03
「だけどさあ、フェリアナ嬢の死んだ橋って何か特別な橋だったの? ここに『なぜよりにもよってあの橋を通ったのか。』ってあるじゃん」
スーイがジンの持つ高祖母の手記の一角を指さす。改めてアリーも覗いてみると、確かにそう記してある。
〈ここって、今も橋は残っていないところよね。あれから復旧もされなかったのかしら〉
アリーは壁に掛けられている地図に近寄り、〈ねえ、ここでしょ? 昔ってこんな幅も馬車で跳び越えられなかったのね〉と呟く。
そんなアリーにジンが「当時の馬車には魔法回路が組み込まれていなかったからね」と苦笑を返した。
地図を見返し、アリーは魔法回路の無い世界などなんて不便なのだろうかと想いを馳せる。
魔法回路の存在が判明し、魔力を持ちえない者でも簡易的な魔法の使える効果が付与された魔法機具が開発されたのは比較的最近のことである。
現代の馬車であれば乗り越えられるような川幅でも、昔の馬車はその都度乗り手の魔法適合者が馬車を浮かすなどしていた。しかし御者にも魔力レベルに差はあり、現代よりもフェリアナの時代の方が圧倒的に橋の数が多かったのだ。
だが、高祖母がフェリアナの死した橋を『よりにもよってあの橋』と記したのは、別の理由もあった。
「確かあの橋は第三種特別橋だったはずだ。第三種は通る者を制限しない橋だが、基本的には魔法不適合者しか通ることのないような橋だ。作りも悪いし、魔法適合者は第二種や第一種を通るだろうから。……だが、あの橋が潰れたということなら、一番被害を受けるのは魔法不適合者だろうな」
アリーは地図をもう一度見る。
例の橋の近くには今も残っている第一種の橋と、現存しない第二種の橋があった跡地がある。その二つは、当時ならば魔法適合者しか通ることが許されていなかった。
フェリアナの死後、第三種の橋は掛け直されてはいない。例の橋が崩落した後、魔法不適合者が川を渡ろうとするならば随分と大周りをしなければならない。
加えて当時の馬車は性能が悪く時間もかかっていただろうし、魔法不適合者の乗ることができる馬車自体が制限されていた。
橋が無くなった。たったそれだけなのに、アリーには想像しきれないほどの不自由さがあったのだ。
「どうやらそれ、わざとじゃないのって見解らしいよ」
ジンから手記を受け取って読み進めていたスーイが、該当のページをアリーとジンに見えるよう開いて掲げた。
当時、保守派と魔法不適合者を含む魔法解放運動の一派との間の溝は深まるばかりであった。激化し始めた頃、魔法不適合者が使用できる数少ない橋や施設が意図的に汚染されるなど、使えない状態にされることが多々あった。警察や騎士団に訴えかけても、もみ消されることがほとんどだったのだ。
そもそも魔法不適合者が使用する橋に、フェリアナのようなトップクラスの魔法適合者が近寄ることはめったにない。
恋い慕う高祖父が高祖母と婚約したことに対する腹いせか何か理由ははっきりとしないが、あえて例の橋に近づいたのは元々橋を崩落させる意図があったのではないかと高祖母は考えたのだ。
〈『例の橋は竜巻で崩落したんじゃない。その裂け目を見れば、まるで分解されるようにして瓦礫と化していた。フェリアナの遺体に目立った傷は無かったらしい。加えて御者ははじめ、自分の魔力が引きずられるような感覚があったと言っていた。あれは本当に幽霊のしわざなの? フェリアナの死は魔力が何かしらの形で関与しているように思える。だけどそんなことを言っても、保守派のやつらは誰もまともに聞き入れようとしない。』ねえ、これってまさか〉
アリーが顔を上げると、ジンがひとつ頷く。
「ああ、魔力暴走の可能性が高いな。それに魔力誘引まで起こしている」
魔力暴走は魔法適合者の激しい感情の揺れによる魔力の暴走だ。魔力暴走を起こした魔法適合者が魔力の高い者であった場合、魔力の弱い者の魔力を吸いこみ魔力暴走を肥大化させてしまうことがある──これが魔力誘引だ。
現代では魔力暴走も魔力誘引もその原理は明らかにされている。
しかしフェリアナの時代では魔法適合者は『完璧な人間』であり、不完全なのは魔法不適合者のみとされていた。
「きっとこの頃から魔力暴走の可能性は考えられていたんだ。でも、それを保守派は許さなかったってわけね。まあそうだよね、認めちゃえば魔法適合者が頂点な権力構造が揺らぐわけだしさあ……」
フェリアナの死は多くの疑惑を残したままうやむやにされようとしていた。
「『だがフェリアナ・アリセスの死を境目に保守派もこちら側にまわる貴族も増えてきた。きっと彼のチームの研究がやっとまともに陽の目を見ることがかなったことも関係があるのだろう。』彼っていうのが高祖父なんじゃないの」
〈だけど研究って何かしら。ここには特に書いてはいないし〉
アリーはスーイの持つ高祖母の手記を眺め見る。端から端まで目を通しても、研究内容は明記されていない。
ジンは検索をかけていた高祖父の研究日誌を取り出し、見合う時代を探していく。そうしてあるページに差し掛かると目を見開いた。
〈どうしたの?〉
アリーがかたまるジンに声をかける。ジンはアリーやスーイにも読めるよう、高祖父の研究日誌を広げる。
「ここに、『私たちはこんなことのために研究をしてきたのではない。アリセス家にたばかれたのだ。』とあるだろう?」
アリーとスーイは指し示された場所を目にして頷く。
「高祖父の所属していた研究チームは魔法回路の一端を掴んでいた。学院で表彰されるほどの成果を得るほどに──これがフェリアナ嬢が言っていた『学院でとった名誉ある賞』というやつだろうな」
〈え? この時の学院ってどちらかといえば保守派よね。どうして魔法回路の研究が表彰されるの? むしろもみ消される対象になりそうだけれど〉
魔法不適合者の人権が回復したのは魔法回路の判明がきっかけというのは、現代では当然の事実だ。
アリーの疑問に、ジンは緩く首を振る。
「魔法回路の存在自体を高祖父たちは掴んだ。だが彼らは魔法適合者の『欠陥』を証明したわけではなかった。それを保守派に利用されたんだ」
高祖父の研究チームは、魔法適合者と不適合者の間には先天的な魔力を保持・放出する器官の有無であることを明らかにした。当時はまだ魔法回路という名はつけられていなかったものの、その存在を見出した。
高祖父たち魔法解放運動のメンバーはその研究結果をもとに、魔力を持たない魔法不適合者も不自由なく生きていける社会に必要なシステムを構築することを目的に魔法機具の開発を行おうとしていた。
ところが、その通過点として現代における魔法回路の存在証明を発表した結果、彼らは魔法適合者の優位的存在の証明者として表彰されてしまったのだ。
魔法適合者には魔力を保持・放出する器官が先天的に身についており、魔法不適合者は後天的にそれを会得することができない。
それを保守派の貴族たちは、魔法適合者は『天から選ばれた完全なる民』の証明として受け入れた。
当然のごとく、高祖父たち研究チームは表彰を拒否した。魔法不適合者の生活を支えるための研究が、魔法適合者と不適合者との溝を深める結果になってしまったのだから、仕方のないことだ。
それを彼らは『名誉ある賞』と考えることができず、表彰式にも欠席を決めた。
しかし世間はそうは受け取らない。彼らは魔法適合者の先導者などと虚偽の報道で一時もてはやされることとなった。高祖父の『翡翠の鷹の方』という呼び名が広まったのも、これがきっかけであった。
研究を保守派に利用された高祖父らは、魔法不適合者への差別を助長する結果になったことへの悔恨から、研究さえも頓挫させてしまう意向があった。
だが落ち目になりつつあった高祖父ら研究チームの前に、一筋の光が見える。それが高祖母の存在だった。




