傷痕2
◆
三回目の仕事だった。
「上手くやんなよ? 冷静沈着、臨機応変。わかった?」
「……」
俺はうなずくだけだったが、エイミーは頭をわしわしと撫でた。
その手を払うと、「可愛げのない」と唇を尖らせる。
「あんたは、想定外のことが起きたらパニックになるんだから。仕事中は、必ず何かが起きると思っておきな」
愛用のナイフと予備を確認していると、同じ忠告をしてくる。
これで何回目だろう。
俺はうんざりしていた。もう二回も仕事をしているのに。
「わかった」
声変わりもしていない声で、返事をする。
いつも通り。同じ手順。所要時間、侵入、脱出ルートも覚えた。
憂うことは何ひとつない。
何も言わず家を出ていく。獣道を走り、山を下っていった。
街まで一時間もかからない。
夜明けまでには余裕を持って戻れる。
王都までやってくると、城外の堀に入り、排水溝から城内へ侵入する。
そこから、標的の寝室まで一直線だった。
◆
「ずいぶんと評判いいんだね、アルガン職員」
カウンターの向こうで両手で頬杖をつきながら、サーシャはニコニコとしている。
あれから数日。
この町に居ついた彼女は、毎朝、俺の向こう側に座ってクエストの希望を言った。
「やっぱり、眼鏡があるのとないのとじゃ、雰囲気全然違う」
「今日は、割のいいDランククエストはありません。Eランクなら、コウンソウの採取……回復薬の元になる薬草採取のクエストが、割がいいと言えばいいです。どうします?」
「冒険者たちがみんな、口を揃えて言うんだ。すげー職員だから、あの人に斡旋してもらえば間違いないって」
「そうですか。光栄です」
「心こもってないなぁー」
ふふふ、とサーシャは笑った。
「……ねえ、どうして嘘つくの? それに、眼鏡なんてかけて。度が入ってないでしょ、それ」
「僕は、何の嘘もついてないですよ。それにこれは……ちょっとした……ファッションです」
変装用だったが、そう言うしかなかった。
「あはは。ファッションって。んじゃあ、そのコウンソウの採取、お願い」
「かしこまりました」
いつも通り、俺はクエストを斡旋する。
上がってきた近辺の情報と、想定される魔物とその対処法を伝える。
「想定外が現れたら、逃げてくださいね」
「わかってる、わかってる。こう見えて私、Dランクなんだよ? アルガン職員って心配性?」
「いえ。失敗しそうな人だけには、丁寧に応対しているだけです」
「あっ、ひっどーい! アルガン職員は、私が失敗するって思ってるってこと?」
「後ろがつかえていますので。お気をつけていってらっしゃいませ」
「んもぉー! 席をどければいいんでしょ、どければ。わかったよぅ」
怒ったように頬を膨らませたサーシャだったが、ギルドから出ていくとき笑顔で手を振った。
「ちゃっちゃと終わらせて戻ってくるね」
そう言って去っていった。
順番待ちをしている女性冒険者を捌いていると、隣のカウンターで仕事をしているミリアが尋ねた。
「あのサーシャさんって方、ずいぶんと仲がいいみたいですね。最近来たばかりですよね?」
「はい。なぜか懐かれてしまっているみたいで」
「す、ストーカーとか……? ロランさん、困ったら言ってくださいね」
「そこまで大げさじゃないので大丈夫ですよ」
そうですか? と、ミリアは小首をかしげた。
「んんんん……けど、不測の事態に颯爽と現れて命を助けてもらったら、誰でも気になっちゃうと思うんですよね」
考え過ぎですよ、と俺はミリアに言って、手元の書類をまとめた。
できれば、早く違う町に行ってほしいのが、正直なところだ。
死んでいるか、生きていたとしても、奴隷になっているかだと思っていた。
毎日顔を合わせれば、嫌でも気になってしまう。気にかけてしまう。
今日はミリアがライラに料理を教えるため、仕事が終わると家にやってくるそうだ。
平和に何事もなく、仕事をしていく。
「普通が一番ですよねぇ……この前みたいなドタバタは、わたし、すぐテンパっちゃうから嫌なんです……」
ミリアの言葉には、俺も賛成だ。
『普通』が一番――。
名言だ。
だが、閉館間際になっても、サーシャは現れない。
「サーシャさん、すぐ終わらせて戻ってくるという話だったんですが」
「ん~。クエスト自体は済ませたから、報告は明日にしよう。って思っているんじゃないですか?」
さもありなん、というミリアの予想だった。
そういう冒険者は多い。
だが、採取系、討伐系のクエストは、なるべくその日のうちに報告する人のほうが多い。
寝ている間、宿にいる間、飲み屋にいる間――いつ成果物をネコババされるかわからないからだ。
冒険者が利用しそうな安宿では、この手の盗難が多いという。
そのせいか、もっと大きな町のギルドでは、報告の受付窓口を二四時間やっている。
この仕事に転職してから、危機察知の嗅覚は、自分ではなく他人にむけられるようになった。
だから、危なっかしい冒険者、勘だが何かありそうな冒険者には、より丁寧な対応をしている。
閉館の時間を迎え、扉を閉め内側から鍵をかける。
アイリス支部長からの終礼があり、今日一日の仕事が終わった。
「サーシャさんのこと、心配ですか?」
帰り際、ミリアはそう言った。
「コウンソウの採取……森はそう遠くなかったので、見てきます」
「えっ。町に帰って来てるだけなんじゃないですか?」
「それならそれでいいんです」
想定外のトラブルを引き起こしてしまう、そんな星の下に生まれる人間だっている。
それが、たぶんサーシャなのだと思う。
あのときも、そうだった。
「あ、ロランさん!」
走り出した俺の背中にミリアが呼びかけるが、構わなかった。
俺は馬屋でギルド専用の馬を借り、それに乗って町を出ていく。
深くとも何ともない、名前すらない森だったが、到着してみてわかった。
静かだが、人の気配がする。
「……」
森の入口に馬を繋いで、中に入る。
気配を気取らせるくらいなのだから、大した敵ではない。
俺は足音を消して、その気配を辿り、奥へと進んだ。
「この娘っ子、どうするよ?」
「顔は、そう悪くねえ」
話し声が聞こえる。
焚火のオレンジ色の光が、木々の隙間から漏れていた。
「Dランク冒険者、ねえ……後ろから頭ド突いたら一発だったな」
「Dなんか雑魚みたいなもんだ。楽しませてもらった後は、奴隷商人にでも売りゃいい」
木陰から声のするほうを覗くと、気絶して焚火の前で転がるサーシャと、盗賊らしき男が二人いた。
「ま、冒険者やってるくれえだ。色んな男にハメられてるだろうよ」
「二人くらい増えたところで文句はねえだろ」
へへへ、と好色そうな笑みを浮かべた男たちが、ズボンもパンツも脱いだ。
「起きるかもな」
「嫌がるだろうけど、それはそれで一興っつーことで」
俺は燃え盛っている薪を二本手に取り、丸出しのケツにそれぞれ押し当てた。
じゅっ。
「「うぎゃぁあぁぁぁぁああ!?」」
「その娘は、俺が担当した冒険者だ。いいように弄ばれては困る」
「な、なんだおまえは――!?」
「誰でもいいだろ。失せろ、下衆」
しゃがみこみ、目をのぞきこんだ。
「おまえの剣で、そのナニを切り落として薪の代わりにくべてやろうか」
「…………ひいっ」
涙目で、男たちは何度も首を振った。色んな部分が元気を失くしていった。
殺す価値もない小悪党だな。
もう一回、じゅっ、とやると、悲鳴をあげて何も履かないまま逃げ出した。
あれはあれで騎士の御用となるかもしれないが、そのときはそのときだ。
気絶しているサーシャを担ぎ、森の出口までいく。
外傷は後頭部にできたたんこぶくらいで、他は何もなかった。
馬に乗り、後ろから腰に腕を回し抱くようにして町まで馬を走らせた。
「ん……あれ……? 森、じゃない……?」
「気づきましたか。頭を打って森で倒れていたんですよ」
「アルガン、職員……? どうして……。私、クエストの途中で……」
「なんとなく、嫌な予感がしたので」
「また助けられちゃったね。これで三回目」
「いえ、二度目ですよ」
町に戻り馬を返し、宿まで送った。
名残惜しそうな彼女の目には気づいていたが、知らないフリをした。
つままれた袖を払うと、ショックを受けたような顔をする。
ここで関係を持てば、彼女はきっとこの町に居座るだろう。
毎朝俺の前に現れ、無意識に過去を突きつけてくる。
俺は小さく一礼して、宿の前から去った。




