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この初恋は譲れない  作者: 花田藍色
人生はままならないもの
2/27

02

 部屋で一人になったアリーは壁に凭れこむ。今のはいったい何だったのだろう。アリーは今でも自分が『ジンと結婚したくない』と言ったことが信じられないでいる。

 だがあの時、アリーの口は確かにそう動いた。アリーの意思に反して。


 父はこれからジンの家へ往訪の連絡を出すと言っていた。先方から返事が着き次第、詫びの品とともに伺うことになるだろう。

 しかし本来ならば、その席にアリーも居るべきだ。手紙を出したのがアリーであるのだから、本人が謝罪に向かわなければ誠意は見えない。何より、潔白を証明しなければならない。

 そうだ、わたしも行かなければ礼儀がなっていない。アリーは勢いのまま立ち上がった。

 立ち上がって、気合いを入れ、そうして思いとどまった。

 さっきのように勝手に口が動いてしまったらどうしよう。先方へ謝りに行って、そうしてまた「結婚いたしません」だなんて口が勝手に言ってしまったら。

 そう考えたとたんに不安になり、アリーはしずしずと座り込んだ。もしジンを目の前に「結婚したくない」などと言ってしまったら、今度こそ終わりだ──現在も事態が軽いわけではないけれど。


 とにかくは現状を把握するのが先決だ。アリーは顎に手を当てた。

 アリーには分からないことが二つ見えている。一つは身に覚えのない手紙がジンの元へ送られていたこと。もう一つは口が勝手にお喋りをしたこと。どちらもとてつもない難題だ。


 まず手紙について。

 父の話では、昨日の昼にアリーがメイドに言づけて手紙をジンの元へ送りつけたという。

 アリーには昨日、ジンを含む誰かに手紙を書いた覚えなど無い。もちろん、封筒に印章を押した記憶も。

 立ち上がって自分の机を眺めてみる。引き出しを開いて、そうして便箋入れを見てみる。次にペン入れも確認する。

 無意識のうちにアリーは首をかしげていた。

「わたし、本当に手紙を書いたの?」

 ペン先は明らかに使用した形跡がみられるし、綴じてある便箋にはその上で何かを書いた跡がある。便箋を両手で持ち上げて陽にかざしてみると、少しだけ文字が読み取れる。それはジンの元へ届いた手紙と内容が一致していた。


 いったん便箋をしまい、アリーは椅子に座る。そうしてムムムと唸った。

 改めて思い出してみても、昨日の昼までに手紙を書いた覚えがこれっぽっちも無いのだ。

 そもそも、最近のアリーは体調不良でよくベッドに横になっていた。昨日も確かそうだったはずだ。

 これまでの十数年間、アリーはほとんど病気をしない健康優良児だったけれど、この一か月ほどどうしてか体調がすぐれなかった。

 体調が悪いと言っても、食べたものを戻したり熱が出たりといった深刻なものではない。ただいつもより寝ている時間が長くなったり、頭がぼんやりしたり、数日前に寝ながらふらっと廊下を歩いていたりしていたのだ。

 真夜中にふらふらと歩き回るアリーを見つけたメイドは、最初こそ「またお嬢様は変なステップを考えたのかしら」と思っていたようだ。しかし顔を覗くとどう見ても寝ていると気づき、もしや夢遊病というやつではないかとあたりをつけたのだった。

 すぐに医者に診てもらったものの、これといって収穫もなかった。原因不明の睡眠障害として様子見をしていたところだったのだ。


 昨日のことを思い出してみても、ほとんどの記憶はベッドの中だ。いつもよりも格段眠くて仕方なかった昨日は、ベッドから抜け出すこともできずにいたはず。

 どう考えても手紙など書いている余裕など無い。そうして書き終えたそれをメイドに預けることも。

 だけどあの手紙がアリーの机で書かれた物だということは確かなのだと分かった。それだけでも収穫だろう、アリーはそう考えることにした。


 手紙のことはいったん保留することにして、アリーは次の問題にとりかかる。例の、口が勝手に喋った件についてだ。

「嫌よ! あの人と結婚なんていたしませんわ!」

「嫌ったら嫌! わたくし、結婚相手はもう決めておりますもの!」

 アリーは先ほどの父との会話の中で、口が勝手に動いた時の言葉を思い出す。どちらもアリーの意思にそぐわないし、口調もどこか古風に感じられる。

 いったいどうしてこんなことが起こるのだろう。アリーはさながら名探偵が推理するように、足を組んで顎に手をあててみる。形から入ると案外良い考えが浮かぶものだというのはアリーの経験則だ。


 ケースその一。実はアリーが多重人格者であった場合。

 今まで全くの無意識であったけれど、アリーは二つまたはもっと多くの人格を持っていて、現在アリーが『自分』と認識しているのが主要な人格であったならどうだろう。

 ほとんど主要となるアリーが身体を支配していたが、アリーの持つ別の人格が何かを拍子に表に現れた──何かというのはおそらくアリーの結婚だろう。婚約者であるジンが気に入らないのだ。

 だがアリーは引っ掛かりを覚えた。ジンとアリーが婚約したのはもう随分と昔のことだ。二人は幼少期から一緒だったのだから。

 もし別の人格がこの結婚に反対ならば、もっと早くに反発しなければ効力は薄いのではないだろうか。結婚式は間近に迫っている。ドレスのデザインも決定しかけているというのに。

 どうしてこのタイミングだったのだろう。やはり多重人格という線は薄いのだろうか。


 アリーは頭から多重人格の考えを追い出した。そうして考え直す。

 ケースその二。これは夢で現実では婚約破棄の手紙なんて出していないし、「わたくし」だなんて喋ってもいない。古風な口調が夢に出たのは、最近読んだドのつくお嬢様が主人公のミステリー小説のせい。

「そうだったら良かったのに……。これはわたしの願望だわ」

 深く長い溜め息をついてアリーはうなだれた。そうしてこっそり自分の頬を軽くつねってみる。鈍い痛みが脳に伝わる。やはり夢ではない。


「うう、思ったよりこたえていたのね、ジンと結婚できなくなるかもって……」

 窓を覗くとまだ家の馬車はあるまま。まだジンの家からの返事は来ていないか、アリーの父の準備が整っていないらしい。

 本当はアリーも一緒に詫びに行きたい。そうでなければ礼儀知らずと思われるかもしれない。誤解もきちんと解けないかもしれない。

 そうでなくとも、少なからずジンやジンの家族に不快な思いをさせてしまった。原因はまだ分からないけれど、婚約破棄の意思がアリーに無いのだとはっきりと伝えたい。

 たとえアリーの父が上手くまるめこんだとしても、たとえジンたちが許してくれたとしても、真実が明らかにならなければ二者間にしこりが残ったままになってしまう。


 アリーは思わずベッドに身を投げた。

「あーもう! こういう時にレンリーが居てくれたらいいのに!」

 気取ってはみたものの、やはり名探偵にはなれそうにない。ぐぐぐと枕に顔を埋めて唸る。

 弟のレンリーは今、ジンの弟のスーイと共に魔法騎士学校の訓練に行っている。帰宅までもう少し時間がかかることだろう。あのあっけらかんとしている弟の表情が恋しい。

 いつも能天気でお調子者のレンリーは、意外な時に鋭いところをついてくることがある。直感力と言うのだろうか、レンリーにはそういうものを感じさせるものがある。

 まだアリーたちが幼かった頃、アリーたち姉弟とジンたち兄弟の四人で肝試しをしたことがある。ジンの別荘の近くに見つけた廃屋に、やんちゃだった四人が忍び込んだのだ。

 そこでまさか迷子になるとは思わなかった。はぐれてしまったスーイを探して歩き回れば歩き回るほどに出口が分からなくなってしまった。

 そんな時、「こっちな気がする」というひどく曖昧とした言葉でアリーとジンを導いたレンリーは、スーイも出口も両方を見つけてしまったのだ。本人曰く「全部勘だもん」とのことで、その頃からアリーはレンリーの直感の力を強く信じている。



 窓の向こうから話し声が聞こえ、ベッドに座るようにして上半身だけ起き上がらせそっと覗きこむと、馬番たちが馬を引き連れて話し込んでいるのが見えた。きっとこれから父がジンの屋敷へ向かう準備をしているのだろう。

 時計を見てみればレンリーが帰って来る時間はまだまだ先だ。おそらく父が出発する時までは間に合わないことだろう。本当ならレンリーと真相をつきとめて、そうして父と一緒に謝りに行きたかったけれど。

 今のアリーには部屋でじっとレンリーの帰りを待つより他ない。それまでどうしていよう。ダンスでもしていようか。少しは気分も晴れるだろう。

 うじうじしているのが一番いけない。不機嫌だったり無意味にいじける時間こそ、人生でつまらない時間は無いとアリーは常より考えている。それならばわずかでも自分を上機嫌にさせた方が、良い考えも浮かべば運もついてくるはずだ。


 そう思って立ち上がろうとした──その瞬間のことだった。

 アリーの身体はすくっと起き上がった。アリーは驚いた。本当は、勢いをつけてステップを踏むように床に降り立とうとしたのだ。だが、アリーの身体はまるで物語に出てくるような深窓のご令嬢のように、しとやかな動作で立ち上がったのだ。

 驚いてアリーは片手を口にあてて「えっ? どういうこと?」と言おうとした。しかし、手が動かないどころか、言葉さえも紡ぐことができない。唇がかたまって何も音を発しない。


 アリーが混乱しているうちに、身体はまた勝手に動き出す。スタスタと部屋を突き抜け、廊下を渡り階段を降り始める。すれ違いざまに頭を下げるメイドや従僕に目もくれず、玄関へまっしぐらに進んでいく。

 いったい何が起きているというの。アリーは声に出して驚いていたいのにそれさえできない。身体が何かに支配されている感覚だけが鮮明だ。

 もしかして、多重人格かもしれないという仮説が正解だったのだろうか。アリーは驚愕の心のまま分析する。今すぐジンや父に言ってやりたい、「わたし、身体を乗っ取られてるの!」と。


 アリーの身体は玄関を抜けると、先ほど部屋から見えた馬番の居る方へと向かう。

 何をしようとしているの、何が目的なの。アリーは心の中で自分の身体に向かって話しかけるが返答は無い。

 乗っ取られた身体は馬番に相対すると、「出しなさい、今すぐに」と言った。

 喋った! とまた驚くアリーだったが、馬番たちはまさかそれがアリーであってアリーでないとは気づかない。

「お嬢様、いかがなさいました。旦那様はまだ……」

「いいからお出しなさいな。わたくしの命令が聞けなくて?」

 なんて上から目線な言い草なんだろう。仮定ではあるけれど、おそらく自分の別の人格だと思われる人物の態度にアリーはほとほと呆れた。嫌味ったらしく「まったく、ご自分をどこのプリンセスとお思いなのかしら?」などと言ってやりたいけれど唇は動かない。

 馬番はらしからぬアリーの態度に不審がり半ば辟易しながらも、すわクビにしてやろうかと言わんばかりの文句を出され、ついに馬車を出してしまう。

 行先はジンの屋敷だ。

 アリーの心は凍えて震えた。このままでは本当に駄目だ。こんな状態の身体をジンの屋敷に向かわせては何もかもが終わってしまう。

 待って、行かないで! アリーは御者に向かって叫ぼうとするも声が出ない。


 非情にも、アリーの心とは裏腹に乗っ取られた身体を乗せて馬車は軽快に走り始めた。


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