かつての役者が揃う3
魔王に止めを刺さず逃がした理由は、今になってようやく説明できるが、当時だとまだ上手く伝えられなかっただろう。
当時の俺は、何も知らない無機質な暗殺者でしかなかった。
ギルド職員になり『温かい』を、『普通』を知っていき、暗殺者がどれだけ異質かを学んだからこそ、魔王城での一件を説明できるようになった。
『任務なら善悪問わず殺す』
暗殺者をやめたから、この考えに対して抱いていた感情や違和感、抵抗感にようやく気づけた。
「何も相談せず、仲間に黙ったまま姿を消したことを謝罪する。すまなかった」
小さく頭を下げると、四人が黙る気配があった。
「暗殺者として最後の任務だと決めたあの仕事で、俺は最後の一人を殺せなかった。魔王は善人だと感じた。殺さずに封じられるのならそれがいいと、らしくない選択をした。だが、みんなのことを信用も信頼もしてないわけではない。それだけは覚えておいてほしい」
無害とはいえ魔王健在を絶対に知られてはならないと考え、誰にも伝えなかった。
俺が首輪のことをランドルフ王をはじめ、この四人に説明していたら、もっと違う結果になったかもしれない。
「エル。ロランはそう言ってくれているけど、もういいかしら?」
「ああ……ロランがライリーラのそばに居さえすれば、何か起きる心配もない」
エルヴィの言葉に、ライラがほっと胸を撫で下ろすのがわかった。
「アル、ひとつ訊きたい。キスとは一体なんだ?」
「え」
「ロランとキスをした、と」
「それは、いいじゃない、別に……」
顔をそらしたアルメリアが、恥ずかしそうにちらっとこちらを目をやる。
「おい、何だ今の目配せは――!?」
「い、いいでしょ、もう! 放っておいて!」
立ち上がろうとするアルメリアを、エルヴィが掴む。
「よくない」
「リーナ……まだロランとちっす、してない」
する予定はないぞ、リーナ。
「あ、本当です、わたくしもまだでした」
おまえもだぞ、セラフィン。
その様子を見たライラがくすくすと笑っている。
「勇者パーティとはこういう集まりであったか。なるほど。そなたも苦労するわけだ」
事情を話せと強要するエルヴィと断るアルメリアの言い合いでリビングが騒がしくなった。
リーナはおろおろして二人の言い合いを止めようとしている。
「ロランさん、お酒、あります?」
セラフィンは何も気にせず図々しく酒を要求してくる。
「そういえば、そなたはイケる口であったな」
と、ライラがリビングを出ていくと、キッチンから複数のグラスと葡萄酒を持ち出し、注ぎはじめた。
俺は酒の肴を簡単に作って運び、リーナにジュースを出した。
いつの間にか酒混じりの会食がはじまり、近況の報告から当時の思い出話に花が咲いた。
「リーナ、あの話、好き。ロラン、して」
「ああ。アルメリアが漏らした話か」
「アルちゃん、おもらし、ぷふふ」
何度もせがんでくるお馴染みの話なので、筋を知っているリーナが思い出して小さく笑った。
「食事中にそんな話やめて! てか漏らしてないわよ!?」
「リーナさんは、オネショいっぱいしてましたよね?」
ニコニコ、とセラフィンがリーナに尋ねる。
「し、してない」
「もう替えがないからって、下着を履かずに戦場に出て……」
「あーっ、あーっ」
リーナが俺に聞かせまいと耳を手で塞いでくる。
それを知らない俺ではないので、させるがままにしておいた。
酒が入ったせいか、みんなの口が妙に軽い。
「エルは、ロランの訓練が厳しすぎて夜泣いてたわよね?」
「それはおまえもだろう。人のことを棚に上げて、まったく」
けらけら、と笑い声が弾けた。
「こやつの恥ずかしい話はないのか?」
「おい、ライラ。余計なことを訊くな」
四人が考えはじめると、そういえば、とアルメリアが言った。
「夜襲を受けたときに、ロラン、一度だけすっぽんぽんで戦ってたことがあったわよね」
「私も覚えているぞ。どうして服を着ていなかったのだ」
「そんなの決まってるじゃないですかー。ロランさんは違う『夜襲』で『魔力』を注いでいて、服を隠されていたから全裸でプププ、全裸で……プププ。ロランさん得物はいつから『槍』になったんですかって、プププ――」
「その話はやめろ」
これ以上しゃべらせないように、脇腹に拳を突き入れた。
「おぶふっ……」
セラフィンには一時的に気絶してもらった。
「そなたが甲斐性の塊なのは当時から変わらぬのだな」
呆れたようにライラがため息をついた。
「ライリーラからは、ロランはどう見えているの?」
「それは、私も気になっていた。教えてほしい」
「ふふん。では、妾が教示して進ぜよう」
得意げにライラが俺のことを話しはじめた。
再会するまでの俺を、寝ているセラフィン以外の三人は訊きたがった。
ライラの話は大方事実であり、脚色されることもなかったので、注釈を入れる必要はなかった。
「そんなことするギルド職員なんていないわよ、ロラン?」
「『普通』だと思うが」
「アルの言う通りだ。何がひっそりだ。全然違うではないか」
納得いかず俺は首をかしげる。
「ロランは、やっぱり、ロラン、してた」
リーナがまとめると、確かに、とアルメリアとエルヴィは相槌を打った。
俺たちの話は弾み、酒がすすんだ。
眠気を訴えたリーナを寝室に運びリビングに戻ると、他の三人も酒で潰れていた。
「神官は、あまり強いわけではないのだな」
「ああ。好きだが、強くはなかった」
一人一人をベッドに運んでやると、俺とライラが普段使うベッドはぎゅうぎゅうになってしまった。
「妾に付き合えるのはそなただけか」
俺のグラスに葡萄酒を注ぎながらライラは言う。
「おまえだってさほど強いほうではないだろう」
「であるな」
からから、とライラは笑う。それから、ふと真顔になった。
「……妾は、あんな者たちと戦っておったのだな」
「多少クセもあるが、いい仲間だ」
「封じられていない妾に、警戒することも敵意を向けることもなかった。そなたへの信頼が絶大であることを思い知った」
「俺が、ライラを害のない存在だと思い信じている――それを四人は感じてくれたんだろう」
顔を合わせば、お馴染みのやりとりだ。
あれから何かが変わったのかと思ったが、それは感じなかった。
「訊きそびれていたが、ヨルヴェンセン王国……であったか。あれからどうなっておるのだ?」
「……ヨルヴェンセンか」
魔王軍が最初に攻略した国の名だ。
国王が居座った王城は、今では元魔王城として広く知られている。
「魔王軍撤退後、国に人は戻っていないと聞く。魔物や魔獣が住処としている、とも」
近辺のクエストをひとつとして見かけないあたり、用のある人間も、困っている人間もあのあたりにはいないのだろう。
「そうか」
「言わなくてもいいのか。侵略戦争だったとはいえ、事情があっただろう」
「それは侵略者の言いわけに過ぎぬ。主戦派が武力行使に出ようとした発端は、妾の過ぎた力のせいでもある」
酔いがよくないほうへ回っているらしい。
「あまり思い詰めないほうがいい。殺して殺された戦争は終わった。そしておまえはもう魔王ではない」
そうであるな、とライラはグラスを呷った。
こういうときにロジェがいてくれれば、ライラを肯定して励ましてくれるのだが、肝心なときにあのエルフはいない。
無言の時間が長くなり、ライラはソファで横になり眠ってしまった。
毛布をかけてやろうとすると涙が流れているのに気がついた。
「冷酷非情な魔王、か……」
戦争を仕掛ける際、ライラはそういう自分を作ったのだろう。
本当は優しく面倒見がいい王の娘だったというのは、想像に難くない。
俺に敗れたときも悪あがきをすることはなかった。むしろ、重荷から解放されたかのような表情をしていたのを覚えている。
ライラはライラで、あの戦争は辛いものだったのだろう。
肩書きの上では魔王ではなくなったが、無意識に刻まれている記憶は、まだ魔王を背負い続けているようだった。




