暗殺依頼1
この作品の根幹に関わる部分の新章となります。
フェリンド王国、東北部の名もない山の奥にその森はあった。
「ぜい、ぜえ、はあ……貴様殿よ……まだ歩くのか……?」
「まだ歩くぞ。運動不足が祟ったな。この程度で音を上げるとは」
「おい、ニンゲン、ライリーラ様を愚弄するな!」
「黙れ、ヘンタイエルフ」
「うぐ……」
俺の後ろには、ヘロヘロになりながら歩くライラと、彼女に寄り添うように歩くロジェがいた。
ライラのパンツ事件……今ではそう呼んでいる。
それが公になった事件があったが、今はまあいいだろう。
別の機会に誰かに語ってやろう。
はぁ、ふぅ、とライラは息を切らしながら歩いていた。
峠をひとつ越え、山間の森を歩いている。
今や常人に近い体力のライラには、辛いようだ。
「まったく、凄まじく不便であるな……。ピクニック気分だったというのに……」
「ピクニックじゃないと何度も言っただろう」
「ライリーラ様がヘトヘトだ。ワタシは、食事休憩を要求する!」
「おまえは飯が食いたいだけだろ」
道なき道を歩くと、想像以上に体力を消耗する。
似たような木々ばかりで、初見だとまず不安に駆られ、精神的にも疲労してしまう。
事の起こりは、ライラの晩酌に付き合っていたときのことだ。
『妾は……こうして貴様殿と生活をしておるが……何も知らぬ……』
酒が入っていたせいもあってか、目が少し潤み切なげな顔をしてライラはそう言った。
ソファに座る俺にしなだれかかり、腕を絡ませた。
酔っていたわけではないが、俺も酒が入って口が軽くなってしまった。
『見てみるか。残っているかはわからないが』
俺が育った山奥の家のことだ。
ライラは何度もうなずいた。
翌朝になって失言したことを悔やんだが、あとの祭り。
事あるごとにその話を持ち出すライラを、のらりくらりとかわしていたが、限界が訪れ、今日こうして夜明けと同時に自宅を出て、北東部の山間部へとやってきた。
忠誠バカの側近がくっついてきたのは予想外だったが、ライラの面倒は喜んでみるだろうから、俺にとってはありがたかった。
前日から、弁当と敷物と帽子と水筒をライラはきっちりと用意していたが、その荷物が仇となったな。
目的地の生家から王都へ出るとなると、常人だと山間部を抜けるのに一日、馬で四日かかるそうだ。
そうだとは知らず、俺は師匠に『王都までは二日だよ、二日。王都ってそんな遠くないっしょ?』と教えられ、それが、普通なのだと刷り込まれその通りにしてきた。
はじめて王都まで一人で行ったとき、往復に四日かけたら殴られた。どうやら、二日というのは往復で二日らしいと俺はそのとき気づいた。
この森は久しぶりだったが、以前とまったく変わっていない。
鍛練場であり、狩場であり、自然の摂理を教える師でもあった。
「もっとゆっくり歩け。貴様は、ライリーラ様への配慮が足りんっ」
「嫌なら帰れ」
「くぉのぉう……ニンゲンの分際で……!」
そういう配慮を、ライラは嫌がる。
俺の足手まといになっている、と感じるらしい。
だが、気持ちと実際の体力は別。
ロジェが小うるさいのもあり、一度休憩をして、また森を歩いた。
休憩を所々に挟み進んでいると、昼過ぎには目的地へ到着した。
木々が途切れ、背を伸ばした雑草が周囲に生い茂る開けた場所に、ツタが這う古い家がある。
入口の扉にもびっしりとツタが覆っていた。
盗賊が住処にするかもしれないと思ったが、あの日以来、誰も中には入ってないようだ。
「これか?」
「ああ」
ほほう、とライラが興味深そうに家をぐるっと見て回り戻ってきた。
ロジェが周囲を見渡し、ぽつりとこぼした。
「何もないな。なんというか、寂しい場所だ」
「エルフの森とは、また趣が違うだろ」
「……ワタシの森は……いや、いい。ともかく中へ入るぞ」
そうだな、と俺は続けた。
昼過ぎとはいえ、森は暗くなるのが早い。
一夜を明かす準備をさっさとしたほうがいいだろう。
ツタを払って、中へ入る。
何年ぶりだろう。
ここでの生活は、一五歳のときに終わった。一人前と認められたあの日だ。
そのあとは、色んな地域、国を転々としながら依頼をうけてはこなす暗躍生活。
セーフハウスとして何度か利用したが、それも七日くらいだったように思う。
「げほ、げほ。埃がすごい……ロジェ、窓を開けよ」
「はッ」
うぉぉぉぉ、と元気いっぱいのロジェは、無駄な気合いを発揮して次々に窓を開けていった。
「ライリーラ様が快適に過ごせるよう、このロジェ・サンドソング、身命に懸けて埃を一掃する!」
自宅以外でライラと一緒に過ごせるのが、ロジェはよっぽど嬉しかったらしい。
いつもよりテンションが高い。
家は、俺の自宅と大して変わりがない広さで、リビングと個室が三つ、あとはキッチンとダイニングとトイレ、風呂がある程度だ。
「ふうん。ここで幼き頃の貴様殿は修練に明け暮れたのか」
ソファに座って、ロジェが開けたばかりの窓の外を見るライラ。
そこは、雑草だらけで今は地面が見えない。
暗殺術、格闘術、武器の手入れや扱いを教わったのは、まさにそこだ。
「俺だけじゃない。師匠もここで幼少期を過ごしたらしい」
「……どうせ女であろう」
「ああ。よくわかったな」
「嫌なほうを言ってみただけだ」
微妙そうな顔でライラはフンと鼻を鳴らす。
薪をいくつか持ってくると、細かくナイフで削って火を起こす。
火が大きくなるのを見届け、薪をくべていった。
「俺の何がそんなに知りたいんだ?」
ここまで来て、知れる情報など大したものではない。
俺が口で語ったほうが、よっぽど手間がない。
「そなたが見た景色を、妾も見てみたいだけだ」
「いつの間にか詩人になったな」
「や、やかましいわ」
そもそも、昔語りは好きじゃない。
意識的に記憶から消している情報も多い。それに付随する記憶も、同じくそうだ。
「妾は、魔王であった父上の子であり、魔法の寵児だった。境遇はアルメリアの小娘に近いかもしれぬ」
アルメリアを例に挙げると、想像しやすかった。
魔界、人間、世界は別とはいえ、王の子。
俺のような日陰者とは縁遠いが故、興味があるんだろう。
「何でもよいのだ。そなたがどうやって生きて、妾と出会ったのか、知りたい。それだけだ」
太い薪の隙間を縫って、チロチロと炎が顔を出しはじめた。
「……小さい頃、よくこうして火の番をさせられた。師匠は、暗殺者としての俺を生み出した親でもあり、育ての親だった。彼女が料理をする間、暖炉の様子を見て、薪をくべて、火かき棒で中を混ぜた。きっと、料理の最中、俺がうろちょろするのが邪魔だったんだろう」
ふふ、と後ろでライラが小さく笑った。
「そなたも、可愛い頃があったのだな」
キュポン、と小気味いい音が聞こえると、ライラが葡萄酒のボトルの栓を抜いたところだった。
鞄から出したグラスに注いで、ぐいっと景気よく飲み干す。
「そんなものを持ってくるから、荷物が重くなるんだ」
「妾の勝手であろう」
お返しとでも言うように、ライラも話した。
「五つだ。その頃に、位階三等までの魔法は軽々と扱えるようになった。そなたに教えた『ディスペル』も『シャドウ』も、限度はあったものの、使うことに何の苦労もなかった」
「ロジェは……」
「ロジェは、五等がせいぜいであろう。父上の側近や上級武官も、三等を扱える者は、半数もいなかったように思う。そして禁術指定の死霊魔術、『レイズ』を使ったのは九つの頃だ。あのときは、父上に死ぬほど怒られた」
くっくっく、とライラが思い出したように笑っている。
確か、死んだペットの猫を起こそうとした、と以前言っていたな。
今度は、俺の番か。
「……ちょうどそこの口から、依頼の手紙が届く」
配達物を受ける物は何もなく、投函されると、パサッという音がして手紙が床に落ちた。
「パサ、パサ、と音がするたび、俺は手紙を拾って、師匠に渡した。依頼方法は、いくつかあった。手紙のときは、何人かを経由した。投函した者も、そいつに手紙を渡した者も、誰から誰への手紙かは知らない。ただわかるのは、もし開封すれば自分の命が危ないということくらいだ。それが届くと、師匠は家を空けた。数日のときもあれば、数週間のときもあった。俺は言いつけを守って、そこの野原や森で鍛練を続けた」
グラスを持ったライラがおもむろに立ち上がった。
「うむ? 一通……落ちておらぬか」
「何?」
「やはり。床の色と封筒が似ているせいだ。……まだ新しい……?」
ライラが手紙を手にとり、俺に渡した。
「……」
「読まぬのか」
「俺はもうその仕事は辞めている」
オレンジ色に燃える暖炉の中に放り込もうとすると、ライラが手紙をひったくった。
「それなら、妾が中を検めてやろう。どうせ捨てるのであれば、よいであろう?」
「好きにしろ」
封蝋を力任せに引っ張ると、封筒自体がビリッと破けた。
便箋を取り出してライラが目を通す。
「ふうーん。エイミー……というのが、そなたの師匠か?」
「ああ。――待て、『エイミー』宛てか?」
「ん? そう書いてあるが?」
俺の『ロラン』がそうであるように、『エイミー』は、信用できる相手に使うことが多い名だ。
いや、逆か。
そうしたほうが仕事上便利だと教わった。
彼女もここをセーフハウスとして使うことがあったんだろうか。
それとも、依頼主が『エイミー』の行方がわからないから、ここへ寄越したのか……。
「てっきり、俺に宛てた物かと思った」
「ところどころ読めない」
「だろうな」
便箋を借りて、暖炉の火にかざすと文字が浮かんだ。
「これで読める」
「ほう。そんな仕掛けが」
ライラに返すと、真顔で手元の便箋を見つめた。
「暗殺の依頼……」
「だろうな」
「いや……暗殺者の、だ。――暗殺者の、暗殺依頼」




