傷痕3
◆
三回目の仕事の相手は、商人だった。
王都の屋敷までやってくると、侵入経路から音もなく中に忍び込んだ。
『あんまりいい商売をしてないらしい。ま、ウチらの仕事になるくらいだからね』
エイミーはそう言っていた。
誰であろうと、仕事ならやり遂げるだけだったので、無駄な情報だと俺は聞き流していた。
『仕事中は、必ず何かが起きると思っておきな』
その言葉を、まさしく痛感することになる。
標的の寝室では、殺すはずの男がすでに殺されていた。
◆
サーシャを助けたあと家に帰ると、ミリアと一緒にライラが作ったらしい料理が並べられていた。
俺の顔を見るなり、ぱあっとライラが表情を明るくする。
「遅かったな。ミリアが遅くなるかもしれない、と言っていたが、思いのほか早かった」
「ああ。個人的な用事があった」
ふむ? とライラは訝しそうに首をかしげた。
ミリアはもうすでに帰ったらしく、食事をしながら、ライラは料理をしているときのことを楽しそうに教えてくれた。
ライラの顔を見ると、安心する。
この家も、家具の配置も、俺はここで暮らしているのだ、と実感する。
「……ここ数日、変に考え込むことがあるな? 妾でよければ聞くぞ? アイリスに意地悪でもされたか」
ししし、と冗談めかしてライラは笑う。
「そなたが話したいのであれば、耳を貸してやらんでもないぞ」
顔に気になる、知りたい、と書いてあるくせによく言う。
食事中する話でもないので、さっさと済ませリビングへ行く。
葡萄酒を一本開け、夕食の残りをツマミにしながら、グラスのそれを飲んだ。
「その、個人的な用事とやらと関係があるのか?」
「そんなところだ」
茶化すでもなく、ライラは蒸した鶏肉をつまみ、葡萄酒でゴクゴク、と喉を鳴らす。
「妾が聞いて進ぜよう」
聞きたくて仕方ないくせに、やたらと偉そうなライラだった。
「腹の傷痕……あれは、任務中に負ったものだ。三回目の、仕事中のことだった」
隣のライラは、俺の腹をすりすり、とさする。
「ヘマをしたなぁ」
痛かったであろう、とまるで子供扱いだ。
いや、俺もまだまだ子供だった。
自分を過大評価していた頃だ。
「一一歳のときだ」
「ふうむ……一一?」
二度見してきたが、話を続けた。
「俺の標的は商人の男で、王都に屋敷を構えるほどの、大商人だった」
後々耳にしたところによると、強引なやり方で財をなし、方々に恨みを買っていたそうだ。
誰に恨まれていたかまではわからなかったが、ともかく、俺は関係ないルートからの仕事だった。
「その商人は、密かに武器を反乱勢力に売りさばいていた」
「危険な男であるな。場合によっては、兵を持つ者より金を持つ者のほうが怖いこともある」
だから仕事になったんだろう。
「なるほど、わかったぞ。その商人を殺そうとしたとき、手痛い反撃にあったのだな?」
「全然違う。最後まで話を聞け」
「む」
「俺が男を殺そうとしたとき、すでに殺されていた」
「ほう?」
「色々と、本当にみんな、間が悪かった――」
ただひとつ言うなら、俺はまだプロになりきれてはいなかった、ということだ。
俺が部屋に侵入したまさにそのとき、同業の男が、標的を殺した瞬間でもあった。
「動揺した。それはその男もそうだった。だが、俺より奴のほうが冷静になるのが早かった。俺の目的に気づいた男は、しー、と人差し指を立てた。俺の仕事は、手を下すまでもなく終わっていた。そっと姿を消して帰ればよかった」
振り返れば、冷静にそうするだけだと思えるが、現場で今まさに起きたことに、情報処理が追いつかなかった。
まだ経験の浅い、三回目の暗殺。
あいつが言い含めたように、臨機応変に対処なんてできなかった。
俺は、十分子供だった。
ライラはグラスを傾けながら、静かに俺の話を聞いている。
「本当に、全員、間が悪かった。……そこに、小さな子供の声がした。今でも覚えている。『パパ、一緒に寝てもいい?』。ゆっくりと扉が開いた。俺より年下の女の子が部屋へ入ってきた」
輪をかけて俺は混乱した。
だが、男が放った殺気が、俺を正気に戻した。
「不都合だと思った男は、その女の子を殺そうとした。反射的に俺の体が動いた。……力量は、同じくらいだったと思う。いや、もうわからないが……。俺のナイフは男の胸に刺さり、男のナイフは、俺の腹を抉った」
意外と男が小柄だったのが幸いした。
それとも、いきなり割って入った俺に驚いて、手元が狂ったのかもしれない。
どうしてそうなったのか、それはもうわからない。
脳が焼けてなくなるかと思うほどの痛みだった。
「三回目の暗殺は、標的ではなく、標的を始末した暗殺者を殺す結果となった」
「それが、この傷痕か」
ライラが服の上から傷痕を撫でる。
「手負いの俺が家に戻ると、師匠は手当しながら俺を叱った。なんと言ったのかわからないが、怒っていたような気がする」
「それでどうにか助かった、と」
目が覚めた俺は、天井を見ながら考えた。
家族構成は当然頭に入れていたが、情報として知るそれと、目の当たりにするのでは、重みが違った。
「あと、二分……いや、一分俺が現場に早く着いていれば、俺があの少女の父を殺していた」
「事実は違う」
「ああ。だが、ほんのすこしの差でしかない」
「そのおかげで、そなたは少女を助けた」
ライラはそう言うが、俺は首を振った。
すくなくとも、当時の俺はそう思えなかった。
「……罪悪感で、目まいがした」
俺はまだ経験の浅い、仕事に不慣れな子供でしかなかった。
師匠にその後のことを訊いたのもよくなかった。
反乱勢力に物資を援助していたことが明るみになり、一族は路頭に迷うことになった。
「その少女か。最近そなたにご執心な女は……」
「ああ。よくわかったな」
「ミリアが言っていた」
なるほどな。
「あの仕事を続けていれば、気にかけることもなかった。たぶん忘れていただろう」
「ふうん。わかった……そなたは、その罪滅ぼしをしている、ということか」
「そういうことになる。『温かい』や『寂しい』『愛しい』の感情を理解したせいもあるだろう」
フン、とライラは酒臭い息を吐く。
「どうして貴様殿が、他人の罪を背負ってそれを償わねばならぬ。助けるということは、それはよいことであると思うが……」
「目の前にいれば……手に届く範囲にいるのなら、手助けしたいと思ってしまう。……俺はもう、暗殺者じゃない」
「気が済むのであれば、そうしてやるがよい」
ぺろっと服をめくったライラは、直接傷痕を撫ではじめた。
「そなたでも刺されることがあるのだなぁ」
「昔のことだ。それ以来正面から刺されたことはない」
よしよし、と頭を撫でられた。
「真面目、なのはよいが……ぷふ……あまり考え過ぎは、よくない」
「……」
瓶を確認すると、いつの間にか全部空になっていた。
静かに聞いていたのは、酒のお陰でもあったらしい。
「だが……だが、そなたのことが、知れたのは、嬉しく思うぞ。近う寄れ……」
と言いながら近寄ってくると抱きつかれた。
「妾にだけ、もっとそなたのことを教えてくれ……。何をどうしたとしても、妾は、そなたの味方であるぞ……?」
ライラの赤い髪を撫でる。
ひっつき虫になったライラが離れてくれないので、俺はお姫様抱っこをしてベッドまで運んだ。
「魔王をお姫様抱っこというのも、不思議な感じがするな」
「何を言う。妾とて、元は魔族の姫である。丁重に扱うがよい。…………こ、今夜も……優しく……頼む……」
小声で言うので、俺はおかしくてすこし笑った。




