嫌いはむしろ好き
「…………」
朝起きてからというもの、俺はずっとロジェに目の前で監視されていた。
「何か言いたいことがあるなら聞くぞ」
「何でもない」
ライラの手作りスープを、修行僧のような表情でロジェはひと口ずつ飲み込む。
心を無にしないと食べられないらしい。
「今日は……その、これを持ってゆくがよい」
朝食も食べず、ずっとキッチンに立っていたライラが、テーブルの端に箱を置いた。
「これは?」
「らんちぼっくす、というやつだ」
「なるほど。昼食はこれで済ませろ、ということか」
「う、うむ……町で、主婦たちから聞いた」
気恥ずかしそうにライラは言う。
「は、伴侶であるなら、こうするのが『普通』だと……」
「…………チッ」
ロジェに舌打ちされた。
まったく、態度の悪いエルフもいたものだ。
「ライリーラ様、ワタシの分は……」
「なぜそなたの分が要るのだ?」
「た、たしかに……! で、では! ワタシがライリーラ様にお弁当を作ります!」
「うむ? 要らぬが……好きにするとよい」
「はッ」
時間に間に合わなくなるので、俺は手作り弁当を手に、席を立つ。
鞄に入れ玄関まで行くと、ぱたぱた、とライラが見送りに来てくれた。
「行ってくる」
「う、うむ。行ってくるがよい」
もじもじしてライラは何か言いたげだが、何も言わない。
「……?」
首をかしげて背をむけようとしたとき、するりとライラが近づいてくる。
ちゅ、と頬にキスをされた。
「ライラ――」
俺が何か言おうとする前に、耳を赤くしたライラは、びゅーん、と逃げた。
「……?」
ライラもこの町に馴染んでいるようで、顔見知りも増えたそうだ。
俺がそうであるように、ライラも『普通』というものを学んでいるらしい。
「あ、あれが、伝説の『行ってきますのキス』……!?」
目撃していたロジェは、わなわな震えていた。
「貴様! あまりいい気になるなよ! 朝からハッピーでラッキーな出来事があったからと言って――おおおい、話を聞けえええええ」
ぱたり、と扉を閉めて、今日もギルドに出勤する。
『ゲート』を一応用意しているが、朝の散歩を兼ねてジャンプはしないでいる。
ロジェは、たまにやってくると、数日間一緒に過ごす。
それでまた、魔界へと戻っていくことを繰り返していた。
「大王様は、ライリーラ様のことを心配されている」
と、以前ロジェが口にしていたので、きっと顔も見せないライラの近況報告をロジェが代わりにしているんだろう。
朝礼がはじまり、連絡事項と注意点をいくつか聞いて、業務がはじまる。
冒険者がやってきて、クエストの報告や、クエストの相談を受付でしていった。
「ロランさん……さっきからずっと外でこっちを見ている人がいるんですが……」
ミリアがこそっと耳打ちをした。
ミリアやアイリス支部長をはじめとした女性職員は、冒険者に付きまとわれやすい。
不審人物を怖がるのも無理はないだろう。
とくにミリアは、気立てもいいし、誰でも分け隔てなく接するので、勘違いをされやすいと他の女性職員から聞いた。
「あそこです」
指差した先に、そぉぉぉーーーーっと、窓の外からこっちを窺う不審人物が、ちらっと現れ、また消え、またちらっと顔を見せていた。
一瞬だからわかりにくいが……あれは……。
「き、騎士団の方を呼んだほうが……」
「大丈夫ですよ」
俺はミリアに行って、外に出る。
ささささ、と逃げようとする背中に声をかけた。
ローブをまといフードを被っているので、たしかに怪しい。
「おい、ロジェ・サンドソング。何か用か」
ぴたっと足を止めて、フードを脱いで振り返る。
さらさら、と朝日を浴びた綺麗な髪がなびいた。
ロジェは、エルフ特有の美しい造形の顔に、笑みを浮かべた。
「何でもない」
「おまえ、嘘下手だろ」
チッとせっかくの美形を歪めて舌打ちをする。
「ワタシは、おまえを認めてなどいない。だが、魔王様……ライリーラ様が、おまえのことを気に入っている。ワタシは、それが納得いかない。さ、昨晩も……仲睦まじい行為をして……声が、その…………」
言いにくそうに、ロジェはもにょっと言葉尻を弱めた。
「……おまえも入りたかったのか?」
「ち、違うわ! ワタシが言っているのは……」
「自分から言うのは恥ずかしいから、本当は誘ってほしかった――と?」
「ち、違うっ!」
「ライラが俺のことを気に入り、仲睦まじい行為をして、それが納得いかないんだろう?」
なんだ、こいつは俺のことが好きなのか?
「そうだ!」
「長命で有名なエルフだ。もうすこし、相手を選んだらどうだ?」
「選ぶ必要なんてない」
「……それなら、おまえも冒険してみるか?」
「話を聞け! このトンチンカン!」
機嫌悪そうにロジェはため息をつく。
名案だと思ったが、気に入らなかったらしい。
「ともかく、ワタシは、おまえがライリーラ様のパートナーに足る人物かどうか、見極めてやろうというのだ」
それで、今朝からずっと俺を、観察もとい監視していたのか。
「好きにしろ。俺のことを見たいなら、中で見るか? 外よりもよく見えるぞ」
「フフフ、今の発言、あとで『あんなこと言うんじゃなかったぁ』と後悔させてやろう」
外にいれば、不審者扱いでみんなが不安がるから、そっちのほうがいいだろう。
中にロジェを連れていくと、注目を浴びた。
「あの職員、エルフを連れてきたぞ……?」
「勇者だけでなく、エルフ族とも繋がりがあるのか」
冒険者だけでなく、職員たちもぽかんとロジェと俺を見ていた。
エルフ族は、王都や、逆にもっと田舎の大きな森が近い地域では見かけるが、何の変哲もない町ではかなり珍しい。
「好きに見学してろ」
「わかった」
俺は自分の席に戻った。
何なんだあのエルフは、という説明を求める視線が多く飛んでくる。
「ミリアさん、さっきの不審者があのエルフだったようで、僕の仕事を見学したいそうです」
「はあ……お知り合いのように見えますけど……」
「はい。ちょっとした縁があって知り合ったんですが、もしかすると、僕に好意を持っているのかも」
「えっ!? ……ええっ!?」
驚いたあと、困惑した顔をするミリア。
確認するように、ちらっとロジェに目をやった。
「今日こそ化けの皮を剥がしてやる……! クックック……」
「――違うと思いますよ!? 好きだったら、その人を見てクックック、なんて笑い方しないですよ!?」
「エルフは、独特ですね」
「ええ、そうですね……いや、それを差し引いても違うと思いますよ!?」
……そうなのか?
他の女のことなら、なんとなく考えていることがわかるが、ロジェに関してはまったくわからない。
「ロランさん、好きなら、気づかないうちに目線で追ってしまったりするもんなんです」
朝からずっと見られてるが……。
今も、じいいいっと俺の仕事ぶりに注目している。
「目が合えば、ドキっとして、思わず目をそらしてしまうもんなんです」
言ったそばからロジェと目が合った。
そっとロジェは目を背ける。
「あの、どうしてそらすんですか? 目で追うものなんですよね」
「それは、ううん、乙女の恋心といいますか、恥ずかしくなっちゃうんです」
テレテレとミリアは解説をしてくれる。
ロジェが手元の紙に書いたそれを、こっちに見せた。
『なぜ見てくる! 仕事しろ』
恥ずかしくなっちゃったのか……?
「素直になれないのも、乙女の繊細な気持ち、といいますか」
ロジェ、おまえ、素直になれないのか。
「だからといって、面倒くさそうにしたり、放置したりはしないでください」
むこうはこちらを見てくる。
だが、目を合えば仕事をしろ、という。
しかしそれは本意ではなく、相手をしてほしいという裏返し……。
何を考えているのか、いよいよわからなくなってきた。
俺の知らないタイプの女だ。
思えば、エルフの相手をしたことはなかったな。
「それが、エルフの特徴、か……」
「いや、エルフというか……乙女というか……むしろ、わたしというか……あはは……」
ちらっちらっ、と俺を見ながら、ミリアは続ける。
「そういう女の子が、そばに……もしそばにいたら、優しくしてあげるといいな、と思いますよ」
やっぱりテレテレしながら言うと、ムフフと変な笑い方をした。
「優しく……」
ロジェの目を気にしつつ、いつも通り仕事をしていき、昼休憩を迎えた。
俺が裏からギルドを出ると、ロジェが立ち塞がるようにやってきた。
「どこへ行くんだ。ライリーラ様からの手作り弁当があるだろう。クックック……貴様、まさか味が酷く食べられないから、とこっそり――」
「俺は、味が酷いとは思ったことはないぞ」
「……そ、そうか……。ワタシは、なんて酷い予想を……」
なぜかロジェはへこんでいた。
「これを、おまえにもやろうと思っただけだ。ほしがっていただろ」
俺は、ライラの弁当を鞄から取りだした。
「わ、ワタシを懐柔しようとでもいうのか……!? クソ、ちょっと嬉しい……。フッフッフ、だが! ライリーラ様が貴様のために作ったものを他人にあげるなど、言語道だ――」
「ライラが俺のために作ってくれたものだ。半分は食うぞ」
「く、抜かりない……!」
食べる場所がないので、応接室を借りることにして、俺とロジェはライラの弁当を二人で分けて食べた。
ロジェは、やっぱりふた口で気絶して半分も食べなかったので、結局俺が全部食べた。
こいつは、食べる食べると言いながら、いつもふた口で気絶する。
むしろ、こっちのほうが失礼なのでは、と俺は思う。
まあ、忠義の示し方はそれぞれだ。
昼休憩が終わると、また外からロジェが俺の観察をはじめた。
「振りむいてほしくて、あえて距離を取った、ということはあるんですか?」
「押してもダメなら、引いてみろ戦法……! 王道ですね……!」
と、ロジェの状況をミリアに解説してもらった。
「でもあれは違うと思いますよ? ていうかそうでないと困ります……!」
木陰からこっちを観察していると、後ろから大柄な男が三人現れた。
ロジェの腕を掴み、何か揉めている。
俺はギルドから出ていった。
「エルフってすっげぇキレーだな」
「肌なんて真っ白だぜぇ……」
「なあ、俺たちにちょっと付き合ってくれよぉ」
好色そうな粘つく笑みを浮かべている三人。
「触るな、下衆。殺すぞ」
その台詞すらもお楽しみの妙薬と言わんばかりに、男たちは嬉しそうな声を上げた。
ロジェが魔法を使おうとしているのがわかる。
俺はロジェと三人組の間に割って入り、そっと言った。
「……魔法はやめろ、目立つ。おまえは面が割れているし、使う魔法はエルフでも珍しい部類だろ」
「だが……」
俺はロジェの腕を掴んだ男の手を捻り上げた。
「あいでででで――」
「この方は、僕の知り合いです。何かご用ですか」
目を剥いた男たちはあとずさりした。
「あ、アルガン職員――――!」
「おい、やべえって。こいつ、舎弟の冒険者が三〇〇〇人いるって話だろ!?」
「に、逃げろ――」
いつの間に舎弟ができたのか。
それが三〇〇〇人も……。
男たちは、ドタバタと逃げ出した。
「――さ、三〇〇〇人、だと……!? 一個連隊並みの戦力だぞ……ッ」
丸ごと信じているエルフがいた。
「おまえは、ただでさえ目立つ。それに、身元が割れれば騒ぎになるぞ」
ロジェはダークエルフとして通っているから大丈夫かもしれないが。
「軽率だったのは認める。…………それと……助かった……ありがとう……」
はっとしたロジェが首を振った。
ちょっと顔が赤い。
「たっ、助けてもらわなくても、自分で何とかできた! 余計な真似をっ」
ぶんぶん、と人差し指を振る。
「わ、ワタシは、まだ貴様のことは認めていないからなっ!」
「構わん」
「ちょっと顔がよくて仕事がデキて! 乙女の危機を察して颯爽と現れて! 一個連隊級の舎弟がいてすごい。――じゃなくて! それだけで好感度が上がってしまった……じゃなくて! ――それだけでライリーラ様の相手に相応しいなどと思うなよっ」
捨て台詞をはいて、ロジェはびゅーん、と逃げ去った。
主従ともども、びゅーん、と逃げるのは流行りなのか。




