魔王として1
「具合はどうだ?」
ここ二日、ライラの体調が優れないらしく、ベッドで過ごすことが多くなっていた。
「気分がよくない」
と言ってライラは毛布の中に潜る。
ニンゲンの医者に診せて、原因はわかるものなんだろうか。
「食事は適当に作っておく。気がむいたら食べるといい」
反応がないので、俺が部屋から出ていこうとすると、毛布の中から手が伸びて、俺の手を掴んだ。
「貴様殿よ……」
「どうした? ほしい物でもあるのか?」
「いや……そうではないが……」
「?」
風邪……というやつか。
病気をすれば心細くなる、と噂で聞いた。
「寂しいのか」
「違う、そうではない……いや、それも……ちょっとだけある……」
毛布の中からすこしだけ顔を出したライラ。
その赤い髪を撫でる。
「口づけをしてほしい」
「了解した」
ライラが唇をちょん、と突き出した。
そこに何度かキスをする。
「言いたいことがもしあるのなら、また仕事から帰ってから聞こう」
そう言って、俺は職場へむかった。
つつながなく仕事を終え、夕暮れの中、ミリアと一緒に帰路を歩いていた。
「妾さんでも、病気することあるんですねー。早くよくなるように、わたしが、精のつくご飯作ってあげます!」
「ありがとうございます。助かります。普通の食事なら僕でも多少できるのですが、病人食となるとすこし疎くて」
「いえいえ! お役に立ててうれしいです。それに、わたしも妾さんが病気なのは心配ですし」
やる気満々のミリアとともに帰宅した。
……?
おかしい。
「妾さーん? ご飯作りに来ましたよー?」
ライラが寝ているであろう寝室をミリアが空ける。
ライラの気配を感じない。
「あれ? 妾さん、いないです」
猫の姿にはしていない。
ギルドでも姿は見ていない。
町をうろつくにしても、俺とミリアはさっきまでそこで買い物をしていた。
そうであれば、気配でわかるはず――。
乱れたベッドと毛布を触る。
まだすこし温かい。
何かあったとしたら、それほど時間は経っていない。
「すみません。ライラを捜しますので、ミリアさん、今日は申し訳ないんですが……」
「あ、でしたらわたし、作り置きしておきます! 温めればすぐ食べられるものを」
「ありがとうございます。いつ戻るかわからないので、待っておかなくても大丈夫ですよ」
「……そうですか。わかりました!」
俺は家を飛び出した。
……ライラがいなくなる理由があるとすれば、魔王軍の誰かに、生存を悟られたか――?
人間側なら、その場ですぐに殺されているだろうし。
『魔王』の気配がしない。
ということは、首輪は健在だ。
『何か』ではなく、『魔王軍の関係者』と見当をつけていれば、気配を探ることに苦労はしない。
――――、人間じゃない気配の痕跡を見つけた。
魔力の鱗粉がかすかに周囲に散っている。
それを頼りに俺はあとを追った。
鱗粉は、南のほうへと続いている。
南は、メイリのバーデンハーク公国の他に、ヨルヴェンセン王国があった。
いずれも、魔王軍に滅ぼされた二国だ。
とくに旧ヨルヴェンセン王国領では、まだ残党がすくなからずいる、という話も聞く。
ライラは、残党の誰かに存在を知られ、任意か無理やりか、ともかく一緒に移動している……と考えるのが自然だろう。
林の中に入った途端、魔力の鱗粉が途絶えた。
「……」
魔法能力ゼロのライラを連れた誰かが、俺との鬼ごっこに勝てるとは思えない。
逃げきれないと悟り、身を潜めたらしい。
……となると、この付近にいるな?
土の気配、草の気配、樹木の気配、風の気配……そして、何かの気配。
人間は、微量ではあるが、魔力を持っている。
だが、ライラの首輪は、それすら許さず完全にシャットアウトしている。
だから、逆に近くにいるとわかりやすいのだ。
「おい、魔王を連れ去った者! いるんだろう。出てこい」
茂みから、女のダークエルフが現れた。
月明りのような銀髪に、蛇を連想させる白い目。浅黒い肌。
俺が頼りにした魔力の残滓を、わずかに体から滲ませている。
「何が追いかけてきたのか、と警戒してみれば、ただのニンゲンか」
「なんだ。ただのダークエルフか」
ダークエルフが俺を鋭く睨んだ。
一般的なエルフ族よりも力が強い、エルフの亜種だ。
それゆえに同族からも迫害された、という歴史を持つが……まあ、それは今どうでもいい。
「ライラ……ライリーラは無事だろうな」
「ニンゲン風情が魔王陛下の御名を口にするなッ!」
魔王軍も一枚岩ではなかった。
魔王の足下をすくおうという連中が連れ去った可能性もあったが、安心した。ずいぶん忠誠心の高い部下らしい。
「ライラを返してほしい。それとも、これは彼女の意思か?」
「誰に口を利いている、ニンゲン。ワタシはおまえと会話をする気はない」
「もう一度言う。ライラを返してほしい。俺の要求はそれだけだ。もし、これが彼女の意思であるなら、理由を知りたい」
「だから……! 何様のつもりだ、おまえは!」
撃破報告のないダークエルフで魔王軍所属の忠臣……となると、この女は――。
魔王軍近衛師団、第一魔法連隊長のロジェ・サンドソングか。
瞬殺してライラを連れ帰ってもいいが、事情を訊かなければ、別の仲間が同じことを繰り返すかもしれない。
しかしライラは、自分が作った偽の死体は完璧だと言っていたが、見破られたのか?
それとも、ただ単に魔族の女がいるという噂を聞きつけ、やってきたのか?
「ワタシは先を急いでいる。おまえを殺し、魔王陛下を連れ帰る」
周囲を飛んでいた魔力の残滓がはじけ、湯気のように魔力が溢れはじめた。
俺はそれを腕組みをしたまま見ていた。
「魔王陛下をこれまで匿ってくれたことだけは、礼を言おう」
「どういたしまして」
暗がりで見えなくても、ロジェが青筋を浮かべたのがわかった。
人間に対等な態度を取られるのは我慢ならないらしい。
「ニンゲンごときが偉そうに……! 殺す!」
幹部の一人に数えられるロジェ・サンドソング。
さすがに魔法能力は高かった。
暗がりを利用した攻撃魔法を瞬時に放つ。
『シャドウエッジ』と呼ばれる闇属性攻撃魔法だ。
それを皮一枚のところでかわす。
切断された背後の大木が物音とともに倒れる。
ロジェは次々に同じ攻撃を放ってきた。
「一度かわしたからって――!」
俺が回避に手いっぱいになっている間、どんどん間合いを詰めてくる。
この女のやっかいなところは、最強の後衛であり、優秀な前衛でもあるという点だ。
発現させた攻撃魔法『シャドウエッジ』を両手に構えた。
一方は短く、一方は長い。
暗がりでの戦闘をよく心得ている。
刀身がまるで見えない。
「その首、叩き落としてくれるッ!」
「背後がお留守だぞ」
「フン。古典的な手だな。ワタシの背後には何もないクセに! ニンゲンらしい姑息な手だ」
キイキイ、と鳴き声を上げた黒く小さな影が、ロジェの背後で二体ジャンプする。
「キイッ!」
ドゴンッ!
黒子が二体同時に、ロジェの後頭部を思いきり蹴った。
「ぐあっ!? なんだ!? ……『シャドウ』だと……!?」
「ああ、俺の可愛い『シャドウ』だ」
「いつの間に……! 位階四等の群魔法をどうしてニンゲンのおまえが――!」
「ライラに教わった」
「……なんだと……!? ワタシでも会得できなかったのに――」
「人間の俺以下だな」
「おのれ……! 殺す!」
さらに『シャドウ』を作り、全部で一二体を生み出した。
「多い……! 六体が限界のはずなのに――」
「そうなのか?」
ブン、ヴヴヴ、ヴゥゥン、とロジェは俺の黒子戦隊に『シャドウエッジ』を振り回す。
ひょい、ぴょん、くるりん。くるりん。ごろん。ごろごろ。
まるで当たる気配がない。
「しかもなんだ、この滑らかな、まるで生きているかのような動きは――!?」
「自動で動いているわけではない。俺が全部操作をしている」
「ふざけるな! この数だぞ! 魔王様以外にできてたまるかッ!」
大したダメージにはならないが、標的にされてない黒子たちには、ゲシゲシゲシ、とロジェの足にローキックさせる。
「クソ!」
ヴゥゥゥゥゥン、と『シャドウエッジ』を足下に振る。
「キイイイイ」
ささささ、と蜘蛛の子を散らしたように黒子たちは逃げていく。
「むかつく……」
完全に俺への意識が散漫になった。
「おい」
しまった、という顔でロジェがこっちをむく。
そのおでこにデコピンをした。
ズガァァァァァァァアン、と爆裂音にも似た音を響かせ、ロジェが吹っ飛んだ。
「ぐはっ……」
大木に背中を打ち付け、ぐったりと背を預けてうつむいた。
ライラは、付近にいるのを感じるが、何も言わない。
しゃべれない状態なのか、眠っているんだろう。
まずは、ライラに話を訊こう。
話がややこしくなるから、こいつはあとだ。
「『リアルナイトメア』……おまえは犬だ。そして俺は主人だ」
「…………………………………………ううう……う~。う~、わんっ♡」
「よし、よし、いい子だ」
「わうわう、わう♡」
頭を撫でてやると、尻尾の代わりに嬉しそうに尻を振った。




