03
アリーはフェリアナを説得し和解することで身体をかえしてもらおうと考えていたけれど、そうなる可能性は極めて低いとジンは推測していた。
あの執着ようだ、それも無理はないだろう。
もし身体を乗っ取られたのがジンであったなら、はなから和解などしようとは考えなかっただろう。まだフェリアナを騙し欺き、こちらへ渡すよう誘導する方へと考えていたはずだ。
だが高祖父母の手記を読んだアリーの様子を見れば、そんな計略を提案することも憚れた。きっとアリーは却下するだろうから。
それならばジンにできることは一つだ。
もしもフェリアナがこちらとの対話さえ拒否したなら。もし対話したところで、こちらの要求を受け入れることをしなかったなら。
ジンは握っていた拳を弛緩させる。そうすると、先ほどまで練られていた魔力も霧散した。
もしこの対話が決裂していたなら、ジンは力ずくでアリーの身体を取り返そうと考えていた。
ジンの部屋の扉の前でスーイはアリーに、身体を取り返すために一番確実で手っ取り早い方法はフェリアナに身体から抜け出てもらうことだと説明した。
確かにその通りだとジンも思う。
自分たちには魔力も技術も経験も、何もかもが足りていない。──他人の身体から精神体のみを……アリーの身体からフェリアナを引きずり下ろすには。
しかしジンには別の算段があった。
身体と精神を分離させようとするから困難に思われるのだ。目線を変えれば見えるものも変わってくる。
アリーには魔法回路が無い。したがって、今アリーの身体を操れているのは全てフェリアナがこの百二十年ほどで蓄積してきた魔力によるものだと推測できる。
そうであるならば、アリーの身体を操っている精神体であるフェリアナ自体に干渉し、催眠をかける魔法も有効ではないだろうか。
催眠の魔法の成功率に関わるのは、膨大な魔力とかけられる側の人間の性質が大部分を占める。
ジンの見る限り、フェリアナは古風な貴族の娘らしく冷静さや強情さを持ち合わせている。しかしスーイがしてみせたように、簡単な煽りで激情をあらわにする単純さも見て取れた。催眠にかかりやすい人間といえよう。
ジンはフェリアナの膨大な魔力を利用し、フェリアナに催眠をかけることでアリーの身体から引きずり下ろす強硬手段を考えていたのだ。
しかしこれは成功率も低く、成功したとしても引きずり下ろされたフェリアナの精神体がどのような状態になるかは想像の範疇を超えている。
まさに、最後の手段として考えていたのだ。
「うまく誘導できたな」
ジンはこっそりとアリーに囁く。
まさかフェリアナがこちらの妥協して要求を飲むどころか、前向きに捉える結果になるとは思ってもみなかったのだ。
これだからアリーたち根明姉弟は何をしでかすか分からない。
ジンの周囲には、魔法に長け顔立ちも整ったジンやスーイを褒め称える人間が多い。
だが、ジンやスーイにとってはアリーやレンリーには息をするように出来て、ジンたちには到底真似出来ない不思議な魅力があると思わされる場面が多々ある。
アリーやレンリーはいつも未来を見ている。行く先を明るくする力がある。人を惹きつける強さがある。ジンにはそんなアリーが眩しい。
話しかけられたアリーは一度きょとんとして、ジンを見上げる。そうして一拍おいて〈あ!〉と叫んだ。
〈そうだわ、返してもらうんだった!〉
「本当だ! うっかりしてた!」
アリーとレンリーは顔を見合わせる。そんな二人を半目で眺めるスーイが「うそでしょ……」と呟いた。
アリーはフェリアナに向き直り、自分の身体を指さして言う。
〈お願い、フェリアナさん。わたしの身体を返して!〉
フェリアナは眉間に皺を寄せて居心地悪そうに辺りを見渡し、そうしてアリーの瞳を見つめる。
「……よろしくてよ」
フェリアナは目蓋を閉じてすうっと息を吸い込む。
しばらくすると、部屋中を不自然な静寂が包んだ。周囲を圧倒するようなフェリアナの魔力を感じ、アリーは喉が詰まったように息を飲み込む。
ふとフェリアナの動きが止まる。
瞬く間にアリーの身体はまるで生気を失ったように、ふらっと体勢を崩した。
倒れ込みそうになる直前で、慌ててジンが抱きかかえる。
のぞき込んだアリーの身体は、半ば人形のような、作り物のような無感情の表情をしている。
ジンはアリーの身体をソファに横たわらせる。
その様子をアリーはじっと観察していた。生気の感じられない顔は、まるで自分の身体ではないように見えてしまう。
〈ねえ、フェリアナさんは? まさか、消えちゃったの……?〉
アリーはきょろきょろと周りを見渡す。だが、アリーの視界にフェリアナの姿は無い。
ジンはぎょっとした顔でアリーを見る。
〈え……、なに?〉
アリーが振り返ると、レンリーとスーイも同じような表情をしてアリーを見つめている。
「……アリー。右斜め前を見上げてごらん」
戸惑いながらジンが言う。アリーは指示通りに見上げた。
〈ええ、見上げたけれど〉
見上げた先には、小花を散らした伝統的な紋様の壁紙と木枠がある。これといって変わった景色があるわけでもない。
アリーはジンを見て〈なあに?〉と小首をかしげた。
「うっそお」
「そういうことって、あるんだね……」
二人の様子を遠くから眺めていたレンリーとスーイが、呆然と呟く。
アリーはむっとして〈だからなによ!〉と強く問いただした。
ジンは顎に手をあて、「俺もこれは予想外だったんだが」と言いづらそうに話しかける。アリーは再びジンに向き直った。
「アリー。キミは気づいていないけれど、フェリアナ嬢は霊体──ほぼキミと同じような状態でこの部屋にいる。ちょうどあのあたりに」
〈えっ?〉
アリーはもう一度先ほど示された場所を見上げる。しかし景色は変わらない。
「おそらくだけれど、アリーは小さい頃から『そういうもの』を見ている節が無かった……信じてはいたけれど。だから、その、残念と言うのが正しいかどうか分からないけれど、見ることができていないんじゃないか?」
ジンの説明に、アリーはぽかんと口を少しだけ開けて驚いた。
「レンリーは小さい頃には見えてた、というか、生きている人間とそうでない者と見分けがつかなかったじゃん。だけど成長するにつれて幽霊の存在を信じなくなって、だんだんと見えなくなったわけでしょ。だけどさあ、今思えば……この中で一番幽霊を信じていたのはアリーだったけど、全然見えていなかったのもアリーだったね……」
スーイは思わずアリーから目を反らした。
レンリーは口元をひくひくとさせながら、ハハハと力の無い声で笑う。
「いやいや。でもさ、姉さんって今は幽霊とほとんど同じ状態なんでしょ? そんな見えるとか見えないとか関係あるの? マジかよ」
「どうだろうな。ほぼフェリアナ嬢と同じ状態というだけで、身体はまだ精神体と繋がっているから、見えるものの範囲も生きている状態と同じなのかもしれない」




