冷酷非道な魔王1
◆ライラ◆
誰にも聞こえないようにチッ、と舌打ちとともに魔王は玉座をあとにする。
謁見の魔を出ていくと、魔王は慌てて追ってきた侍従に豪奢な上着を乱暴に渡した。
「妾の治世に不満があるとでも言うのか」
誰ともなく愚痴を言うと、あとをついてきた近衛兵長のダークエルフが答えた。
「諸侯に不満などあろうはずがありません」
「では何故だ。分かたれた大陸を侵略しようなどと……愚策も愚策。金も人も物資も、浪費するだけであろう。だいたい、どう移送する。妾の大転移魔法頼みだとでも言うつもりか」
「おそれながら……。魔王陛下のお力が、諸侯に夢を見させているのかと存じます。世界全土を治めるに足るお力がある、と」
「つまらぬ。夢と希望で国が治められれば苦労はせぬ」
「……ごもっともにございます」
魔王は苛立っていた。
定期的に行われる諸侯を集めた謁見の場――集合議会でのことだった。
会を重ねるたびに、人間界を侵略しようという主戦派の声は大きくなっていった。
戯言と聞き流していたが、今回はどうだ。
蓋を開ければ、主戦派が多数。中立派と幾人かの穏健派を抱き込み、さも世論もそうだと言わんばかりの勢いだった。
「魔族が優れた種族であるため侵略し治めるなどと、子供のような戯言を」
私室への扉が開けられ中に入ると、ダークエルフのみついてきた。
「そなたはどう思う」
「ワタシにはわかりかねます」
そうであるか、とつまらなさそうにため息をつき、魔王はソファに腰を沈めた。
扉がそっとノックされ、ダークエルフがやってきた者に用件を尋ねると、魔王に言った。
「ルーサー殿下がお見えです」
「気分が優れぬ。追い返してくれ」
「は」
魔王の弟、ルーサーは軍団長の一人であり、主戦派の中心人物だった。
「――ですから、魔王陛下は御気分が優れないようですので、日を改めて――」
説明する声が聞こえると、直後に扉が乱暴に開いた。ズカズカと踵を鳴らし、魔王の前まで魔族の男はやってくる。
「姉上」
「ルーサー、妾は気分が優れぬ、と先ほど説明されなかったか?」
「どうしてあのような歯切れの悪い回答をなさるのですか」
「戦争の意義が妾にはわからぬからだ」
「人間界の国を落とし、征服の足がかりとする――。さすればもっと国を豊かにすることが」
「方便であろう、それは」
何度も何度も聞かされた建前だった。
「そなたら主戦派は、ただ飽いてしまったのだ。平和に。豊かにするなどと宣ってはいるが、他種族を武力で征服したいだけであろう」
「それの何がいけないと言うのですか」
「分かたれた大陸を蹂躙する意味なぞない。現状、益もなければ害もない。であれば、そんな世界の存在など考える必要はない」
「いえ。意味はあります。我ら魔族が最高の種族である証明になります! 姉上の力をもってすれば、ニンゲンなど足下にも及ばないはず!」
「残念だが、妾にはそのようなものに興味はない。ニンゲンはニンゲン。魔族は魔族。優劣も貴賤もなく、それ以上でも以下でもない。……すべては王である妾が決めること。……失せよ」
ルーサーは鋭く姉を睨みつけ、踵を返し私室を出ていった。
主戦派は大なり小なり、ああいった手合いがほとんどで、意見も似たようなものだった。
「平穏に暮らすことは、つまらぬことなのであろうか」
「先代の父王様が戦乱を平定し、早二〇年。年を重ねている諸侯にはコルネリウ卿をはじめ、血の気が多い者はまだまだおります。彼らにしてみれば、異種族を征服し服従させる……戦うことが当たり前なのでしょう」
「そして声だけが大きな阿呆のルーサーを担いだ、と」
生きた時代と価値観の違いなのだろう。
先代が玉座を退く際に、新しく魔王となったのは彼の娘だった。
魔王は世襲制ではない。
その座を虎視眈々と狙っていた者からすれば、不満や嫉妬など抱くなというほうが無理だろう。
そんな彼らには、ただ実力を示せばよかった。
格の違いをわからせ、簡単に黙らせることができた。
だが。
「政治は一筋縄にいかぬな。妾より彼奴ら古狸のほうが一枚も二枚も上手らしい」
娘と父の親子関係が逆であれば、戦乱はもっと早くに終わったのではないかと城内では噂されていた。
父が暗愚なわけではない。
とりわけ優秀な男ではあるが、現魔王はそれをはるかに凌ぐ才覚を持ち、歴代最強とされていた。
「愚見を申しますと、魔王陛下は担がれてもよろしいのではないかと存じます」
「ほう。私見を述べるとは珍しい」
「……ワタシも、ニンゲンたちにあまりいい記憶がありませんので」
「あちらから来たのであったな、そなたは」
「は」
「妾にとっては良いも悪いもない。さて、いかがしたものか」
ため息交じりに魔王は苦笑した。
これが歴代最強と謳われる魔王出征の、三か月前のことだった。




