傷痕1
事を終えたあと、息を整えたライラが俺の体を人差し指でなぞる。
す、す、す、と腹筋に沿うように指を這わせ、ぴたり、と止めた。
ちょうど、へその上あたりにある、小指くらいの傷痕だ。
「ずいぶん古い……」
ベッドの中で、囁くようにライラは言う。
「そなたでも、傷を負うことがあるのだな」
「当たり前だ。最初からこうだったわけじゃない」
ライラは優しくその傷痕を撫でる。
「いくつかあるが、正面の傷はこれだけだ」
「そうだな」
「……」
気になる、とライラの顔に書いてある。
「面白い話でも何でもない。俺が未熟だった。それだけのことだ」
「……ふうん?」
失敗というほどのことではなかった。
だが、過去のこととは言え、犯したミスを他人に言うのは、まだすこし抵抗があった。
俺が背をむけると、すり寄ってきたライラが、後ろから俺を抱きしめた。
「肩にも、背にも……刺し傷、切り傷がある……」
ライラは傷痕に優しくキスをする。
一か所一か所、女神が息吹を与えるように、丁寧に。
思い出さないようにして、俺は目をつむった。
翌日の仕事中のことだった。
「職員さん、クエスト、いいかな」
朝から忙しくクエストの斡旋をしていた俺の前に、順番がやってきた少女が座った。
「クエストの受領ですか? 冒険証をお預かりいたします」
カウンターの上に乗せた冒険証を手に、希望するクエストを聞いていく。
Dランク冒険者。サーシャ・グリッド。一八歳。
別段珍しくとも何ともない中級冒険者だった。
「……」
冒険慣れしているらしく、最近はDランクを受けることが多いらしい。
「Dランクで割のいいやつ、あったら紹介してほしいなー?」
冗談っぽく言うサーシャに、俺は笑みを返す。
「ご希望に沿うものがあるかはわかりませんが……少々お待ちください」
誰だって楽して稼ぎたい。
本音はそうなのに、ストレートに言葉にする冒険者は意外とすくない。
「これなんてどうでしょう」
山岳地帯の警備クエストだ。
「ふむふむ」
「いつも使われている橋が川に流されてしまったようで、今は、その迂回路として旧道の隘路を通っています。そこを、安全に使ってもらうためのクエストです」
地図を出して、簡単に説明をしていく。
橋の建設にも人出が必要らしいが、こちらのクエストは安くてキツい。
「ええっとー、じゃあ私は、通行人たちを守ればいいんだね?」
「はい。何かあった場合はお願いします。この地域では、他のギルドでも同様のクエストが出ていますので、現地で役割分担すると思います」
領主のバルデル卿が派遣した役人がいるので、その指示に従うように、と俺は案内をした。
「了解。このクエストの期間、結構長いんだね」
「橋が直るまでのようです」
「そっか。じゃ、一日やってみて、よかったらまた受けにくるよ」
「かしこまりました。よろしくお願いいたします」
俺に手を振って、快活そうな笑顔を見せてサーシャは去っていった。
それからしばらく、俺は同僚たちとやってきた冒険者にクエストを斡旋したり、報告を受けたり、と忙しくしていた。
「――たっ、大変だ!」
そんなとき、大声とともに若い男がギルドに駆け込んできた。
息を切らしながら話す。
「旧道のほうでっ――大型のゲイテホークが現れて――」
ギルドがざわついた。
個体のランク自体はそう高くないが、凶暴な鳥だ。
他の鳥より大きいのだが、大型のものとなると、Bランクが適正とされている。
……と、マニュアルにはあった。
「現地の冒険者じゃ対応しきれない。騎士はまだ時間がかかる! 領主バルデル様からの緊急クエストとして扱ってもらいたい――!」
忙しい職員たちが、輪をかけて忙しくなりはじめた。
「クエスト票を作って――」
「報酬どうすんの」
「領主に確認なんてしてる場合か! ランク設定? Bランクだ、Bランク!」
「緊急クエスト、誰かすぐ受けてくれるBランク心当たりある人――」
パニックに陥りはじめた頃、アイリス支部長が出てきて事情を聞いた。
そして、俺と目が合い、挙手した。
「アイリス支部長」
「……そうね。お願いできるかしら」
俺はうなずいてカウンターの向こう側に行く。
アイリス支部長が手を叩くと注目が集まった。
「はいはい、みんな、落ち着きなさい。旧道の件は、ロランが出るから。慌てず騒がず、いつも通り業務を行ってちょうだい」
よく見れば、来ている冒険者たちはみんなDランク以下。
焦るはずだ。
職員たちが、戸惑いと励ましを投げかけてきた。
「ロラン君、大型のゲイテホーク相手でも戦えるのか……?」
「ロランさん、頑張ってくださいっ」
「み、ミリアの目がハートになってるわ……」
「わかる。頼りになりすぎて、わたしもちょっとキュンとしたし……っ」
俺は飛び込んできた若い男に詳細を聞いていると、冒険者たちもざわつきだした。
「え、何、どういうこと?」
「アルガン職員、戦うの……?」
「マジで? 見たい……」
「ちょ、馬、馬、誰か貸して!」
男が乗ってきた馬が、ギルドの前に停めてあった。
それに乗ると、色んな人が窓から顔を出した。
「え、準備はっ!?」
「手ぶらで大丈夫なの!?」
「何か要る物とかは」
俺は制止するように手のひらをむけた。
「この身ひとつあれば十分です」
「「「「か、かっけぇ……」」」」
軽く会釈をして、馬腹を蹴った。
一気に町を抜け出し、平原を疾走させる。
『いくつかあるが、正面の傷はこれだけだ』
昨晩の、ライラの声が脳裏をよぎる。
それをかき消すように、頭の中に地図を広げた。
ゲイテホークは、人食い魔鳥とも呼ばれる危険な鳥だ。
サイズにもよるが、大人一人くらいなら、クチバシでくわえることができる。
旧道は、山間の道なのでいてもおかしくはないが、これまで目撃情報は一切なかった。
最短ルートを走り、旧道を目指す。
甲高いゲイテホークの鳴き声が聞こえてきた。それと同時に、人の悲鳴があがった。
こっちに逃げてくる冒険者らしき男たちがいた。
「たすけ、助けてくれぇ……なんだ、あの鳥」
「さすがに無理。オレらじゃ対処できねえよ……」
逃げ切った安堵か、二人はその場で膝をついた。
「おい、サーシャという冒険者はどこにいった」
「ん? ギルド職員……?」
「サーシャ……Dランクのあの女か。奥だ、奥! 自分ならどうにかできるって言って……」
戦っているのか。
あの若い男が呼んでくる援軍が来るまで凌ぐつもりなんだろう。
「わかった」
俺は急いで山間の道を馬で進んでいった。
「キィィィィィィェェェェェエエエエ」
例のゲイテホークを見つけると、一帯に響くほど大きな鳴き声をあげた。
道には、クチバシで穴が空けられた冒険者数人が、骸になって転がっていた。
岩陰には、派遣されたらしい役人が頭を抱えてうずくまっている。
「あっち、早くいけってば!」
バッサバッサと翼をはためかすゲイテホークに、サーシャが矢を射かけて攻撃をしている。
腰に差しているのは剣。
弓はあまり得意ではないらしく、届かなかったり、外したりを繰り返していた。
「キィィィィィイイイ!」
「う、うわぁぁぁぁぁああ!?」
高速で滑空するゲイテホークを、サーシャが伏せてかわす。
道の両脇は断崖だったが、よじ登れそうだ。
「そのまま伏せてろ」
「あ、うん……って、職員さん!?」
馬から降りて、転がっていた剣を取り口にくわえる。
目星をつけた岩肌に手をかけ、どんどん上へむかう。
サーシャを狙っているらしく、興奮気味のゲイテホークは大きく威嚇することを繰り返していた。
「ゲイテホークくらいって思ったけど……おっきいんだよぉぉぉ」
泣き言を言って、サーシャは再び攻撃してきたゲイテホークを伏せてかわす。
ゲイテホークがまた上空へ戻ろうとしたところを狙った。
壁を蹴るようにして飛び、その間に両手で剣を握る。
ゲイテホーク目がけて力任せに振り下ろした。
「ギェエッ」
短い悲鳴と血しぶきをあげたゲイテホークは、頭から地面に落ちた。
「呆気なかったな」
着地した俺は、剣を地面に突き刺す。
「ん? あれ。眼鏡」
落下の拍子に、どこかに落としてしまったらしい。
高価なものでもないし、なくても問題ないので、探すのはやめた。
まだ怯えている岩陰の役人に経緯を伝えていると、サーシャが馬の手綱を引いてきた。
「職員さん。ありがとう」
「いえ。緊急事態でしたので」
じっと俺を見て、サーシャはにこりと笑った。
「眼鏡があったからギルドでは気づかなかったけど……たぶん、二回目でしょ。私を助けてくれるの」
「いえ……人違いだと思いますよ?」
では、と言い残して、俺は馬にまたがり、今度はのんびり駆けさせた。
「……覚えていたのか」
何年前だっただろうか、とぼんやり考えているうちに、ギルドまで戻ってきた。
そこでは、職員数人が、シーンを再現していた。
「『え、準備は!?』」
「『手ぶらで大丈夫なの!?』」
「『何か要る物とかは』」
「『……この身ひとつで十分です』(キリッ」
「――ってなことが、さっきあったんだ」
おおお、とさっきいなかった冒険者たちが拍手していた。
「「「「アルガン職員、マジかっけえー」」」」
なぜかそのシーンをみんなが広めていた。




