魔王として6
思わぬドジを発揮したライラだったが、俺は息をひとつついた。
「大事がなくてよかった」
「実は、二日前の夕食がそれだ」
「そうか。俺は何ともない」
「……不可解なことがある。同じ物を食べたはずの貴様殿は何ともない……魔族だけが腹を壊す食べ物を妾は作ってしまったのか――?」
「いや、そうではないだろう。俺は、多少の毒は効かない。そういうふうに訓練している。それだけだ」
「なるほど! そうか。それはよかった」
あははは、と笑ったあと、ふと真顔になったライラが、今度は震えはじめた。
「……誰の料理が毒か……!」
「栄養は十分のはずだ。だから文句はないが、僥倖だったな。訓練をした俺でなければ死んでいたかもしれん」
ミリアやアイリス支部長が遊びにきたときの料理でなくてよかった。
本気のパンチを腹に受けた。
「いだっ!?」
ライラが拳を痛めた。
「嫌われるかも、と心配したのはこのことか」
無言でライラはうなずいた。
「……妾も、完全完璧というわけではない……今後も、料理は思わぬ失敗をするであろう」
俺は、ライラがあれこれ、料理を試行錯誤しているのを知っている。
食材を買いに町に出たとき、どうそれを調理するのか、市場で訊いているのも知っている。
たぶん俺に知られてないだろう、と思っているだろうが、料理メモを作っていることも知っている。
残念ながら成果にはまだ繋がっていないが。
暇つぶしだとはじめのころは言っていたが、最近よく料理の感想を求めるようになった。
だから、それらの努力は全部……。
「心配は要らない。俺は、そういう体だ。作りたければ、今後も作るといい」
「うむ……」
表情がそうだと言っていた。
顔を近づけ、唇を触れ合わせる。
もっと、とせがむように、ライラは俺の首に腕を回した。
「な……何……」
出入口の隙間から、ロジェがこっちを覗いていた。
瞳に生気はないが、奥歯をガタガタと鳴らしていた。
「魔王様の手料理を、あのニンゲンは毒だと……しかも抱き合って本気のキスを……なぜだどうしてだ。魔界の薔薇とまで言われ、カリスマ性に溢れ美貌とその才覚で魔王軍を統率した最強の魔王様が? ありえない、ありえない、ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない」
ブツブツブツ、とロジェはずっと何かを言い続けている。
「あのニンゲンを殺しワタシも死ぬ……」
ロジェが死んでは部下想いのライラが悲しむが、俺は殺せないだろうから大丈夫だ。
どこかに消えたと思ったら、キィ、と扉を開けて、ロジェが入ってくる。
刃が欠けた薄汚れた手斧を持っていた。
「貴様が可憐な魔王様の手料理を毒だと言うからだ……魔王様の唇は何味だ……ニンゲン……」
「ろ、ロジェ、やめよ」
「魔王様、止めないでください。この男が、汚らわしい唇で魔王様の麗しい唇を」
「ど、ど、どちらかというと……妾のほうだ!」
うん。そうだな。
何がですか、とロジェが足を止めた。
ぱっとライラは両手で顔を覆う。
「いつも欲しがるまま求めてしまうのは、妾のほうだっ。いつもケダモノのように……な、何を言わせるかっ。と、ともかく、やめよっ」
うんうん、と俺は回想しながら言う。
「覚えたてのライラの欲求は、それはそれはすごかったからな」
「い、言うなっ、言うでないっ」
「性欲も『魔王』だったわけだ」
「言うなと言っているであろう! 部下の前でそなたは! 立つ瀬がなかろう!」
ぽこぽこ、とライラは俺を叩いてくる。
カラン、と手斧を落としたロジェが、ぐああああ、と目を押さえて数歩あとずさった。
「幸せオーラが染みる――目が、目がぁああ……!」
そんなとき、軍医が戻ってきた。
自分はここで人間界にしかない薬草などを採取したり創薬をしたりしているから、いつでも来い、とも言われた。
独自に作ったという胃腸薬をもらった。
「しかし、魔王様に大事がなくてよかった。だからワタシがお連れする際、お腹を気にされていたのですね」
「えっ!? う、うむ。……そ、そうであるぞ!」
「ですが……もう、魔王様は……オンナになってしまい…………魔王様どうしてぇ……」
ロジェは両手を床について泣いている。
さっきまでは、目があああ、と騒いでいたのに忙しいやつだった。
悲嘆にくれるロジェを医務室に残し、俺はライラと部屋をあとにする。
「そなたも妾の体のことが心配であったか。そうか、そうか……」
にこにこしたり、ニヤニヤしたり、むふふ、と笑ったり、百面相を見せていた。
軍医は、定期的に魔界へ戻るそうだが、基本的にはこの孤島で創薬活動に勤しむらしい。
兵舎の入口に『ゲート』を設置し、ドラゴンことデラクレスを倒した場所までパスを通した。
それから家まで戻り、改めて『ゲート』を設置し、孤島とを繋いでおいた。
「これで、いつでも軍医のところへ行けるぞ。何かあったときはすぐに言ってくれ」
魔力ゼロのライラだけではジャンプできないからな。
「ありがとう。助かる」
仕事を一日無断で休んでしまった。
あとでアイリス支部長に謝りに行くとしよう。
「…………軍医の診断は、妾の予想とは全然違ったのだが……」
「? ああ」
ライラは、もじもじ、そわそわ、と落ち着きがない。
自分から切り出しておいて、続きを言わない。
「おまえの自己診断では、何だったんだ?」
「も、もしもの話で……今後の可能性の話をするが…………」
急かさずに、俺はライラの言葉を待った。
「…………は…………孕んだら……そなたはどうする……?」
「は?」
不意を討たれ、思わず声が出た。
「だ、だから…………妾が、身ごもったらの話である…………そなたは、どう、思う……?」
「孕んだら? 身ごもる? 俺の子を、か」
素早く反応するライラは、ふんふん、と何度もうなずいた。
俺に抱きつき、離れようとしない。
「……わっ、妾は……そなたとしか……経験がない……」
そうだな、と俺は返した。
俺はぼんやりと、ミリアの家族を思い出していた。
あれが俺の目指す『普通の家族』だ。
ミリアの父親は当然だが、ミリアを育てた。母親はミリアを生み、育てた。
子を作り育てるというのが『普通の営み』というべきなんだろう。
となれば、『普通』を目指し続けていれば、いずれ通るべき道。
性交渉はかなりの頻度だし、すこし驚いたが、遅いか早いかの話なのだろう。
「世間でいう『普通』と俺が考えるそれとでは、まだまだ開きがあると思うが……そのときが来たら、俺とおまえで『普通』を目指し協力していこう」
ふんふん、とライラはまた何度も素早くうなずいた。
ロジェが、連れていくときに腹を気にしていたと言っていたが、そのせいか。
ライラは腹痛による発熱や体のダルさを、子を孕んだと勘違いしたらしい。
ライラを見て、浮かぶ気持ちがある。
『温かい』と似ているが、それとはすこし違う。
また明日、ミリアにでも訊いてみよう。
「ライラ、逆に訊くが、おまえはどう思う?」
ほんのりと頬を赤くして、ライラはぽつぽつと言った。
「……もしそうなら、とベッドの中で考えていたが……妾は……嬉しかった……そなたとの子が、この身に宿っているのであればと考えると、よくわからないが、涙が出た……」
目元を赤くしているライラは、瞳に涙を滲ませていた。
華奢な体を抱きしめる。
髪の毛のいい香りがした。
ライラが俺の首に腕を回し、長い長いキスをした。
視界にあった『ゲート』が光り、ロジェが部下の一人とやってきた。
部下にジャンプを使わせたらしい。
「魔王様ぁ♪ このワタシを置いてどこへ…………行こうと…………いうのですか………………」
すっと目から生気が失せていった。
「また……貴様か……そうやって汚らわしい唇で、魔王様の麗しの唇を塞いで……」
ふぎゃあ!? とライラが猫のような悲鳴を上げて俺から離れた。
「お、おほん……。ロジェ、おまえは魔界には帰らぬのか?」
「帰りますが、ときどき様子を見に参ります!」
元気を取り戻したロジェとは対照的に、ライラはすごく迷惑そうだった。
「魔王様のお料理は、僭越ながら、このロジェ・サンドソングも試食したく存じます!」
目がやる気に満ち溢れていた。
「そ、そうか! そう言ってくれるか、ロジェ……!」
「魔王様……!」
主従の素晴らしい関係だった。
死なないといいが。
「顔を見せに来るのは構わないが、ダークエルフは魔族以上に目立つぞ?」
「ダークエルフ……? ふふ、あはははは、そうであったな、ロジェはダークエルフであったな」
「何がおかしい?」
「ロジェ、その恰好のほうが、ここでは不都合だそうだ。やめよ」
「は」
すると、ロジェの髪色から瞳の色、肌の色、それぞれが違う色になった。
色違いのロジェとでも言おうか。
髪色は鮮やかな緑色で、瞳ははちみつ色、肌は真っ白。
これは……。
「普通のエルフだな」
「うむ。であるぞ。ロジェは変わったやつでな。普通のエルフでは魔王軍内でナメられるから、とわざと髪色やら肌の色を魔力で変えて、ダークエルフとして振る舞っておったのだ」
「そういうことだ。ワタシもたまに顔を見せ、魔王様のお世話をさせてもらう」
「好きにしろ」
「ロジェ、妾はもう魔王ではない。呼び方を改めよ」
「は。では僭越ながら、ライリーラ様、と」
「うむ。構わぬ」
こうして、俺とライラは、元の日常を取り戻したのだった。
――余談ではあるが、その後、ロジェはライラの手料理を食って死にかけていた。
様子を見ていたが、何度も意識を失くしそうになっていた。
「無理をするな」
「ぬかせ……! これが我が忠義の証だ……!」
カッコをつけた台詞を吐いたあと、安らかな顔で気絶した。
食事をはじめ、ふた口めの出来事だった。
一章完結です。
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