『砂漠』
「……」
街を出てから二日目。
そう、たったの二日しか経っていない。
しかし、その二日というのも案外地獄に見えてきたのだ。
いや、地獄というのは比喩の表現には良くても正確な表現性がないな。
というのは、今私が地に足をつけているのは地球であるからだ。
そう、地球。水と緑…生命の宿る星なのだ。
そのはずなのだがな、今はそんなものなど見る影もなくなった。
とりあえずは目的地である『北』の場所へ向かおう。
どこか別の哲学的な思考を持ちながら優雅気ままに歩くのも考えたが、
生憎私はその手の論理思考を持ち合わせてはいなかった。
だから、特に考える暇もなく、しかし心のどこかを持て余すような気持ちの中で
歩くことにしている。
何とも虚しいものだが、こればかりは怨もうとも意味がない。
脳のブレーキを外し、また歩くことにしよう。
(……静かなものだ。)
私が歩いている『砂漠』は、全体としてとても広大で、
さらに生命と呼べる存在はほぼいない。
有るとすれば、土地を好き放題に歩き回る旅人やそれを襲う略奪者。
逆に、
生きているという制約を無視したおぞましき生存体が多くいるはずだった。
いるはずだったのだが、どうやらこの二日間でその手の連中は見かけなかった。
運が良いのか必然か、それとも奇妙な意図があるのか。
どちらに転んでも行き着く正解は一つ。
(護身用に持ち込んだ武器……無駄になったな)
先述したその連中は生命の規範にそれている。
それ故か否かはわからないが、度々民間人に危害を加えているという。
そのため自身の身の安全を保障させるものとして、
鈍器や拳銃といった類の物を持つことになっている。
そんな危険な連中の居る場所を歩く必要があるのかと言われれば、ない。
が、それでも向かう理由というのは持ち合わせている。
理由としては随分とはした金だが……
まぁ、それは今は気にしないことにしよう。
変わらない土地の中を歩き続けているせいで、
どうにも頭を空にしないと歩いていけないことにはなんだか微妙な心持でいた。
私が社交家や、
常日頃に陽気でなければ歩く気になれないという性格ではないが……
かといって逆に何も考えずにいるというのはどうにも胸に穴が開いてしまう。
気を紛らわせる品もあるわけではなく、
他にどうしろと思うところもないので特に意味もなくこうしているのだが……
「……」
二日目にしてこれは些かまずいのではないかと思いはじめてきた。
まぁ、一先ず夜になればそれも解決するだろうしそれまでの辛抱だ。
時刻は16:07。あともう1時間ほど歩いて早めに休息場所の設営をしておこう。
ボォー……っと。
静かな雄叫びを上げる炎を見つめながらに、今日の食事の支度をし始めた。
時刻は18:16。
今日も幸か不幸かすぐに陽が沈み、夜の常闇が挨拶をしてきている。
この砂漠はとても厄介なことに太陽の浮き沈みは予測ができない。
1日1日に似た様な時間を辿らずに、場合によっては2時間も身勝手に進む。
なので昨日の日程が同じように通用するわけではない。
これのお陰で物資の状況は常に先を何とか見通していかなければいけない。
「ふむ……」たったの二日なので判断には困るが、
なんとか予定量をキープしているようだ。
持ち込み品には、水、簡易調理器具、携帯式栄養食、簡易調理用食品、
睡眠用具、非常時の武器、薪と着火剤、
小さいナイフにロープ、万が一の紙(地図も含む)とペン。
まぁ挙げ連ねるならこの程度か。
紛失や破損、故障もなく現状は二日目とはいえまだ問題はないようだ。
少し安堵の表情になる。少なくともまだ大丈夫なだけマシなものだ。
さて、小さな栄養たっぷりのスープを作り、地図を広げ今の道のりを確認する。
小さなメモ用紙に方角を記入しながら歩いた距離を書いていた。
これを地図に当てはめ、今の現在地を把握しながら次の移動ルートを構築する。
これによると、道のりもまだ順調らしい。
正直者の証か、それとも何かからの恩恵か。
どちらにしろ順調であればそれでよい。
腰を落ち着かせ、完成したスープを、熱さを鬱陶しく思いながら飲み始める。
このスープは簡易的に作れる上、保存も効く。
また、栄養もしっかりとあるのでこのような土地での食事としては高級品だ。
最初は固形物のかたまりでこれをスープに溶かして飲む。
味もまぁまぁ良く、文句のない至高の食品だ。
だが、それでも質素な食事であることには肯定してしまう。
彩というか、食の華やかさがこれにはまるでない。
色合いといい見た目といい食感といい、
文句を言うべきではないかもしれないが気にはなってしまう。
まぁ、それでも1次の一日を何とか済ませられるのならこれで満足だ。
食事を終え、寝床で横になりながら今までのことを振り返る。
今まで、というのはこの『砂漠』を歩くことになった理由だ。
元々は些細な理由だった。
別に困窮のため他所に援助を求めるわけでもない。
目的地に何かしらの重要な物品や情報、人物が居るわけでもない。
しかし、行かねばならぬ。
それは確かだった。
そう、何事にも代えがたい、替えの効かない事柄なのだ。
命を懸けてまで行くべき場所でもあり、それは傲慢な杞憂でもあるのだ。
まぁ、少なくとも追求なんぞに精を出すよりは
今すぐに寝て明日の行程に備えるのみだ。
私は、明日に希望と絶望を抱きながら泥のように眠った。
行程を進めて3日目の夕暮れ前。
あと少し歩けばもうすぐ休息場所の設営をするところだった。
ふと、目の前から馬に乗りながらこちらに向かってくる。1人の男だった。
男は私を見つけたにらしく、少し急ぎ目に近づいてきた。
「やぁ。旅人かい。」
「いや、旅人には近しいが些かに違う理由だ。」
男は少し陽気だ。馬には旅のためだろうと思わしき多めの荷物を載せている。
「ほう?ではいったいどのような理由で。」
「使命だ。そういう風な仕事を請け負っていると、そういう解釈をしてほしい。」
私は少しばかりに不思議な人間であると演出をしながら男に言ったのだ。
「ははは、面白いな。僕はこの近辺で何度か人間に遭ったことはあるが、
君の様に妙な不思議さを含んだ目的を持つ人は初めてだよ。」
男は希少な物を見るように私を拝見している。
「では、そういう貴方は何用で此処を?」
「行商だよ。君も知っているだろうが、ここから東にある街へ向かうのだよ。」
行商。聞いたことはあったが、
この広大な土地を相手に物売りをしている人間がいるそうだと。
とは言っても街での物売りが基本で、旅人に売ることはないそうだ。
そもそもこの大きさだ、見つかるかどうかさえ怪しいものだ。
「東。東と言えば『オアシス』か?」
「御名答さ。僕はそこと、ある場所を結んでいる運び屋なのさ。」
「この『砂漠』で運び屋とは、貴方は中々に肝が据わっているな。」
「そうかい?確かに危険はあるのは事実さ。
しかし、その危険が僕らの旨味なんだよ。
君のように風変わりな理由を除いて、
この危険はある種の人間の欲望を満たす旨味で溢れている。
今の『砂漠』とはそのような意味を秘めているのさ。」
「僕からすれば、『ラジオ』を持たずに砂漠を歩く君にこそ
勇気や肝の据わりというのは授けられるべきだよ。」
「『ラジオ』か。アレはどうにも肌に合わない。」
「へぇ……、面白いね。ところでどちらへ向かうんだい?」
「……北だ。北の遠い先にある場所へ向かっている。」
「……中々に肝が据わっていると思っていたけど、その上を行くね。
『北』へ行くなんて正気かい?」
「いいや正気さ。
そもそも、私の進む理由が狂気であるか証明はできないだろう。」
「ならば正気とも証明できないね。」
「意味のない問いだ。どちらともにしたって行くことに変わりはない。」
「良く思い返すべきだ。
僕はこの『砂漠』の危険さは好きだが、『北』は別だよ。
あそこは此処が少なくとも生命の在る場所である
と教えてくれるほどに危険だ。いや、醜悪と表現するべきだ。」
「しかし、俺には行くべき理由がある。」
「どうだか、それは理由として成立するかは怪しいものだよ?
第一に、行ってどうするんだい。」
「……」
「まぁ、僕は商いが人生の軸だ。君の目的にとやかく言うのは無粋だったね。」
「でも、もし仮に辿り着いても君が望むものはないと思うよ。」
「いいさ。元より望みというのはほぼない。」
「そうかい。では、少なくとも僕は君の無事を祈ることにするよ。」
そう言ったのを最後に男は静かに去っていた。私が寂れていくが様に。
私はそれを見届けてまた歩き始めた。少し話していたせいで時間が遅れかねない。
今夜もまた昨日と同じ食事と作業で少し飽きるが、
その代りに……嫌というほど先程の男の言葉が体に残る。
別段今の目的を疑うわけではない。
が、その『北』の意味を思い返してみるとどうにも何故だか胸に跡を残している。
そもそも『北』に何があるのか。
『北』とは根底的に何なのか。
基本的な事項すら知らなかった。
ならばもう引き返すか?いいや引き返すことはできない。
食料と幾つかの物資が足りなくなる。そもそも戻ることなど許されなかった。
「……やるしかないのだ。」私は拳に力を入れて、明日に備えることにした。
振り向けぬのは分かっている。
私の行程は最初の時点から後先など失っているのだ。
考える余地もなく眠ることにした。
歩いて数えること、もう5日は経っているのだろうか。
少しばかり思考がぐらつき始めている。
しかし、予定ならあと数時間程度だ。
どうやら私の進行速度が思ったよりも早く、本来の行程よりも少しばかり早まっている。
が、今度はこの『砂漠』の危険が牙をむき始めた。
「…………」
私はもうすぐ辿り着くという小さな興奮を抑えながら息をひそめている。
前方何十m先。人らしき物体が歩いている。
が、その動きは人間にしては弱々しく幼稚だ。
「ァ……ァ」
成程、アレが知性を失ったなれの果てか。私は心底嫌な気持ちになった。
というのは、目の前に居るソイツは生きていなかった。
体は腐食しており、少なくともその体格が人間似ているなと思う程度である。
『グール』、『喪い人』。
死人でありながら、心を喪ってこの『砂漠』をさまよい人を襲う化け物。
どういう理由でそうなるのかは不明だが、
わかっているのは同じ人間だったということだけである。
私にとって、
ある意味では彼らを人間だったと仮定することは弔いだと思っている。
それは彼らが人間だったという誇りがある。
故に、そうでないと切り捨ててしまったらそれは唯の怪物になってしまう。
その誇りを誰かが拾い上げることで、その命は救われるはずだ。
私は見つからぬように、足を進めていた。
彼らなりにも仲間意識があり、1つ見つかれば幾つ相手にするかわからない。
その絶体絶命な状況は避けねばならない。果たして見つからないと良いが……
「ゥ……ゥァ……」
どうやら私が向かう方向とは逆に向かっており、心底助かった。
これで相手などしていたら最悪死んでいただろう。
それだけに面倒な相手であるのだ。
(さぁ、足を止める前に向かわねば……)
私は少しずつ目標に向かい歩き続けた。
そうさ、彼らのように心を喪ってはいけない。
私はどうあっても『北』にむかうのだ。
そう、『北』にこそ……
『北』にこそ……
『北』を見つけた。あぁそうさ。『北』を見つけたんだ。
私は今まで声に出さなかった喜びを口に出した。
この幸運には少しばかり涙を浮かべてしまいそうになるくらいに喜んでいた。
私は『北』に目掛けて走った。それは子供の時、
何に代えがたき物を見つけたときに走る姿にそっくりだ。
そう、これが私の悲願。ついに欲しかったそれは目の前にあるのだ。
そして、私は喜びと悲しみの中で小さく涙を流した。
少しだけ説明を
砂漠:『ただ広く、後には何もない土地』
終わりがないただ広い土地。旅人や行商、略奪者と言った人間はいるが、時折『人間ならざる者も存在する。』
オアシス:『安息の約束された街』
東の遠い先にある街。規模も広く人も多い、治安も活気もあり『砂漠』の中では安全な場所である。
ラジオ:『自分を保つための品』
機能自体は唯のラジオ。基本は誰しもこれを持ち、生活の中枢を担っている。
あえてここでは、主人公や『北』については語りません。
私はこの作品に無数の解釈があることを信じて、世に送ります。
皆様は、当てのなき、果てのなき『砂漠』を歩いたことはありますか?