10
「ああっ翡翠の鷹の方……!」
今まで憤ってばかりだったプリンセスが、胸の前に手を組み目をきらめかせて黄色い声をあげた。その頬はほのかに赤く染まり、色めきだった心がありありと見てとれるほどだ。
「は?」
〈ひ、ひすいの……鷹?〉
突然話しかけられ驚くスーイは操られたままのアリーの身体を見つめる。アリーもプリンセスの変容に戸惑いを隠せない。
愕然とするアリーたち四人をよそに、アリーの身体を操るプリンセスはただただスーイを見つめる。そうして胸の前に組んだままの両手に頬を寄せ、しずしずと身を縮こまらせる。その様子はまるで恋する乙女の姿のようだ。
「翡翠の鷹って何だよ、スーイのこと言ってんの? 物語みたいな二つ名じゃん」
ププッとレンリーが馬鹿にして笑う。それを聞きつけたプリンセスがぎろっとレンリーを睨みつけ、レンリーは肩を震わせ慌てて両手で口を塞いだ。
「アリーの身体を操っているやつと面識があるのか?」
ジンが振り返りスーイに問いかける。しかしスーイは勢いよく首を左右に振った。
「いやいや知ってるわけないじゃん、そんな変な名前じゃないしさあ……。ていうか僕ら、アリーの身体を誰が乗っ取っているかなんて知るわけないし」
スーイの答えに誰よりも反応を示したのはプリンセスだった。スーイが言い終わるやいなや、プリンセスはハッと顔を上げる。
てっきりプリンセスがそのままスーイに言い寄るのかとアリーは思った。それほどまでの情熱がありありと感じられたのだ。
だがアリーの身体を操るプリンセスは熱のこもった瞳でスーイを見つめるばかりで、近寄ることもない。それどころか、話しかけることもせず、ただただ意味深な光をこめてちらちらとスーイを窺っている。
突然に態度が軟化したのを好機とみて、ジンがスーイにプリンセスの目的を探るよう目でうったえた。
「えっと、翡翠の鷹って僕のこと……? そんなふうに呼ばれたことなんてないんだけど」
「まあつれないお方……。皆、あなた様のことをそうお呼びしてお慕いしておりますというのに」
もじもじと答えるプリンセスに、思わずスーイの口が引きつる。レンリーは「姉さんじゃない……しおらしすぎてめっちゃ不気味」と顔を青くさせた。
〈なにそれ?! わたしががさつみたいじゃない! そうだけど!〉
憤慨するアリーをなだめ、ジンがスーイに目配せをする。ジンの指図するものを汲み取り、スーイはいやいやながら頷いた。
「キミは誰? 何のためにアリーの身体に?」
スーイがそう聞いたとたん、プリンセスは息を飲んで両手で口を覆う。そうして目に涙を浮かべてふるふると肩を揺らした。
「そんな、わたくしとのことをお忘れですか……! わたくし、わたくし……、あなた様との約束を果たしに参りましたのに」
「や、約束?」
二人のやりとりをじっと聞いていたアリーとジン、レンリーは揃って小首をかしげる。そうしてスーイを見た。スーイは三人の顔を見返し、ぶんぶんと必死に首を左右に振った。
思い返してみても、スーイにはプリンセスのような古風で高飛車な喋り口調の女の子と話した記憶は無い。もちろんアリーの身体を乗っ取るよう指示した覚えも無ければ、『翡翠の鷹の方』などと呼ばれるいわれも無い。
スーイもたまらず言葉を失っているのをどう受け取ったか、プリンセスは初めて自分からスーイに数歩だけ近づいた。
「わたくしのことをお忘れですか。いいえ、仕方ありませんわ、あなた様は遠いお方。改めて、わたくしフェリアナと申します。アリセス家が三女、フェリアナと申します。翡翠の鷹の方……!」
アリーの身体を乗っ取ったプリンセス──フェリアナはあれだけ答えようとしなかった名前を自ら明かした。アリーたち四人はすかさず顔を見合わせる。だが誰もフェリアナという名前には聞き覚えが無い。
「えーと、フェリアナ嬢……だっけ」
「ええ、翡翠の鷹の方。いかがなさいまして?」
スーイが呼びかけると、フェリアナは目を輝かせて返事をする。
「キミはさっき約束を果たしにって言っていたけど、約束って何のこと?」
「まあ……! ああきっと、この姿だから覚えていらっしゃらないのね。わたくしはあなた様と結婚するために……」
フェリアナは瞳を潤ませてうったえる。だが話の途中でふらふらと身体を揺らす。そうして両手をさまよわせ、おぼつかない足取りで一歩二歩と床を踏み込む。ふらっと大きく身体が揺れたと思えば、ふっとフェリアナは目を閉じ、身体中の力が失われたように膝から崩れ落ちる。
〈わわっ! ど、どうしたの!〉
床に倒れ込む前に、とっさにジンがフェリアナに乗っ取られたアリーの身体を抱え込んだ。
「え……? 気を失ったの」
「いいや。どうやら眠っているみたいだ」
アリーの身体に駆け寄り顔を覗きこんだレンリーに、ジンが答える。ジンはアリーの身体を持ち上げてソファに横たわらせた。
「いきなりどうしたっていうんだろう」
〈もしかしたら、最近のあれかもしれないわ。わたし、ちょっと体調がおかしいって言っていたでしょ? 寝起きが悪いとか夢遊病だとか。それが今きたのかも……?〉
ジンが眠ってしまったアリーの身体を見つめて考えこむ。アリーの額に手のひらをあて、目を瞑った。
「その体調不良もフェリアナ嬢が関係している可能性が高いな」
〈え?〉
しばらくして目を開けたジンがぽつりと呟く。アリーの身体から手を離し、三人に向き直った。
「アリーの身体から魔力の乱れが感じられた。元々アリーは魔法回路を持っていないだろう? それを他人の、それも強大なフェリアナ嬢の魔力で身体を満たされて限界を訴えていたんだろう」
「つまり、アリーの身体がフェリアナ嬢の魔力を拒否してるってわけ……?」
スーイの問いかけにジンが静かに頷く。魔力コントロールが苦手で、他人の魔力さえ量ることに長けていないレンリーはそういうこともあるのかと感心しきった様子だ。
最近のアリーは一度寝てしまうとなかなか起き上がることができないでいた。それに、寝ている間に意識のないままふらふらと歩き回ることも。それさえもが身体を乗っ取られる前のフェリアナ嬢の魔法の影響だったのだろうか。
四人はフェリアナ嬢が眠っている間に、フェリアナ嬢から得られた情報を元に対抗策を練ることにした。
「フェリアナ嬢は確か、アリセス家の三女と言っていたな」
「アリセス家なんて聞いたことないけどなー俺!」
ジンが確認をとるとレンリーが腕を組んで言い捨てる。アリーも思い出してはみてみるものの、アリセスという家名に聞き覚えは無い。
「ていうかなんで僕が『翡翠の鷹の方』なわけ。フェリアナ・アリセスなんて名前にもまるで覚えがないしさあ。誰と間違えているのか知らないけど、いい迷惑だよホント」
ぼやきながらスーイは機嫌の悪さをあらわにする。そんなスーイをハハハと笑い飛ばしたレンリーが、はたと何かを思いついたように動きを止める。
「そういえばさ、フェリアナ嬢って本当の身体はどうなってんだろ。さっきスーイがさ、姉さんは生きているから身体と精神が繋がっている糸みたいなのが見えるって言ってたじゃん。その糸を辿れば身体の位置も分かるって。それ、フェリアナ嬢の糸は見えないの?」
レンリーの一言に、アリーやジン、いじけていたスーイまでもが目を丸くしてレンリーを見つめた。