08
「それまで信じられていた心霊現象のほとんどが、魔力暴走で片付けられると証明された。魔法適合者が不完全であると証明されたんだ。それどころか、魔力暴走は連鎖する。魔力暴走を最も丸くおさめられるのは、魔法回路を持たない者であるとまで判明した」
魔法回路の発見によって魔力暴走の存在が明らかになり、魔法適正のない者への差別意識が問題視された。今ではそのような差別をする者などほとんどいない。法律でも定められているくらいだ。
それと同時に幽霊を信じるものも激減した。魔法回路が発見された直後など、幽霊を信じる者は魔法適合者が完全なものであるという信仰を持っているなどという、別の差別が生まれたほどだ。
「なに。兄さんもそいつらに倣って、幽霊を信じたら差別されるから信じないって? 今さら?」
半目で尋ねるスーイに、ジンはすかさず「まさか」と否定した。
「つまりは、自分の目で確かに見た物であっても、それをどう解釈するかはその者によって違う。目の前でいわゆる心霊現象というものが起きようと、それが魔法によるものではないと証明できるわけではない。もちろん俺の幻覚、妄想であることも」
「まさかだとは思うけど、今でも兄さんの幻覚だとか妄想だとか考えてるってわけ?」
ジンは笑いながら首を左右に振る。
「確かにさっきまではそう思っていたけどね。さすがに今は、これが現実に起こっていることだと理解はしているさ」
アリーはジンの部屋に訪れる前のスーイの言葉を思い出す。
──あの人はもっと面倒臭い人間だよ。たとえ幽霊の姿が見えていようと、それは幻覚だのまやかしだのって思っているんだ。
ジンはアリーが身体を追い出され、透明人間のようなものになってしまったと思っていたあの瞬間から、本当のアリーの姿が見えていたという。だが、それを『いつものように』自分の幻覚だと思い込んだ。
〈だけど幻覚にしては、わたし騒がしくなかった? 頻繁にジンに話しかけたり、気づいてって言ったりしたと思うけど。幻覚ってもっと、こう、怖いイメージしない?〉
アリーの脳裏にはホラーテイストのエンターテイメントコンテンツがよみがえる。そして幻覚に悩まされる患者の姿。どれも、幻覚によって怯えていた。
だがジンのあの落ち着きぶりはとてもそうには見えなかったし、アリー自身、ジンを脅かせるほどのホラーな演技力は持っていないと自覚している。
ジンは今度こそ噴き出して「そうだね、全然怖くはなかったな」と言った。
「だけど今まで見た何よりも、『ああこれは俺の妄想かもしれない』と思ったね」
〈ええっ嘘! わたし、そんなに偽物っぽかったの?〉
アリーは両手で口を塞いだ。レンリーは透き通るアリーの姿を頭から爪先までじろじろと眺め、そうして小首を傾げた。どこからどう見てもアリーそのものだ。
「いいや、どちらかといえばアリーそのものだったからかな。幻は怖いものばかりじゃないだろ? 馬車から降りたアリーはいつもとまるで様子が違った。だけど階段で突然現れたアリーはいつものアリーだった。俺の好きになったアリーだったし、戻ってほしいと思っていた姿だった。それに俺の魔力暴走を止めたのも、欲しい言葉をくれたのもね。──だからこそ、幻覚じゃあないかと思ったんだ。どう考えても俺に都合が良すぎる。婚約破棄の事実を無かったことにしようとする、俺の妄想が作り出した幻想かと思ったんだよ」
ジンの言葉はどこか聞き覚えがあった。アリーは頭をひねる。
〈あ、思い出した! ジンったら昔も同じようなこと言っていたわ。お互いが好きだなんて都合が良すぎるとかなんとか言って〉
昔のことを思い出し、アリーはフフッと噴き出した。
幼い頃、互いが初恋だと言い合ったことがあった。
その数日後、ジンは「人生はままならないのが常と言うだろう。アリーの初恋が俺だなんて、そんなの俺に都合が良すぎる」とふさぎこんでいた。
ジンは良いことがあっても、必ずままならない人生にありがちなことを思いつく。ほとんどはジンの杞憂に終わったけれど、現状に浮かれすぎない、ジンの視野の広さに助けられたことも何度かあったことをアリーは覚えている。
しかし、あの時は何と言って励ましただろうか。アリーはすっかり忘れてしまった。
〈フフフ。ジンって昔から変わっていないのね。わたし、そんなこと全然思いつかなかった。きっとわたしが猪突猛進だから、神様がジンを思慮深くしてくださったのね〉
アリーの言葉に、ジンは目を丸くさせる。そうして、「……アリーも変わらない。昔も、同じことを言われたよ」と笑った。
そんな二人の後ろで、レンリーは目を細めて口元をにやつかせ、スーイは半目で眺めながらため息をつく。冷やかしの視線に気づいたジンが、空気を誤魔化すようにゴホンと一つ咳をしてみせる。
「つまるところ、何かが起きているとは理解しても、それが何であるかと判断するには材料が不足しているんだ。肉体から離れた精神体と思われるものを見聞きすることができる。だがそれを幽霊と呼ぶなら、幽霊の定義を定めなければならない。現に、アリーは死んだわけではないが肉体から精神が分離している。俺やスーイが先天的に見えるそれを魂とするなら、肉体から魂が離れてなお人間は生命を維持できることになる。となれば魂とはいったい何なのか。俺たちの呼ぶ幽霊とはどういうものか。そこを明らかにしなければ──だが俺はそんな哲学的なことにはまるで興味が無いし、考える時間がもったいない。俺の人生にとってはどうだっていいことだからな。それなら最初から見なかった聞かなかった無かったことにした方が、精神衛生上よろしいと思わないか」
そうでなくても哲学は面倒なのに、とまくし立てるジンの横でアリーはふうんと相槌をうつ。
レンリーはつつつとアリーにすり寄り、「ねえ、どういう意味か分かる? 俺、分かんない」と眉を下げた。アリーは腰に手をあて、頭を抱える。
アリーも魔法の歴史や、幽霊と魂の定義などの哲学分野にはほとんど明るくない。学院で基本的なことを学んだけれどそれも遠い記憶の彼方だ。
〈そうね、うーんと。つまり……ジンはわたしのことも見えるし、スーイが幽霊って思っているものも見える。だけど、それが本当に幽霊だって判断するにはちょーっと早いかな? ってこと?〉
アリーの問いかけにジンが満足そうに頷く。
スーイは「ほら、人間は見たいように世界を見るって言ったでしょ」と、呆れた声でレンリーに耳打ちした。
〈哲学的なことはよく分からないけど、面白いと思ったのになあ。幽霊と話せるなんてロマンがあるじゃない。幽霊たちに社交場を提供したら楽しいことになりそうって思ったんだけどなあ〉
鼻歌まじりにアリーは言う。
そんなアリーを見てジンが「新居は幽霊用の客間も作るべきか……?」とあっさり幽霊の存在を認めて呟いたのを、レンリーとスーイは聞かなかったことにした。
アリーはきょろきょろと首を回してジンを振り返る。
〈あれ? わたしの身体は、今どこにあるの?〉
先ほど、アリーがジンの部屋を出てレンリーたちを探した時には、アリーの身体はジンの部屋を入ってすぐのソファにあった。だが今アリーが部屋を見渡しても、そのソファにアリーの身体は無い。