とある気配
俺はライラの愚痴を聞いていた。
先日、アイリス支部長からの依頼でギルドを留守にしていたとき、俺の代わりにどうやらライラが職員として仕事をしてくれたようだった。
ライラは職員の仕事を間近で見ていただろうし、難なくこなしただろう。
「モーガンは、なかなかクセの多い男よな……」
辟易したような顔でため息交じりにライラは言った。
モーガン……?
冒険者だろうか。
どうやら、その男に苦労をかけられたらしく、頼まれても金輪際仕事はしないと言い切った。
「大変な仕事なのだと妾は思い知った」
俺はそこまで大変だと思ったことはないが、感じ方は人それぞれ。
ライラにとっては、もしかすると魔王をするよりも大変に思えたのかもしれない。
「しかし、何の音沙汰もないな」
何が、と尋ねようとすると、ライラは先を続けた。
「偽ロランの件だ。あやつが国王殺しの暗殺者で間違いないという話だったろう?」
「ああ。それ以外に考えられない」
自分と同じ人間が目の前にいた衝撃はなかなか忘れられない。
「何度目かの確認になるが、本当に心当たりはないんだな?」
「何度も言っているであろう。腕から本人を作り出す魔法なんてものは存在せぬ」
「新魔法の可能性は?」
「ない。断言していい。魔法で複製を作ることと、それそのものを作ることはまったくの別物である。後者はどうやってできるのか、見当もつかぬ」
偽物と戦った感触では、魔法ではなく俺自身だったから、やはりライラが言うように、魔法ではないのだろう。
「となれば、スキルの類いか」
「貴様殿の師匠のように、スキルをコピーするとんでもスキルがあるのだ。なくはないであろうが……」
だがもしそんなものがあれば……。
「どの程度素材が必要なのかわからぬが、それさえあれば死者は死者ではなくなる、ということになる」
「ん。初代魔王でも復活させられる」
「恐ろしいことである」
うむうむ、としかつめらしい表情でライラはうなずく。
「ところでライラ、気づいているか」
「当然。取るに足らんと思って放置しておったが、いかがする」
さっきまであった気配が、すっと消えた。
ここ数日、見られているのを感じていた。
それは俺だけじゃなく、ライラもそうだったらしい。
食事を済ませると、ライラが食器を洗いはじめ、背中越しに話しはじめた。
「三日ほど前か。貴様殿が仕事へ行ったあと何度か視線を感じた。気取られる程度だからその道のプロではないとは思うが、大して戦闘力もなさそうなので放っておいたのだ」
「三日前からか」
そして今日も俺を窺うような視線があった。ギルド職員なのだから顔を知っている冒険者の視線だろうと思ったが、質が違った。
観察、監視するような視線だった。
「戸締りは」
「しておらぬ」
「盗るものもないからな」
「と思っておったら、妾の孫の手が」
「盗っ人のほうが、俺の腕を有効に活用してくれたらしい」
ははは、とライラは俺の皮肉に笑った。
「って、笑いごとではないわ! 王が一人暗殺されておるのだ。もしスキルで本人そのものを作られるのであれば、一人とは限らぬぞ」
「生身の両腕がある俺よりも、魔力の腕を持つ俺のほうが強いらしい」
「心配はいらぬ、と」
返事はしなかったが、ライラがぐぬぬ、と唇を噛んでいた。
「さらに強くなったと申すか……。それとどこか自信を感じる」
「ワワークの腕輪のおかげだ」
ライラと俺の偽物なら、どちらが強いだろう、と考えた。
ライラのほうが強くあってほしいが、負けるとなると、それはそれで少し癪だ。
洗い物を済ませたライラと、二人でリビングのソファに腰かける。
「王殺しがただの愉快犯だとは妾は思わぬ。目的はわからぬが、次も何か仕掛けてくるであろう」
それもそうだな、と同意すると、おほん、とライラが咳払いをする。
「今の妾は、魔法が使える。そなたの助けとなることも、やぶさかではない」
「あっさり誘拐されたのに、どの面下げて」
「ぐぬぬぬう」
からかうのはこのへんにしておこう。
「そなたが偽物かどうか見極められるように、合図か合言葉を決めようではないか」
「問題ない。どういうものにする?」
「く……っ」
く?
頬を赤くすると、叫ぶように言った。
「口づけをするのだ妾に! そなたから!」
「……構わないが、どうしてそうなった」
「最近は妾からばかりである。………………そ……そなたからも、して、ほしい……」
もにょもにょと小声でつぶやいた。
恥ずかしそうに顔をそらすライラの顎をそっと触り、上を向かせる。
顔を近づけて唇を重ねると、ちゅ、と小さく音がした。
「これでいいのか」
「――い、いきなりするやつがあるか!」
どん、と俺の胸を押し、真っ赤な顔でぺしぺし、と叩いてくる。
「ん、わかった。今後は不必要な合図は控えよう」
「ふ、不必要で構わぬ! どんどんするがよい!」
どっちなんだ。
……そもそも、俺の偽物だとしたら、右腕ですぐわかるだろうに。
とろんとした目をするライラの赤い髪の毛を撫でて、膝に腕を通してお姫様抱っこをする。
「この腕にも慣れて、こういうこともできるようになった」
「そ、そうであるか」
されるがままのライラは、ぎゅっとしがみつくように抱き着いている。
寝室まで移動し、ベッドの上に優しくおろす。首筋にキスをすると、ぴくりと肩が震えた。
「く、くすぐったいであろう……」
ライラの温かい吐息が耳元にかかる。
ボタンをひとつずつ、ゆっくりと外していった。いつからか、ライラは脱がしやすいように、体を少しだけ動かすことを覚えた。
見慣れない新しい下着。
「……な、何だ?」
今夜はその気だったということか。
「いや」
首を振って顔を近づけると、くすっと笑ったライラが顔に手を伸ばしてきた。
「いつ外すのかと思っておったが、忘れておるようだな」
俺が外し忘れた眼鏡を取った。
「視力に差が出るわけでもないからな。どうしても忘れがちになる」
ライラは脇にあるサイドボードに眼鏡を置き、こちらを向くと両手を広げた。




