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「え、なに。俺なんか変なこと言っちゃった?」
〈天才よレンリー! やっぱりあなたの直感力って最高だわ!〉
アリーは喜びをそのままにレンリーに飛びつく。レンリーも慌ててアリーを受け止めようと腕を広げるが、やはり透き通ったままのアリーはレンリーの身体をすり抜けた。
「スーイ。どうだ、見えるか」
スーイはアリーの身体に近づいて頭から足の先までゆっくりと眺める。そうして息を飲んだ。
「なになに? フェリアナ嬢の身体の場所、分かった?」
気を取り直してアリーとレンリーがスーイに駆け寄る。スーイの顔を覗きこむが、その顔色は優れない。しばらくしてようやくスーイが口を開いた。
「いや……アリーと違う。糸が無い」
〈糸が無い? っていうことは……〉
「フェリアナ・アリセスはとうの昔に死んでいる、幽霊だ」
「ギャーッ!」
〈ギャーッ!〉
スーイの答えに、アリーとレンリーは揃って叫び声をあげた。
〈え、え、うそ……。わたし、おばけに身体を乗っ取られたの?〉
アリーがおずおずと尋ねる。ゆっくりとスーイが頷いたのを見て、アリーは再び〈ギャーッ!〉と叫んだ。
怖気づくアリーとレンリーをよそに、ジンが「なるほど」と言って手をかざす。ジンの右手の薬指につけられている印章がきらりと光った。ジンの唱える呪文に呼応するように印象は輝き、光はやがて本の形になる。
「それってもしかして貴族名鑑?!」
レンリーの声にジンが振り向き「ご名答」と頷く。
「アリーたちが来る前に見ていたんだ。フェリアナ嬢が『あの方』……、黒髪に緑の目の人物にこだわっていただろう?」
〈なんだっけ、あの、『翡翠の鷹の方』?〉
その呼び名を聞いて、スーイがげんなりとした顔で肩を落とす。先ほどまでフェリアナの様相を思い出しては「間違えられていい迷惑だよ、こっちはさあ」とぶつくさぼやき始めた。
貴族名鑑は印章を持つ成人しか開くことのできない特殊魔法だ。家系図など正規に公開されているかぎりの個人情報であればここから確認することができる。
「俺はあの時、アリーの様子がおかしいだけでまだ本人だと思っていたからね。探していたんだ、フェリアナ嬢の言っていた黒髪に緑の瞳の人物がいないかしらみつぶしに。だけど俺たちが──アリーが会う可能性のある範囲では見当たらなかったんだ」
アリーがレンリーやスーイに助けを求めている間、ジンは貴族名鑑を使って黒髪と緑の瞳をもった人物を探していた。
しかしただでさえ希少である緑の瞳に、黒髪を持ち合わせた人物はなかなかいない。該当する人物がいてもアリーやジンが生まれた頃には没していたり、アリーが決して出会うはずのない地域に住んでいたりしていた。
加えてあの時「あの方は気高く博識でいらして、学院では名誉ある賞をとっていらっしゃったわ」とフェリアナは語った。
学院は貴族や王族しか通うことのできない機関だ。貴族位を持たない一般的な国民は学校で初等教育を受ける。すなわち、学院に通っていたということは貴族か王族であると同意であり、王族に黒髪の者はいない。
つまり、フェリアナの語る人物は貴族としか考えられないのだ。
しかしジンが調べた限り、アリーと出会う可能性のある人物で黒髪緑の瞳を持ち、学院で何かしらの賞を授与された者は皆無であった。
「見当たらないのも仕方のないことだな。フェリアナ嬢が幽霊であるというなら、時代や地域が俺たちと異なっていてもおかしくない」
ジンはフェリアナの語った『あの方』を探るにあたり、アリーの周辺に絞って貴族名鑑を検索していた。だが、そもそもの前提が誤っていたのだ。
「そっか。それであんなにヘンテコな喋り方だったりしたわけかあ」
「昔の人ってマジであんなかんじだったんだ……仕草とかさあ、アリーの姿だからか余計におかしいっていうかさあ。見ているこっちが恥ずかしくてしょうがなかったんだよね」
〈もう! 勝手に身体を使われてるわたしが一番恥ずかしいんだから! 早く身体を取り返しましょ〉
アリーはジンの開く貴族名鑑を覗きこむ。
貴族名鑑は重要な情報が詰め込まれていることもあり、成人した者だけが持つことを許される個人の印章が無ければ開くことができない。アリーも両親にこの貴族名鑑を開いてもらい、縁の深い貴族を覚えたものだ。
ジンは貴族名鑑の中からフェリアナ・アリセスの名前を探す。そしてあるページに目をとめる。
「こいつだろうな」
アリーはジンの手元を覗きこみ、そうして小首を傾げた。
〈フェリアナ・アリセスさんって一人しかいないの……? いくらなんでも少なくない?〉
「ホントだ。それにフェリアナ嬢って『わたくし、アリセス家の三女でしてよっ!』とか言ってなかったっけ。ここ、家系図には四女って書いてあるけど」
アリーに続き、レンリーがジンの背中越しに貴族名鑑を眺めながらアリーと一緒になって首を傾げる。
遠目に眺めていたスーイが「なにそれ、裏声キッモ。ていうかちょいちょい口調違うしさあ」と言いながら、じりじりと距離をとった。
「フェリアナ嬢の生没年を見てみろ、彼女が生きていたのは百二十年も前だ」
〈どうりで古風なはずよね……今の時代、あんなふうに歩いたりする人いないもの〉
「そこじゃない、そこじゃないんだよアリー……」
ジンの隣で感心するアリーにスーイがツッコみ、頭を抱える。その二人のやりとりにジンはクククと笑う。
「フェリアナ嬢の生きた時代は、まだ魔法不適合者への差別が激しかった頃だ──特に貴族の間には。あの頃なら確か、貴族に生まれた不適合者は庶子と数えられていたはずだ」
フェリアナ・アリセスの家系図には、フェリアナを四女と記してある。だが但し書きも付されてあり、アリーたちの常識では三女と数えられるべき人物は名前すら伏されていた。
貴族名鑑は常に更新され続けている。現代の常識ではフェリアナ・アリセスはアリセス家の四女とされる。だがフェリアナの生きていた時代では、魔法不適合者は貴族として生きることが許されなかった。
〈ふうん。それで三女って言っていたのね〉
「嫌ァ~な時代!」
レンリーは頭の後ろで手を組み、吐き捨てる。
「たしかさあ、あの時代は貴族以外で学院に通っていたものも少ないはずだよね。黒髪緑目の男も貴族ってわけか……」
それまで三人から距離をとっていたスーイがジンに近づき呟く。そうしてジンの背中から顔を出して貴族名鑑を覗きこんだ。はた、と動きを止める。
「なるほどね~。そんじゃフェリアナ嬢の生きていた時代の黒髪緑目のやつを……痛ッ! なんだよっスーイ!」
調子よく切り出したレンリーをスーイが押しのける。その瞳はジンの開く貴族名鑑に釘づけだ。
「……スーイ? どうかしたのか」
ジンが問いかけるも、スーイはただ貴族名鑑を食い入るように見つめ動かない。視線の先にある写真の中のフェリアナが冷たく微笑んでいる。
「この顔、どこかで見たことある気がするんだよなあ……」
スーイが顎に手をあて、眉間に皺を寄せた。