03
そうしてふと思う。操り主はアリーの半透明の身体がむず痒くなるほど詩的な表現をしていたけれど、つまるところ『あの方』という人物は黒髪に緑の瞳をしているらしい。
スーイと同じだなとアリーは思った。ジンもスーイも黒い髪であるが、母から受け継いだ紫の瞳をもつジンとは違い、スーイは父譲りの緑の瞳をしている。緑の瞳は珍しく、知人で黒髪と緑の瞳の両方を持ち合わせている人をアリーはスーイ以外に誰一人として知らない。
操り主の言う『あの方』とはアリーの知らない人物なのだろうか。アリーは噂程度でしか知らなくても、緑の瞳を持っている人はいなかっただろうかと思い巡らせる。
「あの方は気高く博識でいらして、学院では名誉ある賞をとっていらっしゃったわ。いつも口を噤んでいらしてそれもまた雄々しげでしたけれど。その凛々しげな横顔で何を考えていらしているのか、知りたくてたまりませんでしたわ。気がつけばわたくしはあの方に初恋を捧げ……きゃっ! なんですの!?」
〈え、なになに? どうしたの〉
身体の操り主は思い出に浸って我を忘れたように語っていた。その途中、いきなり身体を飛び跳ねさせるようにして驚きのけ反ったのだ。
どこの夢物語かと思わされるような語りを己の身体でされる恥ずかしさを受けながらも必死で耐えていたアリーだが、思いがけない操り主の変異に慌てて身体をのぞきこむ。しかし身体とジンとの間には何の変化も見てとれない。アリーは小首を傾げた。
ところが身体の操り主には何かが分かったらしい。憎々し気にジンを睨みつけ、「貴方、どういうおつもりですの」と唸った。
「無理に動かさない方が良い。手首に傷がついてしまう」
「拘束魔法をレディにするなんて無礼がすぎてよ」
〈ええっ?! 拘束魔法?〉
二人の会話を聞きつけたアリーが操られている身体の手首周辺をよくよく見てみると、ソファから伸びる青白いひも状の光が確かに見てとれた。光は手錠のようにアリーの手首に巻きついてソファに縫いつけている。
どうりで一見分からなかったはずだ、とアリーは納得した。アリーに魔法適正は無く、生活魔法の基礎の基礎のことしか知らないでいる。
最近では魔法の使えない人用に様々な道具が開発されているのでこれといった不便は無い。だが教養として叩き込まれる魔法の知識を身につけては、もしも自分も魔法が使えたならと想像したことは数えきれないほどあった。
弟のレンリーは魔法適正が有り何かにつけて自慢してきたけれど、適性の高いジンは優しかった。幼い頃もアリーが少しでも楽しめるようにと、魔法で氷の花や鳥などを作ってはアリーにプレゼントしてくれたものだった。
だがアリーはひとつ疑問に思った。どうしてジンはアリーの身体に拘束魔法なんて物騒なものを仕掛けたのだろう。普段のジンの性格ならあまり考えられない行動ではある。
拘束魔法はレベルこそ多岐に渡るが、基本的に魔法適正の無い者には施してはならないものだ。適性の有る者に対しても制限がある。
刑務所に収容されるような重罪人に付けられる拘束魔法は、仕掛けられた瞬間にひどい痛みを伴うらしい。それを考えるとアリーの身体に掛けられている拘束魔法は程度の低いものに違いない。しかしどうして。
そこでアリーの頭の中に閃きが浮かび上がった。もしかしてジンはアリーの異常事態に気づいたのではないか、と。
普段のジンであるなら、アリーに拘束魔法を仕掛けるなんてことをするはずがない。それにジンはアリーよりもずっと冷静で思慮深い。身体の操り主の言動に違和感を抱いてもおかしくはない。
そうだ、そうに違いない。アリーは自信をもって頷いた。
アリーの目から見ても身体の操り主は変なところでいっぱいなのだ。口調は古風で高飛車なプリンセスであるし、仕草もどこか古めかしい。見ているアリーは恥ずかしくてどうしようもなくなるほどに。
何より『あの方』に初恋を捧げたなんて。アリーには馬鹿馬鹿しくて仕方がない。アリーの初恋はジンに決まっているし、それは現在進行形だ。そのことをジンはいやというほど知っているはず。
加えて、黒髪で緑の瞳を持つ人物など、アリーにはジンの弟のスーイ以外に思い当たらない。だがスーイは決して無口ではないし、雄々しげだの凛々し気だのというのとは少しタイプが異なるようにも思える。つまるところ、アリーの知り得る中にアリーが心奪われるような黒髪で緑の瞳をもつ人物など存在するはずがないのだ。
アリーは先ほどまで自分がしていた推論が間違っていたと気づいた。
今アリーの身体を操っているのは、アリーのもう一つの人格なんかではない。アリーは多重人格者ではない。もしアリーの別人格であるというのなら、見ているものも育った常識というものも合致しているはずだ。
そうだというのに、身体の操り主はアリーの知らない人物を知っている。そうしてアリーには古臭くてたまらない振る舞いでいる。
何が原因かはいまだはっきりしないけれど、アリーは何か特別な力で身体を乗っ取られてしまったのだ。
ジンもきっとそう推理したに違いない。そうして、アリーに起きた異変に気づいて拘束魔法を使ったのだろう。アリーの身体に傷をつけないよう配慮したのも、もしかしたらアリーと中身が入れ替わっていることにさえ気づいたのかもしれない。アリーの心は期待に弾んだ。
「父にはまず俺が直接アリーと『話』をすると言ってある。防音魔法でキミの声が外に漏れることはない、どんな大声を出そうとも。俺の声しか外には通らない」
「……それで貴方は何をお望みというのですの?」
二人の緊迫とした雰囲気にアリーはどぎまぎとした。さあお願いジン、そのプリンセスをわたしの身体から追い出してほしいの、と言って応援したいのにどこか不穏な予感が胸をよぎる。
ジンはアリーの身体が腰を下ろすソファの肘置きに手をあて、ゆっくりと見上げる。
「アリー。キミはさっき、『あの方』とかいうやつに初恋を捧げたと言ったね。そうして、今も心を奪われたままだと」
「ええそうよ。それがどうかして?」
操り主がそう答えるのと同時に、アリーもジンを見つめた。
大丈夫だと思っていたいのになぜか不安に駆られてしまう。ジンはいつも冷静で賢くてアリーよりもはるかに察しが良い。きっとこの異変に気づいているはず、気づいているよね、とアリーは問いただしたくなった。
ハラハラと半透明の胸を両手で押さえながら、アリーはジンの表情をうかがう。だが深い紫の瞳からは何も推し量ることはできない。
「『あの方』とはいったい誰のことか教えてくれないか」
あくまで静かな声色のジンをさすがの操り主も訝しんだのか、いささか怖気をうかがわせる声で「い、嫌よ」と答えた。
「なぜ」
「むしろわたくしが知りたいわ。なぜ貴方に『あの方』のことを教えなくてはならないの」
「俺とキミは婚約関係にある。俺には知る権利があるはずだとは思わないかい? ──婚約がキミの本意でないとしても」
「貴方は『あの方』が誰かを知ってどうしようというの! まさか危害を加えようとでも思っているのではなくて?」
ジンは一度俯き、そうして顔を上げると目を細めてふわりと微笑んだ。その瞳はいつもの笑みとは別の輝きを放ち、傍で見ているだけのアリーは半透明な身体でも鳥肌の立つ感覚はあるのだと驚いた。
「そうだね、そうなるかもしれないな。自分でも分からない」
「ヒッ……! あ、貴方おかしいわ!」
「俺もそう思うよ。キミのことになると、自覚があろうとどうしようもなくなる。今はキミの心を奪ったとかいう男が憎くて仕方がないな」
〈やっぱり! 全然冷静じゃなかった! 全然わたしのこと気づいていなかった!〉
不安は的中し、アリーはたまらず叫んだ。ジンはまるでアリーの身体が乗っ取られていることなど気づいていなかったのだ。