマロス共和国で人気のマシュマロブランドから輸入致しましたマシュマロを浮かべております」
窓の外からは鳥が鳴くちゅんちゅんという声が聞こえていた。
「それでは、本日の予定をご説明させていただきます」
もはや何が何だか。
何があったのか知らないが、取り敢えずただの男子高校生に戻してくれ。
「午前八時より朝食、午前九時二十八分より昼食、午前十一時より夕食となっております」
メイド服の男性はすらすらと説明する。
「続けます。午前十一時二分より太田蛇村にて稲刈り、午前十一時八分よりアンドレシアーノ嬢との会合、そして、午前十一時十七分より魔王退治でございます」
俺は、一応男性の説明を聞いたが、まったくもって意味が分からなかった。日程を聞けば少しは何か掴めるかもしれないと考えていたのだが、それは甘い考えだったようだ。
「ここまでよろしいでしょうか?」
「……いや、まったく」
「では続けさせていただきます。正午よりマルメクリータ嬢とのチェス十番勝負、午後二時三十一分よりマルメクリーテ嬢とのお見合い、午後二時三十九分よりアルメクリリータ将軍とのお見合い、午後四時よりタタタタタターテ嬢とのチェス八十六番勝負になります。覚えていただけましたでしょうか」
段々頭が痛くなってきた。
もちろん、環境が悪いわけではないのだ。
鳥のさえずりが聞こえ、豪華な家具が並んでいる、そんな部屋にいるのが嫌なわけがない。
ただ、目の前のメイド服の男性が話すことがまったく理解できず、そのせいで頭痛が発症してしまっているのである。
「午後四時三十五分より、サルサルタンタン嬢とのチェス稽古。午後四時五十九分からはマルメクリータ嬢とのダーツ勝負、午後五時三分からはアルメクリリータ将軍とのお見合いになり、午後十一時に就寝でございます」
恐る恐る口にしたクァラスティーは美味しかった。良い香りとほのかな甘みが魅力の茶には惚れたし、浮かんでいる若干溶けたマシュマロも絶妙な甘さで嫌いではなかった。
ただ、この時の俺は知らなかったんだ。
今俺がいる世界が、とても歪な世界だということを。
なんにせよ、この世界は俺が思っていたのとはまったく別物だったのだ。
アンドレシアーノ嬢は全身を機械改造している少女で、人体改造を生業とする夢ばかりを語る。
マルメクリータ嬢は『チェス界の悪魔』と呼ばれているほどのチェスの名人で、五十八歳の淑女だったし、マルメクリーテ嬢は婚期を逃した小鬼族のお嬢様で非常に毒舌だった。
アルメクリリータ将軍は、軍服を着た美青年だが、異性には関心がない。
タタタタタターテ嬢は一手ごとに十五分ほど考えるためチェスをしてもまったく試合にならない女性。
床につくほど長い金髪と青い瞳を持つサルサルタンタン嬢は手伸族出身で、稽古中ずっとうなじをこそばしてくる。
坊主頭の美女マルメクリータ嬢は、サルサルタンタン嬢と遠い親戚らしいが、勝負の間、常に俺の顔に向かって咳をしてくる。それも、全力の咳。
関わる人たちがこんな人たちだから、たった一日だが物凄く疲れてしまった。
これから毎日このようなことが続くと思うと、絶望しそうだ。辛すぎて、生きることを止めたくなるかもしれない。
でも、今はまだ生きてみる気でいる。
生きていれば良いこともあるかもしれないから。
こうして、この妙な世界での俺の人生が幕開けたのだった。