慰安旅行1
「わああ、ロランさん見てください! 海ですよ、海っ!」
馬車の窓からミリアが顔を出してはしゃぐ。
「海程度ではしゃぎおって。ガキめが」
黒猫ライラがリュックの中でぼそっと言った。
おまえだって、この前ソマリール海岸で我を忘れるくらいはしゃぎ倒してただろう。
「こら、ミリア。危ないから頭出さない」
アイリス支部長に注意されて、ミリアが「てへへ」と照れ笑いしながら席に着いた。
馬車には、俺、ミリア、アイリス支部長、他三名の女性職員がいた。
全員で六人。
並走している馬車には、男性職員が詰め込まれている。
「わたし、ラハティの町を離れるの、すっごく久しぶりだから楽しみです~」
目を輝かせながら、ミリアは窓から外をを見る。
「不幸中の幸いというか、まあ、上手い具合に偶然が重なったわね」
と、アイリス支部長。
……それは昨日のことだ。
俺たちのいるラハティ支部が、ギルド本部から表彰されたのである。
「まあ、ほとんどロランさんのお陰なんですけどねぇ~」
クエスト消化率や、ラハティ支部出身冒険者の躍進などなど。
それが、ギルドマスターからの手紙で称えられ、報奨金として五〇万リンが与えられた。
「都会でも何でもない町の支部が、本部から表彰されるなんて快挙よ、快挙」
「それは、みなさんの頑張りでしょう」
「本当に、謙遜の塊ね、あなた」
アイリス支部長が、呆れたように言って微笑んだ。
そしてその日、男女二人組の冒険者の諍い……痴話喧嘩のようなものだったが、ギルドの中ではじまり、魔法か炸薬系の薬品を使ったのか、ドカンと暴発。
入口や受付近辺が派手に吹き飛んだのだ。
幸い怪我人もなく、仕事に必須の書類も無事だった。
「修繕には一週間かかるんでしたっけ?」
「ええ。だから二泊三日の慰安旅行ができるのよ。報奨金も出たしね」
その期間は、ギルドは閉鎖することになった。
この旅行自体は自由参加だったが、褒賞を使うので諸経費は全部タダ。
「妾はゆくぞ……! 貴様殿は、我が家で退屈な時間を過ごすがよい!」
このことを知ったライラが俄然やる気を出したので、俺も同行することにした。
気がかりなこともひとつあった。
それに、ライラが言うように、家にいても鍛錬くらいしかやることがないのはたしかだ。
そして、今むかっているのは、最寄の港町コトカ。
海産物やら、他国から輸入した物品など珍しいものが並ぶという。
「お仕事頑張ったかいがありました。砂浜も近くにあるので、水着も持ってきたんです~」
鞄の中からミリアが水着を引っ張り出して見せた。
「あ、わたし持ってない」
「大丈夫、きっとあっちで売ってるって」
女子たちはきゃいきゃいはしゃいでいる。
「水着……?」
リュックから顔を出したライラが首をかしげていた。
砂浜と海を見てはしゃぐくらいだ。
魔界には海や川で泳ぐという概念がないようだ。
そもそも、浸かれるような自然の水がないのかもしれない。
「支部長も持ってきてるんですか?」
「わ、私はいいでしょ、別に……」
他の女子たちにニマニマされるアイリス支部長だった。
やがて馬車が港町に到着し、町の中心地からほどよく離れた宿にやってきた。
部屋の窓からは海が見え、なかなかいい雰囲気だった。
ライラを元の姿に戻す。
「失礼しまーす、ロランさーん? 町を見て回りませんか?」
ミリアが扉から顔を出した。
「あ! 妾さん……何でこんなところに……! 職員だけの慰安旅行ですよ?」
「細かいことを言うでない。貴様殿、妾はミリアを連れて水着とやらを買ってくる!」
ぐいっとライラがミリアの腕を掴んだ。
「え――わたしは、ロランさんと」
「ミリアさん、ライラのことを頼みます」
「あ、はあ……もう、仕方ないですね」
また迷子になって彷徨わないか心配だったが、ミリアがいるのなら大丈夫だろう。
二人は仲良く部屋を出ていった。
宿での食事はなく、各自自由にとるように、とアイリス支部長が言っていた。
もうすこしすれば、俺も外で何か適当に食べるとしよう。
「入るわよぅ?」
まったりした口調が、扉のむこうから聞こえると、ディーが中にやってきた。
「……何してるんだ」
「いつものところが締まっていたし、こっちの支部でも何度かお仕事したことがあるから、今日はこっちでしようと思ってジャンプしたのよう。そしたら、ロラン様たちを見つけたから」
そういうことか。
「……あの件、何かわかったか?」
俺は個人的にディーにお願いしていた調査があった。
ルーベンス神王国の王子と見合いをするとき、かつての仲間で勇者パーティの一人であるエルヴィと再会した。
それから、彼女から月に一通ほど、ギルド宛てに手紙が届くようになった。
大半はプライベートなことを訊いてきたり、近況の報告だったりしていたが、ひとつ気になることがあるとエルヴィは言った。
その内容に基づく調査だ。
「吸血鬼のわたくしをこき使うなんて、とんでもないニンゲンよねぇ、ロラン様は」
「俺のもの、なんだろ?」
「冗談よ」
するり、と蛇のように近寄ってくると、俺の首に腕をかけるようにして座る。
お姫様抱っこを座りながらしているような状態になった。
「ロラン様が言っていたように、このコトカは情報収集しやすかったわ。花街あたりでは、使うニンゲンもいて、最近増えているみたいよ」
「そうか」
エルヴィの手紙に、人体に害を与える妙な薬を使う者が増えている、ということが書いてあった。
一時的な快楽があるというが、その代わり体は蝕まれるという。
「物や人の出入りが激しいから、コトカは持ち込みやすいのよねぇ、きっと。症状を聞いていると『ディスペル』で浄化できても、中毒症状は残りそうなのぉ」
「厄介だな」
「何日か妓館の様子を見ていたけれど、一店だけ怪しい店があったわ」
「そこまで案内を頼む」
放っておけばいいのかもしれないが、害を知らずに使う人間は多い。
いずれ、俺の住む町にまでそれは蔓延する可能性がある。
俺はディーとともに宿をあとにし、花街と呼ばれる一角までやってきた。
「そこは老舗と違って、最近できた妓館みたいなのよ。オンナの質もよくて他の店の客をごっそり持っていっているとか」
夕暮れの花街の通りは、客引きの男が道ゆく男に声をかけ、妓館の格子のむこうにいる女が、何人も男に色目を使っている。
目に映る色は、朱や紫、黄色に桃色、いずれも毒々しいものばかりだった。
裏通りから例の妓館にむかうことにして、路地を入ると、声が聞こえてくる。
「ほ、本当ですかっ? 一日頑張れば、一〇万リンも稼げるなんて」
「ええ、お嬢さんなら、もっとすごい額になるかもしれませんよ。旅行のお小遣い稼ぎだと思ってくだせぇ」
若い男に連れられたミリアがいた。
「あらあらぁ、あの子……ギルドの」
「ライラと一緒だったはずだが……はぐれたのか?」
様子を窺っていると、どうやら美味い話に乗せられてついて来てしまったらしい。
「世間知らずの田舎娘ねぇ」
「実際、地元の町からほとんど出たことがないんだ。騙そうとする人間が周囲にいないせいで、免疫がまったくないんだろう」
「あ。ロラン様、あいつよ。あの男から薬をもらったって何人かが言っていたわ」
「わかった。ちょっと訊いてみる。ディーは、ライラを頼む。どこかで迷子になっているだろう」
「はぁい。くれぐれも注意してねぇ」
「誰に言っている」
「うふふ……その実力に見合った自信……ステキだわぁ」
ちゅ、とディーが俺の頬にキスをする。
フードを目深に被ると、通りのほうへと出ていった。
「お嬢さん……ミリアちゃん、だっけ? エッチなことをした経験は?」
「えっ、何でそんなことを……。な、ない、ですけど……?」
「それなら、もっとすごい金額を稼げるよ!」
典型的な常套句に騙されるな、というほうが、ミリアには難しいのかもしれない。
騙されるほうが悪い、と言うこともあるが……。
「まあ、騙すほうが悪いに決まっている――」
俺は路地を裏通りへと出ていく。
いちいち会話する必要もないだろう。
男の腕を取り、一瞬で組み伏せた。
「ぐあっ!? ――な、なんだ、何が起きて――?」
「ろ、ロランさん……? どうしてここに」
「ミリアさん、この男についていくと、エッチなことをさせられますよ?」
ぱっとミリアが赤面した。
「えええっ、そ、そんな話聞いてないです……」
「でしょうね。もしかすると、帰れなくなったかもしれません」
ミリアは言葉を失くしていた。
安全で誰もが親切な町から出た経験がない世間知らずだから、他人の悪意に触れたことはないんだろう。
「ミリアさん、僕はこの方に話があります。ここは女の子が用もなく来る場所じゃないです。元の通りまで戻ってください」
「は、はい……」
困惑するミリアだったが、人通りの多い港のほうへ背をむけて走り出した。
「おまえ、こんなことしてタダで済むと思ってんのか! あァッ!?」
「喚くな。おまえがどこの誰でも俺は同じことをする」
ディーはこの男がその薬を渡していると言っていたな。
「『セカンド』という薬に聞き覚えはないか」
「何の話をして――」
小指を反対に折り曲げた。
ぽく、と軽い手応えがする。
「ぎゃああああああ!?」
「もう一度訊く。しらを切れば、体の骨が一本ずつ折れていくことになる。だが、それではお互い得をしない。おまえは体の骨が折れ、俺は耳障りなおまえの声を聞かされることになる」
「知らねえって言ってんだろ!」
「その威勢だけは買ってやろう。何本まで耐えれるか、見物だな」
このあと、すぐしゃべった。泣きながら謝られた。
――――その頃、自宅の前では。
「ライリーラ様っ! このロジェ・サンドソング、ライリーラ様の好物である魔界産ベリーの実を持ってまいりました! ニンゲン、貴様の分はないぞ! だ、だが、どうしてもというのなら、やぶさかではないのだが……と、ともかく食べさせてやらんこともないと言っている! ……?」
応答がないので、家の中に入ってみた。
「あ、あれ…………誰もいない……」
ちょっとだけ寂しくなるロジェだった。




