ままならないことばかりでも
アリーはしっかりと握りしめたジンの両手をたどりに、つたないステップを踏む。
少しだけリズムから外れながらくるりと回った。
「ねえ、今のはここ一番の最高のターンじゃなかった?」
少し見上げてジンに向かって微笑む。
「ああ。ずいぶん綺麗に回ったね」
ジンはさすがアリーだ、と言いながらつむじにキスを落とした。
アリーの精神を力ずくで身体に戻すという試みは成功した。生命を失うことなく、今もアリーの精神はきちんと身体に留まっている。
しかし想定外のことも起きた。
久方ぶりに自分の身体を取り戻したアリーは、目蓋を開けて少しの違和感を抱いた。
周囲にはアリーを心配げに見つめるジンやレンリー、スーイの顔があり、安堵した彼らと握手やハグを交わす。
肩や腕、指はいつも通りだというのに、下半身を使うと異様に神経を遣ってしまうのだ。
調べてみれば、身体に精神を入れ直したものの、一度空になった身体を精神が支配するには時間がかかるようだ。
思い起こしてみると、フェリアナがアリーの身体を支配するのにもずいぶんと時間がかかった。
それを考慮すれば最初から上半身を不自由なく動かせたのは幸運ともいえるだろう。
しかしアリーが下半身を思う通りに動かせないということで、両家に今回のことを説明するのにもひどく時間がかかってしまった。
婚約破棄騒動の次は監禁騒ぎ、そうして最後にアリーの下半身が動きにくくなるとは。
両家とも幽霊を見ることのできる者はおらず、四人は説得するのも一苦労だった。
まさかこんな年齢になってまで、四人そろってこんなにも怒られることになろうとは。現代では廃墟と化しているが、フェリアナの旧家に四人で肝試しに行った頃以来の大目玉をくらってしまった。
しかしフェリアナが意図的にポルターガイストを起こしてみせるなどして、四人はなんとか両家への説明に成功する。
そうしてアリーとジンの婚約はそのまま継続され、近くに控える結婚式に備え、アリーは下半身を元通りに動かすためにリハビリをする毎日だ。
最初は歩くこともままならなかったが、ジンの協力もあり、数週間経った現在では軽いダンスなら踊れるほどまで回復できた。
「さっすが姉さん、ガッツがあるなあ」
扉を見やれば、レンリーがアリーたちを休憩に誘おうと紅茶とお茶菓子を持ってやって来ていた。
レンリーはテーブルにティーカップを並べながら、宙を見上げて「フェリアナ嬢も精が出るじゃん」と笑う。
「フェリアナ嬢もそこにいたのね!」
〈まあ察しの悪い方ですこと〉
「プリンセス節炸裂だなあ」
レンリーはクスクス笑ってクッキーを一つ摘まんで食べた。
アリーは未だフェリアナの姿を見ることも、声を聞くこともできずにいる。そういう時はいつもジンたちに「ねえ、フェリアナ嬢は何て?」と聞くのだ。
ここ最近専らフェリアナ嬢の通訳となってしまったジンが苦笑して答えた。
「今日もアリーのそばでずっと一緒にダンスの練習をしていたのに、気づいてもらえなくて寂しかったと。あと、今はレンリーにつまみ食いなんてお行儀が悪いと注意している」
「素敵なマナー教師ね」
今回の騒動は悪いことばかりではなかった。
三人も幽霊が見えると訴えたことが功を奏してか、両家の両親とも幽霊が実在するのだと信じ、これまでスーイが抱いていた疎外感を払拭できた。
どうしてそうなったか、何事にも好奇心旺盛なアリーの父親が、幽霊の存在を証明する研究に乗り出したのは四人にも想定外だった。
おかげさまで、スーイは連日アリーたちの父に捕まっては幽霊との思い出を語らされたり、さまざまな実験に駆り出されたりしている。
毎度ぐったりとしているスーイを見て、レンリーは「いいんじゃない? 体力つくかもよ」とあっけらかんと笑ってみせ、日々八つ当たりされている。
そして何より、フェリアナに大きな変化が起こった。
最近のフェリアナといえば、アリーに付き合ってずっとダンスを踊ってばかりいる。アリーにその姿が見えることはないが。
連日人間と一緒にダンスをする幽霊というのが、どういう経路を辿ってか幽霊界で有名になったらしい。
フェリアナはすっかり幽霊界のダンスリーダーとして君臨し、この辺りの幽霊の間でフェリアナの名を知らない者はいないとまで言われるほどだ。
もちろんフェリアナ・アリセスとしてではなく、人間と共存する幽霊ダンサー・フェリアナとして。
そんなフェリアナの舞台を作ろうとアリーが発案し、近日中に幽霊と人間の両方が参加できるちょっとした舞踏会が開かれることになった。
場所は四人がいつか肝試しをした廃墟──フェリアナの屋敷を改装してできた、フェリアナ・ホールだ。
もちろん、アリーたち四人も参加することが決まっている。
スーイはアリーの父に連れられて幽霊のダンスを実況しなければならないし、レンリーはそこで新しい恋を見つけようとやる気満々で張り切っている。
舞踏会を前に、アリーのリハビリも調子よく続いている。人は何かご褒美が待っていると頑張りが変わるものだ、というのはアリーの昔からの弁だ。
「ねえ、ジン。わたしね、昔からあなたがいつも口にしていた『人生はままならないもの』っていうの、よく分からなかったの」
アリーの言葉にジンは頬をかく。
良いことが起きてもすぐ悪いことが起きるのではと疑うのは、ジンの昔からの癖だ。
「だけど今回のことで、ままならないことって本当にあるのねって思った」
ステップの途中でアリーは踏み外し体勢を崩す。倒れないよう慌ててジンがアリーを支えた。
お礼を言ってアリーがジンを見上げる。
「人生にままならないことってつきものね。何でも上手くいくことばかりじゃないわ」
「ああ、そうだろうね」
「でもね、わたし、ままならないことばかりでも、きっと楽しいって思えるみたい。ジンと一緒なら」
ジンは虚を突かれて息を飲む。
「多少でこぼこしている道の方が、ジンと一緒なら楽しいわ」
「……俺も、アリーと一緒ならままならない道でも良いと思えたよ。キミがいつもステップを踏むように、俺の隣を歩いてくれるから」
笑うアリーの手を、ジンは強く握りしめた。




