バディ
例の特別任務を終わらせたあと、俺はアイリス支部長に報告にいった。
ライラとまたソマリール海岸に戻るほんのすこし前のことだ。
今回は多少強引だったとアイリス支部長も自覚しているようで、何度も謝られたし、何度もお礼を言われた。
「お礼と言ってはなんだけど、今日、食事でもどうかしら?」
髪を耳にかけて、ちらりとこっちを見てくる。
「すみません、用事があるので」
「ぐっ……! ま、またこのパターン……ッ」
「あと、別にお礼は不要ですので」
「そ、そんなこと、言わなくても、いいじゃない……」
ライラを待たせている。
今夜は、昨晩迷子になったライラとソマリール海岸で一夜を過ごすことにした。
翌朝、『ゲート』を使い家に帰り、出勤すると、顔を合わせたミリアが声を上げた。
「あー。ロランさん、首、大丈夫ですか?」
「首?」
触ってみるが、何ともない。
「噛まれたような痕が……」
「…………」
「あっ。猫ちゃんですね? わかります、わかります。噛み癖でもあるんですか?」
「……ええ。あの黒猫がなかなか離れてくれなくて」
迂闊。
俺はトイレに入り、鏡を見る。
首にいくつか痣のようなものができていた。
……ミリア、これは噛まれた痕ではなくキスマークと言うんだ。
応急処置用の箱から、絆創膏を出してそこに張っておく。
これで変な勘繰りをされることはないだろう。
アイリス支部長の朝礼が終わり、通常業務がはじまる。
「ミリアさん。ミリアさんには友達はいますか?」
「どうしたんですか、急に」
「いえ……。友達なら……親愛の感情があるわけじゃないですか。それがあれば、その人のために、何かしたい、と思うのは『普通』なんでしょうか?」
ぱちぱち、とミリアが不思議そうにまばたきをする。
「何を当たり前のことを言ってるんですか。当然じゃないですか。普通ですよ、普通」
「そうですか。よかったです」
ランドルフ王とは、昔からああして軽口を叩き合うような仲だ。
アルメリアもエルヴィも、数年前に知り合い、密度の濃い時間を過ごした。
三人とも、友達とはすこし違うかもしれないが、親愛の情がある。
だから、彼らが困っているときに、俺が何かしてあげたいと思うのは、『普通』――。
俺はまた『普通』に近づいてしまったらしいな。
「あ。ロランさーん、冒険者さんですよ?」
俺が悦に浸っていると、ミリアが現実に戻した。
俺は今日、受付業務はなかったはずだ。
ミリアが指したのは、『ロランボックス』と書かれた受付カウンターの端の席。
「……あれ、何ですか」
「ロランさんは、ご指名されることが多いので、もういっそ席を作ってしまおう、という話に昨日なったんです」
俺専用の、受付業務席らしい。
そのむかいには、ニール冒険者の後輩だという、若い冒険者がいた。
顔は覚えている。
俺が席につくと、ビシッと頭を下げた。
「兄貴、今日はよろしくお願いします!」
「いや、そんな挨拶いいんで、席についてください」
失礼シャス! とハキハキ言って椅子に座る。
冒険証を預かり、改めて名前を確認する。
ロジャー・グリーズ、二一歳。現在Dランク。
「今日は、カウンターに足を乗せないんですね」
俺の冗談にロジャー冒険者は苦笑した。
「さすがに、もうやらないスよ」
ロジャー冒険者は、ニール冒険者と組んで各地でクエストをこなしていたという。
ニール冒険者は、イイ歳をしているが、非常に素直で、俺の助言をよく聞き、きちんと実践していた。そのおかげか、実力も自信もつき、現在はBランクになっていた。
「オレにぴったりのクエストをひとつ、お願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
見たところ、今日はニール冒険者はいないようだ。
Dランクでロジャー冒険者のスキルにぴったりのクエスト――。
「これなんてどうでしょう」
クエスト票を取りだし、カウンターにのせる。
「簡単にいえば、コウヴィラ地区の治水事業の工夫です」
「これ、スか……兄貴……」
すこしだけ、苦い顔をするロジャー冒険者。
「あなたのスキル『ドッペルズ』なら、非常にありがたいです」
ロジャー冒険者のスキル『ドッペルズ』は、自身の実体のある分身を複数作り出す、稀有なものだ。
人手がほしいクエストなら大助かりだと思ったが、依然として浮かない顔をしている。
「オレ……そのスキル、今封印してるんスよ……あ、封印っていうのは、使わないって決めてるだけなんスけど」
「……ニール冒険者がいないことと、何か関係が?」
こくん、とロジャー冒険者はうなずいた。
「最初は、スキルが超役に立って嬉しかったんスよ。先輩は得物が弓で、囮役がいれば効率はかなり上がるし。……でも、だんだんと、自分の役回りに納得できなくなってきて……」
最初は、クエストが上手くいくだけで嬉しかった。
その金で、酒を呑み、肉を食い、女を買って、楽しく冒険していたらしい。
だが、ロジャー冒険者の冒険慣れとともに、冒険者としての自我が芽生えはじめたという。
「それで今は、しばらくお互いソロ活動中ってところッス」
解散するパーティやバディではよくある話だ。
「そういうことでしたか。でしたら、もうニール冒険者は関係なく、ロジャーさん、あなた一人で冒険されてはどうですか。そういう時期に入ったのかと思います」
「そう、なんスかね……」
「ソロは不安ですか?」
「そういうわけじゃ、ないんスけど……。今までも何度かありましたし」
ロジャー冒険者はそう言って言葉尻を濁す。
スキルを使わないクエストを紹介してもいいが、それではその場しのぎ。
稀有で優秀なスキルの封印を解こうとはしないだろう。
「あまり、こういうことはしないんですが――」
俺はひと言断り、クエスト票をまとめた紙束をめくる。
「格上のクエストを紹介します」
「えっ、いいんスか?」
「クエストというのは、事後報告でも問題ありません。たとえば、討伐対象と知らずに倒してしまったとき。あとでそのことを知って討伐の証拠を持ってくれば、冒険者ギルドは、それをクエスト達成として処理します」
さっきのクエスト票を引っ込め、別のクエスト票を出した。
「Bランク。ヘルハウンドの討伐です」
「Bランクの討伐クエスト――」
「格上のクエストですと、失敗しても功績には響きません。紹介した職員のミスということになりますので。かなりキツいと思いますが、いかがしましょう?」
「……やります! 兄貴が、オレならできると思ってくれたってことッスよね! 兄貴に、恥かかせるわけにはいかないッスよ……!」
さっきまでのはっきりしない態度とは打って変わり、一気にやる気を出してくれた。
俺は、ヘルハウンド討伐時のアドバイスをいくつかしておいた。
「そうか……そうッスよね……ううん……」
独り言をつぶやくロジャー冒険者。
葛藤しているらしい。
もちろん、スキルなしで勝てる相手ではない。
だが、スキルを使い、パニックにならず落ち着いて対処すれば、まず負けない相手だ。
「格上相手と命のやりとりをするんです。使えるものはすべて使うのがセオリーかと」
「……ウス」
こうして、ロジャー冒険者はBランククエストを受領した。
集中した顔つきで、ギルドをあとにする。
後ろで待っていた女冒険者が、むかいの席に座った。
「あの、今日は、色々と教えてほしいことがあるんです」
「すみません、あとでいいですか」
俺は席を立ち、ギルドの外に出る。
壁際に、ニール冒険者がいた。
さっきから、何度かこっちの様子を窺っているのが、窓の外に見えたのだ。
「兄貴! お仕事、お疲れ様です――!」
「心配なら、そうだと言ってあげればいいのでは?」
挨拶を無視して、俺は単刀直入に言う。
ニール冒険者の気持ちは、なんとなく理解できる。
「僕も……稀有で強いスキルを持っている人を羨んだ経験があります」
やはり図星か。
ニール冒険者が無言でうつむいた。
「ロジャー冒険者のあれは、自身が強くなればなるほど、分身も強くなるものですから、本人の努力次第で、非常に強力なスキルになります」
対して、ロジャー冒険者に慕われているニール冒険者のスキルは『遠視』。
遠くのものがよく見える、という弓使いにはぴったりのスキルだが、『ドッペルズ』に比べれば、ありふれたスキルと言えるだろう。
「あなたの弟分は、もう一人前の冒険者です。もしこの先も組んで冒険をするつもりなら……弟分という扱いではなく、対等に扱ってあげてください」
ロジャー冒険者のあれは『いいように使われている』と感じたからこその愚痴だ。
だが、本音の部分では、ソロではなく、まだニール冒険者とやっていきたい。
だから、悩んでいたのだ。
「兄貴、オレは……もしかすると、あいつに嫉妬してたのかもしれねぇ……ランクも経験もオレのほうが上だからって、あいつの意見は聞かずに……」
「彼は、Bランククエストのヘルハウンド討伐にいきましたよ」
「は? あいつ、Dランクですよ、兄貴」
「倒せると思ったので。……ですが、万が一もあるかもしれませんね」
「っ」
立てかけていた弓を取り、ニール冒険者はロジャー冒険者が去った方角へと走り出す。
俺はその背中に、おおよその位置を教えた。
あのとき。
魔王城で、魔王を討伐する前。
俺が単独で仕掛けたとわかったら、他のみんなは、ああして駆けつけてくれただろうか、とふと思った。
受付に戻り、来ている冒険者にクエストを斡旋したり、冒険者試験を行ったりしていると、閉館の時間になった。
正面の扉に鍵をかけようかというとき、どちゃっと何かが倒れるような音がした。
覗いてみると、ニール冒険者とロジャー冒険者が倒れていた。
ぜえ、はあ、と息を切らせる二人に挨拶をした。
「遅くまでお疲れ様です」
ロジャー冒険者に、ニール冒険者が肩を貸していたらしい。
「兄貴……ヘルハウンド、倒してきたッスよ……! これ……!」
根本がまだ血で赤く、すこし黄ばんだ大きな爪を差し出してきた。
それを俺は、片づけをしている検分役の職員に渡した。
「検分させるので、ちょっと待っててください。……にしても、ずいぶんとボロボロにされましたね。手強かったですか」
「はい……ミスったところを、先輩に助けられて……」
起きるのも難しい二人は、ギルドの石段を背にして座った。
ニール冒険者がロジャー冒険者の肩を笑いながら叩く。
「こんなんじゃ、呑みにも行けねえ」
「ていうか、体がしばらく動きそうにないッスわ……」
検分の職員が、オッケーだと教えてくれた。
「クエスト達成です。おめでとうございます」
「「あざす」」
声が揃った。
「あ~、しんど……」
「マジでヤバかったッスね……」
「でも、生きてる」
「そッスね」
そう言うと、ボロボロの二人は声を上げて笑った。
俺は最後に軽く挨拶をしてから扉を閉める。
積もる話があるんだろう。
地べたに座ったまま、ぽつぽつと話しはじめた。
内容は聞き取れない。
でも、次クエストを受けるときは、二人で来るんだろうな、というのはわかった。




