隣国の王子とお見合い7
ルーベンス王たちがこのソマリール海岸を離れ帰国するとき、ランドルフ王は見送りにも来なかった。
「ロラン、今はどこに暮らしているのだ? ちゃんと食べているのか? おまえのことだ。栄養さえ取れればそれでいい、と言うんだろう。私は、国を離れることが難しい。だから、また――いつか、また――」
それに対し、エルヴィは俺に長い長い別れの挨拶をしていた。
全然エルヴィが追いかけてこないので、部下が大声で名前を呼んでいる。
「おい、エルヴィ、呼ばれているぞ。早くいけ」
「おまえはいつもそうやって素っ気ない……! い、意中のじょ、女性は、い、いるのかっ……?」
「別れ際にする話でもないだろう」
くすくす、とアルメリアが笑う。
「もう、エルヴィったら。手紙でも書けばいいじゃない」
「アルメリア……余裕ぶっているのも今のうちだ」
「な、何よそれ。別にわたし、そんなつもりないもん」
「手紙を書く。ロラン、必ず返事をくれ。三日に一通書く」
「多い。減らせ。こっちに届く前に新しい手紙が発送されることになる」
「~~ばかもんっ!」
顔を赤くしたエルヴィに、どん、と胸を押された。
逃げるように背をむけ、繋いでいた馬にひらりと乗る。
去っていくエルヴィの背中にむかって、アルメリアは手を振った。
「ねえ、ロラン、今どこに住んでるの?」
「どこでもいいだろ」
「あのギルドの近く?」
「どこでもいいだろ」
そうだ。
ライラはまだ寝ているのか?
一応『ゲート』を設置しておいた。
だから、魔力を使えばまたすぐに来ることができる。
「仕事は順調?」「だいたいどうしてギルド職員なんてしてるの?」「わたし、まだ冒険者なっちゃダメなの?」「いつになったらいいの?」「もうこのまま護衛になっちゃえば?」
連射される質問を、俺はため息ひとつで答えた。
「よくしゃべる女だな。帰る準備をしろ。もうすぐここを発つだろう」
ぷう、とアルメリアが膨れた。
「何よ、それっ! ちょっとはプライベートなこと教えてくれたっていいじゃないっ!」
「小娘よ、この男に正攻法など効くはずもないだろう」
ライラがいつの間にか起き出して、俺とアルメリアの間にいた。
わあああ、とアルメリアが目を輝かせた。
「しゃ、しゃべってるぅぅ! 猫ちゃん、しゃべってりゅうう! どこから来たんでちゅかー」
「う……。こやつ、動物に話しかけると口調が変わるタイプか。気持ちはわかるが、実際やられると気分のよいものではないな……」
「何、ロランの知り合い??」
「……まあ、そんなところだ」
これがあの魔王だなんて思いもよらないだろう。
「よいか、小娘。よい女とは、節操なく男を追うものではない。むしろ追わせるようにするのがよい女ぞ」
「猫ちゃん……いや、師匠……!」
「うむ。師匠と呼ぶがよい」
この二人が勇者と魔王なのだから、平和になったものだと思う。
「正攻法でダメなら、どうすればいいんでしょう……?」
「押してもダメなら引いてみるのだ」
「なるほど……!」
ライラの恋愛講座に、アルメリアは興味津々に聞いている。
人に教えられるほど経験してないだろ。
「し、師匠は、え、えっちなことをした経験は…………?」
「ふふん」
「っっっ!? その! 反応はっ!? く、詳しく……何がどうなるのか、詳しく……!」
「待て待て、焦るな、処女め」
ミリアのときもそうだったが、ライラは処女か否かでマウントを取るのが好きらしい。
黒猫師匠のちょっとエッチな恋愛講座を聞いていられなくなり、俺は別荘のほうへ戻った。
「今回は、私の我がままを聞いてくれて感謝している。改めて礼を言わせてくれ」
ランドルフ王と部屋に二人きりになると、頭を下げられた。
「仕事だ。ギルドを通して、ギルド職員の俺を指名した。だからこれは、私的なことではない仕事だと俺は認識している」
テーブルの上には、口の広いグラスがふたつ。
中には、大きな氷がふたつと、琥珀色の高価そうな蒸留酒が入っている。
それらは、ランドルフ王が自らが用意してくれた。
使用人やメイドにそれをさせなかったのは、気持ちの表れなんだろう。
「……そうは言うが、おまえが目指している『普通の暮らし』とやらを邪魔してしまった」
「――とは口で言うが、実際は?」
「アルメリアの見合いが破談になりハッピー!」
思わず表情が崩れてしまう。
「いや、冗談だ。いやいや本音なのだが、おまえに迷惑をかけて申し訳なく思う気持ちも本当だ」
「わかった。もういい。そもそも、ルーベンス王がいるというのが、俺もすこし心配だった」
俺が暗殺の仕事を請け負ったときは、目的のためなら手段を選ばない、という印象だった。
その通りの事態になったわけだが、来てよかったと思っている。
「アルメリアも、難儀な男を好いたものだ」
グラスを掴み、中の氷を手首だけでカラリンと回す。
「おまえほどの男が、わからぬわけがないだろう。ひと晩でレイノーラ嬢をオトし、あれこれ訊き出したおまえが、女の感情の機微に疎いはずがない」
難儀ではあるが、これ以上ない男でもあるがな、とランドルフ王は苦笑しながら、グラスを傾けた。
「その『普通』とやらは、もう十分なのではないか?」
「何が言いたい」
「おまえが、先日私的な依頼を借りとしたように、魔王討伐の報酬を支払うのは、フェリンド王国の王だ」
俺はランドルフ王の続きを待った。
「アルメリアの父として、おまえのいち友人として、個人的な願いだ。我が娘の相手がおまえなら、私は何も文句はない」
友人……。
そうか、俺とランドルフ王は、友人なのか。
「ランドルフ王……すまない」
「そうかぁ……」
深いため息をついて、ランドルフ王は、ぐいっとグラスを呷った。
「アルメリアとロランがくっつき、子が生まれるのが一番なのだがなぁ……今は姫しかおらぬからなぁ……孫がいればなぁ……」
ちらちら、こっちを見てくるランドルフ王。
「孫の顔が見たいものだ……」
「ふふ。くどいぞ」
「まあよい。世継ぎは、私が頑張って作るとしよう」
おどけたように言うので、俺は懐から金を出した。
全部で一〇万リン。
「ランドルフ王の現役は、おそらく五七で終わる」
「おい、私をあまりナメるな、ロラン。その予想だとあと一五年ほどか。……いや、だが、ロランに言われるとそんな気がしてくる……。が! 私の予想は六五」
ランドルフ王も一〇万リンをテーブルの上に乗せる。
「より近いほうが勝ちだ」
「いいだろう」
ニッと笑った俺たちは酒を同時に呑み干した。
「しかし、自分の現役が終わる予想をするのは、どんな気分だ?」
「やかましいわ。おまえがさせたのだろう」
ランドルフ王は、男の使用人を呼び、賭けのことをきちんとメモさせた。
「しかし陛下、これでは陛下が現役だと言い張れば、年齢を引き延ばせるのでは?」
「ぐ、おまえ、それは言うな! ロランを出し抜こうとしたのに……!」
俺は人差し指を立てた。
「最後のセックスから一か月だ。それ以上空けば不能とみなす。自慰はカウントしない」
「ロラン、おまえ、厳しいな……!」
「かしこまりました。では、そのように」
こうして、賭けは成立した。
時間になり、俺たちはリゾート地のソマリール海岸をあとにし、フェリンド王国へと帰った。
ランドルフ王たちと別れてから、すぐに『ゲート』を使い、ライラと一緒にソマリール海岸に戻った。
海岸線を散歩する。
ライラがするりと手を絡めてきた。
「アルメリア……あれが勇者か」
「ああ。どうだった?」
んん、とライラは難しい顔をすると、
「なんというか……まっすぐでよい娘だと思った。あと……戦わなくてよかった、とも思ったぞ」
「それはよかった」
「師匠と呼ばれるのも悪い気はせぬが……トモダチになりたいとも、思った」
ずいぶんとライラはアルメリアを気に入ったらしい。
「不思議なことがある。今回の件、どうして断らなかった? そなたは、アルメリアや、国王とはなるべく距離を置こうとしていたと思うが」
俺もそれは考えていた。
アイリス支部長の立場からすると、引き受けてほしかったのだろう。
だが、依頼した本人は、どちらでもいい、と言っていた。
それを俺は、深く考えることなく、あっさりと引き受けてしまった。
「あの親子――俺が親しいと感じる二人が、おそらく難しい局面に立たされるだろう、と予想がついた。そして、俺ならその難局を打開できると思った。……仕事というのは、自分自身への建前だったのかもしれない。俺は、親しい男の力になってやりたかった。親しい、それこそ弟子のような娘を助けてやりたかった。それだけだ」
アルメリアにも、ランドルフ王にもこんなことは言えない。
「そなたにも、トモダチというやつがおるのだな? それは、よいことだ」
うんうん、とライラは上機嫌にうなずいた。
「ミリアに聞いたぞ? 『普通』はトモダチというのがおるらしい。今の話を聞いてわかった。そなたは、トモダチのために今回の仕事を受けたのだな。何を悩んでいるのか知らぬが、それは『普通』なことだと、妾は思うぞ?」
「悩んでいる? 俺が?」
「うむ。なんとなくそうだと思った」
自覚はなかった。
『普通』である限りは、王や王女と関わるのはおかしいと思っていた。
だが、力になりたいとも思った。
俺は、その理屈と感情の板挟みで悩んでいたらしい。
「自分のことがわからぬとは、貴様殿もまだまだよな」
くふふ、とライラは隣で笑った。
日が暮れたので、帰ろうとすると、ライラが渋りはじめた。
「……貴様殿、昨晩はお楽しみだったようだな」
「ああ。別に楽しくはなかったが」
「そういうことを言っているのではないっ! ベッドだ、ベッド! 知らぬ、メスの、においが、した!!!!!」
ふん、と荒く鼻息を吐き出した。
「妾は魔王。器の大きさでは他の追随を許さぬ。そなたがどこで種をまこうが、構わぬ。そなたほどの男、女子が放っておかぬからな。……だからその……何が言いたいか、わかるか?」
「……?」
こっちをちらっと見ると、ちょん、とライラは俺の指先を握った。
静かな波の音が聞こえる中、小声でぼそりといった。
「………………まだ…………帰りたく、ない……」
薄暗くてもよくわかるほど、ライラは頬と耳を赤くしていた。
俺がわかった、と言うと、くるりと反転し、胸に抱きついてきた。
今回で「隣国の王子とお見合い」編はおしまいです。




