09
「ああ、今はあの奥の小部屋に移動してもらっているんだ。……全く口を割ってもらえなくてね。ずっとソファに同じ体勢でいるのも身体が痛くなってはいけないから」
ジンの部屋の奥には窓の無い小部屋がある。普段は物入れに代わりにしているが、二人掛けのソファもあり、子どもの頃はかくれんぼの際によくアリーとここで身を潜めていたものだった。
「ふーんそう。まあ、拘束魔法より部屋に閉じ込める方が気が楽だしね。妥当なんじゃないの」
〈そんなものなの?〉
魔法を使えないアリーは知らなかったことだが、拘束魔法というものはアリーが想像していたよりもずっと難しい理論で成り立っているものであるらしい。魔法式を理解するだけでなく、繊細な技術を身に着けることが必要なのだとか。
生きたまま捕獲するには必須である拘束魔法であるけれど、加減を間違えると捕獲対象を傷つけてしまう。今でこそ魔力を流しただけで拘束できる簡易的な拘束具も開発されているが、魔法適合者による差別意識が強かった時代には拘束魔法が学院で学ぶべき必修事項に入っているのだから驚きだ。
「本当、今の時代に生まれて良かったよ。俺、魔力コントロール下手だからさ。拘束魔法使ったら、手首ふっとんじゃうかも」
笑ってあっけらかんと言ってのけるレンリーに、アリーは思わず身震いした。拘束魔法をかけたのが、昔から魔力コントロールの得意なジンで本当に良かった。そう、心の底から思った。
しかし魔力コントロールが得意であっても、やはり人体を相手に長時間の拘束魔法を施すには気力を遣うらしい。加えて、先ほどまでのジンはまるで平常心ではなかった。
そこでジンはアリーの身体をソファに縛りつけるのではなく、部屋の奥にある小部屋に閉じ込め、小部屋全体に鍵を施す魔法に切り替えたのだ。そうすれば万が一ジンの魔力が乱れようと、アリーの身体に被害が及ぶ可能性は低くなる。
「鍵は何にしたの?」
小部屋の扉を眺めながらスーイは尋ねる。ドアノブを見てアリーは小首を傾げた。
〈ここ、鍵穴が無いわ。鍵魔法をかけられるの?〉
「通常の鍵穴を使うのは初等魔法なんだ。ある程度の魔法を使える者なら破ることができるから、得策じゃないな。よく売ってあるような魔法錠前にもランクがあるだろう? 高価な物には鍵穴が無いんだ。おそらく、アリーの家の金庫にも使われていると思うけど」
ジンの説明にアリーは気の抜けるような相槌をうつ。そうしてレンリーに〈ねえ、うちの金庫ってそうだった?〉と耳打ちするも、肝心のレンリーでさえ「見たことないかも。金庫ってどこにあったっけ」と囁き返した。スーイが呆れた目で二人を眺める端で、ジンが「二人が悪い子じゃないと分かって安心したよ」と肩をすくめる。
「鍵にはこれを使ったんだ」
ジンは右手を広げ、胸の高さでひらひらと振ってみせる。その薬指には印章のついた指輪が通されている。
印章は個人や親族を表す紋章を彫刻したものだ。アリーがジン宛に手紙を出す時も、本人である証明のために必ずサインの隣にこの印章を押している。
アリーのように未成年であると親族共通の印章しか使えない。しかし、今年成人を迎えたジンは個人の印章を所持している。個人の印章は特殊な紋が描かれ、未成年にはできない様々な手続きなどに用いられている。
〈印章を鍵にしたら良いことあるの?〉
「ああ。この印章は一つしかないから……正規の方法で開けようとするなら俺から鍵を奪わない限り誰もこの部屋に入ることができない」
「え、そうなんだ! 印章すげー!」
「習ったじゃんさあ……学院で」
全身を使ってで驚くレンリーの隣で、やれやれとスーイがため息をつく。レンリーはヘラヘラと笑いながら「そ、そ、そうだっけ?」と頭を掻いた。
ジンは扉の前に向かって印章の指輪をつけた右手を掲げる。魔力を込めて呪文を唱えると、みるみる内に手のひらに魔法陣が展開され、まるで緻密な歯車たちが噛み合うようにガチャと音を立てた。
「アリー」
ドアノブを回し先頭をきって部屋に入ったジンが振り返る。アリーはジンの背中に身を隠し、肩から頭をひょこひょこと出して小部屋の中を覗いた。
小部屋の中に居たアリーの身体は窓際に寄りかかり、桟の上に組むようにして腕を置いている。その姿はまるで一点の絵画のようなたたずまいだ。本来ならアリーも感心するところだっただろう、それが自分の身体でなかったならば。
「な、なにあの気取った立ち方。あんなの姉さんじゃない……!」
ジンとアリーの後ろから同じように頭を動かして部屋の中を覗きこんだレンリーが、わなわなと唇を震わせて悲鳴をあげる。
レンリーの大きな声に気づいたのか、はたまた話しかけられるのを待っていたのか、アリーの身体を乗っ取った主は姿勢はそのままにゆっくりと四人を振り返った。
身体の操り主は眉に皺を寄せて毅然と立っている。いつになくこわばったアリーの表情を見たレンリーが肩をびくつかせた。
「ね、姉さんでもあんな真面目~な顔できたんだ」
〈失礼な! わたしはいつも大真面目よッ〉
憤慨してみせるアリーを、レンリーが苦笑いで「どう、どう」となだめる。それをじっと見つめた身体の操り主は不機嫌そうに頬に手をついた。
「まあ騒がしい方々ですこと。少しは恥じらいを持ってはいかがかしら」
プリンセス然として発せられた嫌味に、レンリーが「『ですこと』?! 『いかがかしら』……!」と叫んだ。
「なるほど。『方々』ということは、キミはアリーの姿が見えているというわけかな」
〈た、たしかに!〉
ジンの指摘にアリーがハッとして驚いた。
思い返せば、まだアリーがレンリーとスーイに助けを求める前に、一度だけ乗っ取られた身体がアリーの声に反応したような気配があった。あの時はただの気のせいかと思っていたけれどそうではなかったのだ。
「それがどうかなさいまして? 今この身体を使っているのはわたくし。魔法も使えない幽霊に何ができるとおっしゃるのかしら」
「『なさいまして』! 『おっしゃるのかしら』!」
プリンセスの話す言葉ひとつひとつにレンリーは過剰反応してみせる。ジンやレンリーの背中で前方が隠されたままのスーイが、「ちょっと黙っていなよ、うるさいなあ……」とたしなめる。
〈わたしのことが分かるのなら話が早いわ。ねえ、わたしの身体を返してほしいの。あなたはいったい何が目的なの? わたしの身体で何をしようとしているの〉
先頭に立っていたジンを押しのけアリーが前に出て、己の身体を操るプリンセスと対峙する。
〈あなたはいったい誰なの? それは、あなたが一人で企んでいることなの?〉
矢継ぎ早に繰り出される質問を、プリンセスは鼻で笑って吹き飛ばす。その態度の悪さにジンが眉をひくつかせた。
「どうしてわたくしがそんなことを丁寧に説明しなければならなくて?」
その言い草にアリーもムッとして顔をしかめる。言い返そうと口を開いたアリーだったが、すかさずジンが遮った。
「キミはアリーの身体で『あの方』とやらと結婚でもしようと思っているのか?」
しかし、ジンがそう厳しい声で詰問した瞬間、プリンセスは拳を握って声を荒げて叫ぶ。
「あなたにお話しすることなど、何ひとつとしてありませんわ! このひとでなし! 無頼漢!」
プリンセスは顔を真っ赤にさせて怒鳴り散らす。
邪魔にならないよう、なるべく小さな声でレンリーが「ねえ、ぶらいかんって何?」とスーイに聞く。溜め息まじりに「ならず者ってことだよ……批難の声も意味が伝わらなきゃ効果無いのか、はあ」とスーイが答えた。
そうこうしている間にも、アリーとジン、そうしてプリンセスの言い合いは激しさを増していた。どれだけアリーとジンが企みの目的を問いただそうとも、プリンセスは激昂するばかりだ。
事態の膠着ようにしびれをきらしたスーイが、前に佇むレンリーの背中を押しのけジンとアリーににじり寄る。そうして「ねえ、このままじゃらちが明かないからさあ」と話しかけたところだった。