俺
短いです
目の前で崩壊して消えていく俺になるはずだったものを眺めながら、俺は笑っていた。まさかこんな簡単に上手くいくとは思わなかった。多分、研究者みたいなやつらは、このプログラムが上手くいったと思うだろう。ちゃんと予定通り片方の人格は消えてるんだからな。だが、消えたのは善意だけの俺のほうだ。悪人と呼ばれている俺はピンピンしている。さて、これからどうしようか。多分しばらくしたら目覚められるだろう、そうじゃないとずっと眠ったままでプログラムの意味がないからな。やつらにはムカついてるし、何か仕返ししてやりたい。そうだ、目覚めたら善人になったフリをして施設を出てやろう。そしてその直後に何か事件を起こすのだ。きっとやつらは混乱することだろう。純然たる善人が、罪を犯すなどということはあり得ない。しかし、プログラムは成功したはずなのだ。さぞ面白い顔をしながら右往左往するに違いない。そう考えていると、今からもう笑えてくる。目覚める時も眠りに落ちた時のように突然か。だとしたら、少しは心の準備をしておくべきだな。それに、やつらもさすがに何も調べずに俺を帰すとは思えない。まぁ適当にごまかせばなんとかなるだろう。そういえば善人の俺が消えたことで、俺にも何か出来るようになっていないか試そうとしたところで、俺はまた意識を失った。
「おはようございます、気分はどうですか?」
俺の目を覚ましたのは、眠りに落ちる前に話していたのと同じやつの呼び掛けだった。俺は普通に返事しようとして、善人のフリをしなければならないことを思い出した。
「はい、とてもいい気分ですよ。何か悪いものが落ちたような気分です」
「そうですか、それはよかった。しばらく記憶が混濁することなどがあるかと思いますが、そういった場合は当研究所を訪ねてくださいね」
どうやらバレてないみたいだ。こいつは俺を一切警戒することなく背を向けてさえいる。今後ろから襲いかかってもいいが、あまり面白くない。どうせなら多くの人間を混乱させたい。そのためには、今は少し我慢が必要だ。結局、何か確認の質問をされることもないままここの電話番号とか住所とかを教えてもらって、何かあったら来いというだけだった。ちょろい。出る前に、
「やはり性格が変わっても持っている知識の量は変わらないから、語彙があまり多くないのか…」と呟かれて、意味はよくわからないがムカついて殴りたくなった。だが、なんとか頑張って我慢した。俺は偉いと思う。
施設を出て、ブラブラ歩いていると何か人だかりが出来ているのが見えた。ちょっと人をかき分けて中心を見てみると、路上ライブをやっているらしかった。見たことのないバンドだから、多分インディーズとかだろう。いつもなら道の邪魔になっているやつらをどかしながら進むが、今日は少し立ち止まってみることにする。この人ごみは、俺が何か事件を犯すのに絶好の場所だ。聞いてみるところまだ曲の初めあたりだし、この曲で最後だとしても何か思い付くまでには十分な時間があるだろう。別に考えるのが面倒だからライブをやっている奴らを殴るとかでもいいが、いまいち面白くない気がする。
俺が立ち止まって珍しく思考に耽っていると、いつの間にか人はバラけてしまっていた。バンドもいなくなっている。しょうがないから、コンビニに寄って何か使えそうなものを買って帰ることにしよう。別に何か事件を起こすのは今日でなくともいいのだ。いつか俺の存在が衆目に晒されて、善人として認識されてからでも遅くはないだろう。それまではゆっくり本でも読むとしよう。時間はたっぷりあるのだから。
お読みいただきありがとうございました。