慰安旅行2
男は、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにさせながら言った。
「オレはただ、使えそうな女を集めて、そのナントカって薬を飲ませろって言われてるだけなんだ」
小指をさすっては、のどをしゃくらせた。
案外、人は思い込みが強いので、激痛と音がしたあと、折れたと言えば勘違いする。
本当は指の骨は無事だ。
男が言うには、多少強引なやり方で女を連れていき、仕事をさせるという。
ミリアにやったようなのは、かなり優しいほうだそうだ。
奴隷商人から買ったりすることもあるが、町で浮かれている器量のいい女を狙うことも多いらしい。
ディーが言うには、この男が、遊女に『セカンド』と呼ばれる薬を渡し、客に売り捌いているという。
「……という話だが、事実か」
うんうん、と男はうなずいた。
「お、オレだけじゃないんだぜ。他にも、オレと同じようなやつが三人いる。そいつらが、マスターから預かったブツを嬢に渡している」
ぐい、と胸倉をつかんだ。
「ひっ、何っ――」
何の罪悪感もないその顔に、ルーベンス神王国の一部地域での話をした。
「おまえが女に渡しているのは、心身ともに腐らせる毒みたいなものだ。一時的な快楽に溺れ、繰り返せば自我が崩壊し、自分が誰かもわからなくなる。知らずに飲み続ければ、被害者は増え続ける。『普通』じゃ、いられなくなる。このままなら、おまえの知り合いも、恋人も、家族も、いつの間にか『セカンド』なしでは生きていけない廃人コースを辿るかもな」
男は、うわ言のように、ぽつりぽつりと言った。
「……そんな薬、なのか……? で、でも、売上は町をよくするために使われるって……マスターが……」
どこまでおめでたいんだ、こいつは。
どういう金の流れかは知らんが、町をよりよくするため、なんて考えるやつが、こんな薬を売り捌くわけないだろ。
「マスターというのがおまえの上司か。どこにいる」
「た、たまに店に顔を出す。だが、オレもあいつが何なのか、詳しくは知らねえ……赤い髪の目つきが鋭い男だ」
「知ってることでいい。そいつのことを教えてくれ」
男を立たせ、店へと歩く。
この町出身のゴロツキだったが、そのマスターとやらに最近知り合い、この仕事をはじめたという。こいつも簡単で儲かるから、と美味い話に乗せられたクチらしい。
「マスターは、週に二回ほど店に顔を出す。そのときに、ブツを持ってくるんだ。どこからそれを持ってくるかは知らねえ。だが、このコトカにゃ、誰が使ってるかわからねえ倉庫がたくさんある。もしかすると、そこから運んでるのかもしれねえ」
脅しが効いたのか、男は積極的に話すようになった。
本当にいいことをしている、と思っていたのかもしれない。
それが、事実はまったく逆だったからか、かなり協力的だった。
「そのマスターとかいうやつが作ってるのか」
「いや、そこまでは」
男が知っている限りでは、その妓館が受け渡し場のようになっているそうだ。
イイコトをするなら、必ず個室だし、隠密性も高い。
ひっそりと何かをするにはうってつけというわけだ。
その妓館は花街の中心あたりにあった。
格子のむこうにいる女たちは、ひと目見てわかるほど、他の店とレベルが違う。
目に生気がないかと思えば、逆に爛々とさせている女もいる。
「……安いな」
「あ、ああ……他の店よりもイイ女を安く、ってのが、ウリなんだ」
旅の解放感に任せれば、あっさり支払える値段だった。
「店の女が言うには、使ってからヤるとスゲェって……だから客も女もハマるんだって」
こっちだ、と男は店の裏手に回る。
そのとき、物陰の隅に、一瞬魔法痕が見えた。
「……これは……」
よく見てみると、『ゲート』だった。
男が言っていた特徴の赤い髪というのは、魔族のそれだったらしい。
たしか、『ゲート』は、位階一等を頂点にした難易度の目安でいうと、五等だったはず。
ロジェが四等の『シャドウ』が覚えられない、と言っていたな。
だから、あいつと同等か、それ以上の魔族ということになる。
「今日は、マスターはいないと思うが……」
「いや、いい。十分だ。本当に町のことを思っているなら、薬はすべて破棄させろ。いいな」
「う、ウス……!」
男が裏口から店に入っていくのを見届けると、俺は『ゲート』を確認する。
思った通りだ。パスが通っている。
「さて。……どこに繋がっているのやら」
さっそくマスターとやらの足跡を追うべく、『ゲート』を使い、ジャンプする。
到着したのは、丘の上。
目の前には大きな門があり、奥には屋敷がある。
背後を振り返れば、ゆるく続く坂道があり、それはさっきまで俺がいた港町へと続いていた。
いきなり現れた俺に門兵が槍を構えた。
「お、おい! 貴様、何者だ!」
「ここはマルティ・クーセラ男爵の館だ。用がないなら立ち去れ!」
男爵……。
町をよりよく、という嘘が出てくるわけだ。
「まさか領主が一枚噛んでいるとはな」
ずかずかと門へ近寄る俺に、門兵たちが槍を突き出してくる。
「ぬあ!?
「あ、ちょっと!」
二本とも槍を取りあげ、門のむこうへ投げる。
門兵が慌てている隙に、門をよじ登りむこう側へ着地した。
建物を見て、だいたいのアタリをつける。
経験上、館の主というのは最上階の、見晴らしのいい場所を部屋に選ぶことが多い。
「……あそこか」
前庭を疾走し、柱へ飛び、二、三度蹴ってジャンプする。
二階のエントランスらしき場所の床を掴み、ひらりと中へ飛んだ。
「は……? なんだ、あれ……」
「い、一瞬で二階に……!?」
自分たちの仕事も忘れて、門兵は呆然としていた。
身体能力をきちんと知っていれば、それほど難しいことではない。
あとはどのルートが通れるかをシミュレーションすればいい。
雨どいを掴み、強度を確認してからよじ上る。
目当ての部屋のベランダが見え、窓ガラスのむこうに中年の男が見えた。
「っっっっ!?」
俺と目が合い、言葉を失くしていた。
吸っていた葉巻を、ぽろっと落とした。
俺がベランダに立つと、慌てて大声を上げた。
「だ、誰だ、おまえは! こ、ここは三階だぞ!」
「不審人物だ」
「ふ、ふざけるな! だ、誰かおらぬか!」
ガラスを蹴破って中に入った。
「ぬぉおおお!? な、何者だ! 私を、マルティ・クーセラと知っての狼藉か!」
「別におまえが誰でもいい。俺はフェリンド王国、特務公安課の者だ」
「なんだ、それは……? 聞いたことがないぞ」
俺もはじめて聞いた。
「公の組織ではないからな。ランドルフ王直属の諜報機関だと思ってくれ」
「へ、陛下、直属の……!? 諜報機関……!?」
そんなもの、どこにもないが。
「妙な薬がこの一帯で流行りはじめていると聞いて、調べさせてもらった。ルーベンス神王国でも、同様のことが起きていてな。この件は、陛下に報告させてもらうことにした」
「ま、ま、ま、待て! 領主は、領地を治める者。私が領地で何をしようが、それは誰からも咎められぬことであろう!」
「領地は、おまえのものじゃない。領民もそう。すべて国のものだ。貴族はただそこを預かり王の代わりに治めているに過ぎない。……『セカンド』という薬を蔓延させた罪は、軽くはないぞ」
「ぐぬぬぬぬ……!」
顔を赤くし歯ぎしりをするクーセラ男爵が開き直った。
「領民とは、領主を肥やすためのモノ! ここでは、私が法。私が王である――――!」
壁にかけてあった剣を掴んで構えた。
「私腹を肥やすことを考える豚には、どうせ、その程度の考えしかないのだろうと思った」
言葉にならない雄叫びをあげたクーセラ男爵が、斬りかかってくる。
ひょん、と鼻先で刃をかわす。
こちらも踏み込む。
すれ違う寸前に、カウンターの要領で顔面に拳をめり込ませた。
「ふごあ!?」
クーセラ男爵は後ろに吹っ飛んだ。
数回転がり、壁にぶつかってようやく止まった。
「平民に堕ちて『普通』が何か、どれだけ尊いのか、学ぶといい」




