04
周りで飛び交う推論を、アリーは唖然として傍観する。
そんなことってあるのだろうか。疑ってみても、三人がアリーを騙しているようには見えない。騙すメリットも無い。
〈さあ? 一度死んでみたら分かるのではなくて? 試してごらんなさいな〉
「あーあ! さっきまでの殊勝な態度はどこへ行っちゃったんだか!」
アリーは唐突に天井を見上げながら叫んだレンリーに驚く。
慌ててスーイを見れば、目の合ったスーイが「プリンセス節のご帰還だね」と肩をすくめた。
〈待って、待って。なんの話?〉
アリーは肩を震わせて言う。レンリーとスーイは顔を見合わせた。
「そうか、声も聞こえていないんだな」
ジンがそう言うとアリーは悲壮な顔で〈やっぱり!〉と嘆く。
〈わたしには見えない聞こえない、だけどみんなには見える聞こえる……ホラーじゃない!〉
「いや、姉さんもホラーって言われる側なんだけどね、今」
フェリアナは空中に腰掛けるようにして四人を見下ろす。そうしてアリーを眺めては〈騒がしい方ですこと〉と呟いた。
〈ああもう、フェリアナさんが消えたってわけじゃないならいいわ! 早く戻らないと〉
アリーは自分の身体に近づき、その頬に指をかざしてみる。予想通り触れることはできない。
今度は思い切って腕を胸にしずめてみる。アリーの腕は身体を通り抜け、ソファの中に姿を消す。
半ばやけになってアリーは自分の身体を抱きしめるようにして、ソファに身を投げた。だがアリーの身体は抜け殻のまま、アリーは〈大変だわ!〉と叫ぶ。
〈どうしよう! 戻り方が分からない!〉
一連を見守っていたジンもこれには頭を悩ませる。
アリーを含め四人は、てっきりフェリアナがアリーの身体を解放すれば自動的にアリーは元に戻るのだと思っていたのだ。
「フェリアナ嬢。どうすればアリーは戻れるんだ?」
ジンは空中のフェリアナを見上げて尋ねる。
しかしフェリアナはぷいっとそっぽを向いて、つれない態度で答える。
〈さあ存じませんわ。だって、わたくしが彼女を追い出したのではないのですもの。彼女が勝手に身体から出たのに、わたくしにはどうすることもできませんわ〉
渋い顔でジンはフェリアナを見上げる。
そんなジンを見て、アリーは何か悪いことでもあったのかとジンに声をかけた。
フェリアナの返事をジンから聞いたアリーは〈た、たしかに……〉と肩を落とす。
アリーは身体から精神体が抜け出た瞬間のことを思い出す。
アリーの精神が身体から離れたのは、フェリアナに身体の自由を奪われ、自分では動くことも喋ることもできずにいた時だ。
ジンの部屋に続く階段をのぼる途中、ジンに婚約破棄の意思を伝えるフェリアナに抗議した瞬間、アリーは自分の身体が精神から離れたことを知った。
あの時はまるで透明人間のようだと思っていたけれど、まさかほとんど幽霊に近い状態だとは。
きっとあの時、フェリアナでさえも想像していなかったに違いない。
抑えつけられようとしていたアリーの精神が、その抑圧から逃れるために身体から抜け出るとは。
ともすれば、やはりフェリアナの言うとおり、アリーの精神が身体を脱したのはアリーの意思によるものなのだろう。フェリアナにはどうすることもできない。
〈ど、どうしよう……〉
「糸はまだアリーの身体と精神を繋いでる……けど、このままじゃ──」
スーイは眉間に皺を寄せてうつむく。
〈大丈夫よ。きっと何か方法はあるはずよ〉
つとめて明るい声を出すアリーを、レンリーが眉を下げて見つめた。
ジンはフェリアナを見上げたまま話しかける。
「フェリアナ嬢。魔力を提供してもらえないか」
〈ジン?〉
「強硬手段ではあるが……想定の範疇だ。力業で精神を身体に戻そう」
ジンはアリーを見下ろした。
「兄さん、正気? 無茶だ……出来るわけがない。精神に干渉する魔法に、どれだけ魔力が必要か分かっていないとは言わせないよ」
「魔力なら問題ない。俺と、スーイ、レンリー、そしてフェリアナ嬢の魔力を合わせる」
ジンは再びフェリアナの顔をうかがう。
四人を空中から見下ろしていたフェリアナは目を細める。そうして深いため息をついて、ゆっくりとアリーの身体が横たわっているソファへ降下した。
〈……わたくしが助力できるのは魔力だけでしてよ。結果、どうなろうと責任はとれませんわ〉
「ああ、かまわない」
二人の会話を、レンリーとスーイは神妙な顔つきで聞く。
「他人の魔力は抵抗が強い。複数の魔力を扱うには技量がいる。精神に介入するのだって……」
「承知の上だ。他に方法があるか?」
スーイは苦虫を噛み潰したような表情で、口を引き結ぶ。
「だけど、最悪……アリーは死ぬ。命を落とさなくても、廃人だ。それじゃ死んだのと同じじゃんか……!」
やっと想定しうる最悪の事態を知ったアリーとレンリーは、ぐっと息を飲み込んだ。
アリーは自分の顔を両手でパチンとはたいて、目をしっかりと見開く。
〈ジンの作戦に乗るわ〉
「アリー!」
〈だって、わたしが知っている人の中で一番魔力コントロールが上手くて信頼できるのは、ダントツでジンなんだもの〉
反論はできないまま、スーイは納得がいかずに拳を握る。
「姉さんはもう決めたの?」
〈ええ。やらなきゃ何も始まらないし、立ち止まってばかりじゃもっと困難になるだけだわ。女は度胸!〉
アリーはもう一度〈女は度胸!〉と言って、腕を振り上げた。
「ねえジン、それなら俺はどうしたらいい?」
「ありったけの魔力をくれ。純粋に、ただ手のひらに魔力を集めるだけでいい」
「よしきた!」
レンリーは力こぶをつくって笑う。
「フェリアナ嬢も」
〈……そうと覚悟を決めたのなら、よろしくてよ〉
相変わらずのプリンセスぶりにレンリーはにやりと笑う。ジンからフェリアナの言葉を聞いたアリーも、つられてにやりと笑った。
スーイは深い深いため息を長く吐き出した。そうして苛立ったように、がしがしと頭をまぜくる。
「分かったよ……、キミら昔からそういう人だった。一度決めたら止めたって聞きやしないんだから。僕も魔力を譲渡すればいいんでしょ、全部」
ジンはひとつ頷く。
「ああ。あと、レンリーとフェリアナ嬢の魔力を調節してくれ」
「分かったよ……やればいいんでしょ、やれば」
スーイは力無い声でそう言い、肩を落としてうなだれた。
ジンはアリーに向き直り、胸の辺りに手のひらをかざす。
その手が震えていることに気づいたアリーは、そっとジンの手を両手で握るようにして被せた。
〈ジン〉
「大丈夫、必ず元に戻すから」
〈もし万が一、わたしが死んだら〉
ジンは顔をしかめ、目をつぶる。
〈わたしが死んだら、わたしたち、世界で最初の幽霊と人間の夫婦ね〉
アリーはぎゅっとジンの手を握り直して笑う。
ジンはすぐにアリーの言葉を飲み込むことができなかった。
ジンの手にアリーの手の感触は無い。だがどこからかあたたかさが伝わるような気がする。
ぽかんといつになく間抜けな顔でアリーを見つめ、そうして眉を下げながらクククと笑って言う。
「困ったな。結婚するには、世間様に幽霊が居るって証明する論文を発表しなきゃならない。待っていてくれるか?」
〈ジンが死ぬまで待っててあげる〉
アリーとジンは見つめ合って微笑んだ。
ジンはすっと息を吸い込み、手のひらに魔力を込めた。




