隣国の王子とお見合い4
朝の砂浜でライラはしくしく泣いていた。
一晩一緒にいたレイノーラを送ったあと、海岸で見つけた。
「はしゃぎ、我を忘れ、貴様殿がどこにいるのかもわからなくなり……ここで、待っておった……」
海だ砂浜だの、と騒いでいたライラは、どうやら、俺がどこにいるのかわからず一晩彷徨っていたらしい。
「そうか。別荘がある。そこへ帰るぞ」
「それだけ……!?」
自業自得と言えなくもないが、気になることがあったので俺もライラのことは後回しにしていた。
別荘の部屋までライラを連れていった。
「妾は、寝る!」
ぼふん、とライラはベッドに入ってすぐ、寝息を立てはじめた。
首輪を触り、黒猫の姿にしておく。
「…………そろそろか」
陽の高さを確認する。
王女と王子が二人でデートする時間だ。
小耳に挟んだことが、本当なら……。
こちらも準備しておく必要がありそうだ。
◆ファビアン◆
ルーベンス神王国のファビアン王子は、鼻から小さくため息をついた。
隣にいるアルメリアが、昨日に続きブスっとしているからだ。
昨晩と同じで愛想は全然ないし、「そうですね」か「あはは」しか言わない。
朝とも昼とも言えないような時間に、爽やかに散歩をしているが、二人の間に会話はなく昨日にも増して空気が重い。
「休憩をしよう」
「そうですね」
ファビアンのすすめで、砂浜が見えるカフェにやってくる。
注文をすると、よく知った店員がパインジュースをふたつ運んできた。
「ここのパインジュースは、一級品の新鮮な物を絞って作ってるからすごく美味しいんだよ」
「そうですか」
相変わらず声に抑揚がなく、無関心もいいところだった。
……だが、冷めたこの態度も、もうすぐ変わる。
今回の見合いは非常に不本意なもので、そんなつもりはさっぱりないというのが、態度でよくわかる。
まったく無関心で、歯牙にもかけない自分への態度が、手の平を返すようにコロリと変われば、どれだけ愉快だろう。
思えば、女には何不自由しなかったが、この女だけは違う。
自分の相手をすることを嫌がり、王女だから、とか国のためという体裁を保つために、今ここにいる。
そんな彼女を思い通りにできたら、と考えるだけで暗い欲望が満たされていく。
「…………なんですか?」
「ううん。君が綺麗だから、つい見惚れちゃって」
「はあ。そうですか」
まるでゴミを見るようなひどい目だった。
だが、ファビアンはそれが嬉しかった。
この目をするアルメリアが、もし何でも言うことを聞くようになれば――。
そう考えるだけで、胸がすっとする。
アルメリアがストローをくわえて、ちゆ、と飲んでいく。
その薄い唇をめちゃくちゃに汚してやりたいと、思わずにはいられなかった。
自分がほしくても手に入らない女……そういう意味では、アルメリアはファビアンにとってはじめての女だった。
「どうだい? 美味しいだろう」
「ええ……まあ、それなりに」
ファビアンもストローをくわえてジュースを飲む。
甘さと酸味が口の中に広がる。
思わず、愉悦のため息がこぼれた。
キイ
どこからか、変な鳴き声が聞こえた。
「魔物――?」
そんな気配は感じなかったが、あちこち見回していると、てってこ、てってこ、と去っていく黒い小人のような何かが見えた。
「……?」
波の音を聞きながら、二人は無言でジュースを飲んでいく。
しばらくして、アルメリアの手が止まった。
じっと瞳を見つめていると、聞いていた通り、すっと目の光が陰った。
ファビアンは、思わずほくそ笑んだ。
即効性、持続性、ともに抜群という話だ。
「……アルメリア王女殿下」
「はい、何でしょう」
先ほどとはまるで違う、恋しい人を前にしたかのような反応だった。
無関心を貫いていたアルメリアのその反応に、胸が震えた。
「僕は、あなたのことを愛しています」
「えっ……そんな、いきなり……」
ああ、好ましい。実に好ましく恥じらう。
「僕と結婚し、ルーベンス神王国の王妃となってほしい」
「……ファビアン様……」
小声でアルメリアは、「はい」とはにかみながら返事をした。
「すぐあとに、両家揃っての昼食会がある。そのときに、僕たちのことを父上たちにご報告しよう」
「はい。それがいいと思います」
「そのときに、その証拠として誓いのキスも、ね」
当然そのときに誓約書に近い婚姻書も書かせるが。
「……もう、恥ずかしい……。ですが、証拠というのであれば……わかりました」
照れたあと、可憐な笑みを浮かべてアルメリアはうなずいた。
今夜、こっそり二人で密会しようと約束を取りつけた。
そのときに、勇者で、王女で、自分に無関心だったこの女を、思い通りにめちゃめちゃにしてやる……。
そのあと、彼女を別荘に送り届け、ファビアンは父にそのことを報告した。
「父上、手筈通りに」
「そうか、上手くいったか。フフフ、これで、実質フェリンド王国もじきに我らルーベンス王家の手中となるな」
「昼食会が、楽しみです」
「で、あるな」
はっはっは、とルーベンス王は笑い声を室内に響かせた。
昼食会は、ルーベンス王族側の別荘で執り行われた。
初日の晩餐と違い、側近の数人も交えての非常にフランクな会食だった。
だが、王族と一緒に食事をするわけではないので、テーブルの上には四人分の料理が並んでいる。
一流の料理人が作る、一流の料理の数々。
ルーベンス側は、ルーベンス王、ファビアン王子、護衛であり仲介役をしたエルヴィ、あとはファビアン付きの美女二人がいる。
フェリンド側は、国王とアルメリア、護衛を任されたというギルド職員、あとは騎士らしき男が二人がいた。
全員が揃うと、ファビアンは立ち上がった。
「食事の前に、僕たちのことを皆さんに報告をしたいと思います」
ちらりと、アルメリアを見ると、うつむいている。
いざとなると恥ずかしいのだろう。
「僕は、アルメリア王女殿下に求婚をし、アルメリア王女殿下は、イエス、と返事をしてくれました」
場がどよめいた。
「あ、アルメリア!? ほ、本当なのか!?」
面食らったランドルフ王が慌てている。
「アルメリア、そ、そうなのか――!?」
仲のいいエルヴィも、眼球がこぼれんばかりに目を剥いている。
「皆様、静粛に。すこしばかり早いですが、この昼食会は、婚約記念パーティになりそうです」
ファビアンは言うと、アルメリアのそばまで行く。
「誓いのキスを」
え――っ? と、展開の速さに周囲がついていけず、どよめく。
だが、もうアルメリアは承知の上だ。
「それ以上近寄らないで」
「え? なんで――?」
アルメリアの細い肩を抱きしめて、ファビアンが唇を突き出した瞬間だった。
バゴォォォオオオオンッ!
アルメリアは、ファビアンにビンタをした。
ビンタというには、凄まじい音が鳴った。
頬をぶたれたファビアンは、吹き飛び、テーブルの上にある料理を巻き込んで床に倒れた。
一張羅はいつの間にか一流料理で彩られていた。
「キス? はあ? 結婚? はあ? ……するわけないでしょ。キモっ」
アルメリアは、無関心どころか、蔑み、下に見てくる、冷たい目をしていた。
「え――え……え、なんで……!? 何がどうなって……!?」
元に戻っている――――!
持続性は抜群なはず!
数か月……いや半年は持つとさえ言われた媚薬だ!
誰だ。
誰が何をした――!?
みんなが呆気に取られたり混乱している中、一人冷静に部屋の隅で事態を見守っている男がいた。
護衛のギルド職員だ。
ファビアンと目が合うと、フッと嘲笑にも似た笑みを浮かべた。
あ、あいつかぁぁぁ――――ッッッッ!!




