試験官講習会へ行く2
俺は自分の席に戻り、サミュエルに言った。
「腰を折って申し訳ありません。続きをどうぞ」
ざわつく会議室で、おーっほん、と大きな咳ばらいをして、サミュエルは講義を再開した。
「ねえ、さっきの、もう一回教えてもらっていい?」
隣の女性職員がこっそりと訊いてきた。
サミュエルの講義よりは、俺に対しての関心が高いらしく、近所で似たような要望をもらった。
講義中にもかかわらず、俺の周囲に二〇人ほどが集まったので、魔法陣と魔力変換効率の理屈についてもう一度説明をした。
「オレ、君のあれ見て、スカっとしたんだ」
「わかる。なんかギルド職員ナメてたもん」
「だよね。あたしも、あの講師が自分の立場を鼻にかけてるの、わかったよ」
イタズラを成功させた仲間たちのように、したり顔でみんなはシシシと笑った。
誰も聞いていない講義を続けることになったサミュエルだったが、さっきまでの態度とはうって変わり、小声で自信なさげな様子だった。
「元冒険者? 魔法使いだったとか?」
「いや、ただの魔法使いなら改良したりなんてしないだろ。それより新しい魔法を覚えると思うね」
「ってことは、王都の研究機関出身とか?」
俺は柔和な笑みを浮かべながら手を振る。
「いえいえ、そんな大した仕事はしてませんよ。あと、まだ講義中なので、聞いておいたほうが……」
とは言ったが、サミュエルは早々に会議室を出ていってしまった。
俺の前だとやりづらかったのかもしれない。
まだ予定した時間を大幅に残しているが。
講義が終わってしまったので、俺の周囲に集まった職員たちが自己紹介をはじめていた。
俺も一応させられた。
なぜ明日になれば別れる相手に、自己紹介をするのか。
内心首をかしげざるを得ない。
「さっき聞こえたけど、あのサミュエルってやつ、貴族のお抱え魔法使いらしい」
短髪の男性職員――ロイが言う。
「どうりで態度がデカイわけだ」
活発そうな女性職員のニナが、不快そうな顔をした、
「自分は貴族じゃないのにね。お抱えってだいたいそうだよね」
と言ったのは、席が隣の女性職員、シーラだ。
「あの、お抱えってなんですか?」
「知らないの? 貴族が個人的に雇っている、私兵に近いのかな? 自分の子供の家庭教師をさせたり、用心棒をさせたり、冒険者憧れの引退コースのひとつだよ」
ニナが教えてくれた。
メイリを奴隷として買ったバルデル卿も、もしかしたらそのお抱えとやらはいたのかもしれない。
「つーことは……もしかすると、ヤバいんじゃないか?」
「何がヤバいんでしょう?」
不思議に思ってロイに訊くと、眉をひそめた。
「貴族にちょっと意見を申し立てした職員がいたんだ。オレの同期なんだけど。そいつ、その貴族の不興を買っちまったみたいで、退職するように圧力かけられたんだ」
俺は……大丈夫だな。
バルデル卿とのあれは取引だったし。
直属の騎士はぶっ飛ばしてしまったが。
「アルガン君、ヤバいんじゃ……?」とニナが言う。
「そうでしょうか。僕は間違ったことはしていないと思いますが。意見があれば挙手を、と言ったのもあの講師ですし」
「「「いやいやいや」」」
三人が首と手を振った。
変なことを言ってしまったらしい。
「そうだけどさ、正しいことを気分次第で捻じ曲げるのが貴族なんだよぉ?」
とシーラは不安げに言う。
そんなとき、大柄な男が一人入ってきた。
ロングソードを腰に差し、筋骨隆々な武芸の徒とでもいうべき男だった。
「この中に、講義を妨害し、サミュエル氏を愚弄したというギルド職員がいるそうだな!」
会議室に響く大声に、みんながしんとした。
甲冑を脱いでいる騎士か何かだろう。
「絶対あれ貴族の護衛か何かのヤツだって……」
「講義をちゃんと聞かないからキレてんの?」
鞘ごとロングソードを抜き、どごん、と体の前に立て手を置いた。
「はい。おそらく僕のことだと思います」
俺が席を立つと、ロイに制服を引っ張られた。
「おいいいいいいいいいいい。誰もアルガン君のこと売ったりしねえのに。普通、そこは黙ってるだろ」
『普通』はこの状況で黙っているものなのか。
迂闊だった。
だが、もう名乗り出てしまった。
「みなさんの迷惑になってしまうので」
「貴様ァ! こっちに来い!」
かなりの迫力だったので、そばにいた職員は縮み上がっていた。
俺は言われた通り、前に出る。
背丈は二メートルはありそうな、見上げるほどの大男だった。
頬や口元に傷跡がいくつもあった。
戦場経験もあり、日常的にかなりの鍛錬をしている……。
傭兵や冒険者の可能性もあるが、先ほどの情報からして、やはりこの大男は、サミュエル講師と同じ貴族に仕える騎士と思っていいだろう。
「所属を言え、所属を!」
「まず、他人ではなく自分から名乗るのが礼儀では?」
「貴様に名乗るような名はない!」
「では、同じセリフをお返しします」
室内が、不穏なざわつき方をした。
「な、何でわざわざ神経を逆なでするようなことを言うんだ……?」
「あの職員、死ぬ気か……!?」
ビキビキ、と大男が青筋を浮かべた。
「騎士なら、義と礼を重んじるものかと思いますが」
「――義と礼を尽くす相手は選ぶ。それだけだ」
安い騎士道もあったものだ。
ヌンッ、という気合いとともに、皮が分厚い拳を放ってくる。
遅いな……。
しかし、このままでは堂々巡りだ。
おそらく、この男は、サミュエル講師の名誉回復が目的なのだろう。
攻撃をかわしてしまっては、この男の留飲は治まらない。
目的としている名誉回復もままならない。
その上、この騒ぎも継続してしまう。
ここまであれこれ考えられるほど、拳速は遅い。
よし、当たろう。
一番合理的で効率がいいのは、それだ。
「ヌァァァアア!」
声だけは立派に張り上げて、俺の顔面へ拳を撃つ。
拳が頬に触れたまさにその瞬間、俺は軽くその場で飛ぶ。
衝撃を逃がすにはこれが一番だ。
おまけに、派手に吹き飛べる。
大男からすれば、気分がいいことこの上ない。
「ヌァァァ!」
首をねじり、拳の威力を殺す。
これで、俺へのダメージはゼロに近くなる。
手を床につき、バク転して受け身をとってもいいが、それでは不満だろう。
だから俺は、受け身をきちんと取って、派手に転んでみせた。
全然痛くない。
「アルガン君、大丈夫!?」
みんなが心配そうにこっちをのぞきこんでくる。
大男の様子を見ていると、一瞬首をかしげるような仕草をした。
手応えがないわりに派手に吹っ飛んだせいだろう。
「フハハハハ。大人しく名乗っていれば、少々の注意ですんだものを! 愚か者め!」
腰に手をやり、大勝利の大男は満足げだった。
一応、痛そうな演技をしておこう。
「……痛い……」
「アルガン君、ほっぺ逆。殴られたほう、そっちじゃない」
「……痛い……」
「言い直した……」
ッ!
この気配は――――!
外からよく知っている強い魔力を感じた。
バリン!
窓ガラスが一斉に割れ、悲鳴があがった。
「な、何――?」
「ガラスが勝手に割れたぞ!?」
濃密な気配。
かなり怒っている。
まずい。
ぬっと、窓の下からアルメリアが姿を現した。
「ロランを……殴った……!」
ひょこっとライラが頭を出す。
隣にいるアルメリアを引っ張っていた。
「見てわかるであろうっ! わざとだ、わざとであるぞ! そんな怒るようなことでは――」
……何であの二人が一緒に……しかもここに……。
まあ、今はそれどころではない。
「……絶対に許さない。ロランを、殴ってぶっ飛ばした……ッ!」
「やめよ。堪え性のない小娘め!」
服を引っ張るライラだったが、「ふぎゃあ!?」と、振り切られた。
アルメリアが中に入ってきた。
「アルメリア殿下……!」
「勇者様だ――」
あの大男はというと、片膝をつき、顔を伏せている。
「アルメリア殿下! お初にお目にかかります、わたくしは――」
「おい! ご挨拶している場合じゃない。逃げろ!」
「はあ? 何をぬかすかと思えば――」
ダダダダダ、と室内を小股で走るアルメリア。
通常の歩幅では小回りが利かないからな。室内だとあれが一番いい。
教えたことを、きちんとまだ実践している。
……いかん。感心している場合じゃなかった。
アルメリアは膝をつく大男の胸倉をつかんで、壁に背中を叩きつけた。
その顔面の横。
ドガアン!
凄まじい形相でアルメリアが壁に拳を突き刺した。
「……って……に。今すぐ……!」
「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
大男はじょわじょわぁあ、と漏らしてしまった。
「謝って。ロランに。今すぐ。……わたし、次はわざと外すとか無理だからッ」
「す……すみませ……、申し訳ございませんでしたぁあああああああああああああ!」
自分で作った水たまりに、大男は頭をつけて謝った。
俺は大男を守るようにして、二人の間に割って入った。
「このままじゃ死ぬぞ。ここは俺に任せて、おまえは行け!」
「た、助か、たしゅかります……」
脂汗も涙も鼻水も、あれこれ出しまくっている大男は、腰が抜けたらしく、這うようにして出ていった。
ロングソード……忘れていったが……まあいいか。




